009 天狗の森とレゾンデートル
<サンライスフィルド>は円のように山に囲まれた盆地である。
その山々は街を東西に流れる川を境に、およそ南北に分けることができるが北側の山のほとんどは<天狗>の住処である。
<サンライスフィルド>より東側が文化の波及が遅いのは、この山々が文化の防波堤になっているという側面がある。
交易が起これば文化が波及するのは世の常である。
旅人たちはこの危険な山を通らず、神代の高速道路跡を通っていくことになる。
山の中をひたすら突き進むこの<上の道>は、比較的安全というだけであって安全が保証されているわけではないし、移動すれば自分たちの食料や水、寝泊りに利用する場所の問題が発生してしまう。
そのため文化の波及の末端が<ユフインの温泉街>あたりとなってしまい、<ビグミニッツ>などは採集によるスローライフ中心となってしまうのだ。これが<トオノミ地方>の東と西で生活スタイルが明らかに違う理由の一つだ。
つまりこの地に住む<天狗>は文化に影響を与える存在だといってもいい。
そんな話を桜童子から聞かされて、<ノーラフィル>のリーダーウパロは息を喘がせながらも(ああ、エレオノーラ様が東に交易路を開きたいといったのは、「<天狗>たちと友好関係を結べ」という意味だったに違いない。なんてことをしてしまったんだ俺たちは!)と反省した。
その後悔は正しい。<天狗>と友好関係を持ち、東への交易路が開拓できれば、西側の<アキヅキ>は大きな市場を手にすることができるのである。
付近の<パンナイル>にとっての市場とはヤマト全域であり、他サーバー地域である。東側は買い付けの対象であるが、売るための市場とは考えていない。つまり、この<天狗>との友好関係は、他の商家に比べると脆弱な<アキヅキの街>の領主、エレオノーラ嬢を喜ばせる最大のチャンスなのである。それを今、ほとんど絶望的なまでに失いかけている。
唯一の希望は、この牛に乗った幼童である。<火雷天神>だと名乗る幼童は、<天狗>との関係修復を試みてくれるのだという。ウパロはぜいぜい喉を鳴らしながらその背中を追いかけている。
なぜこんなに喘いでいるかといえば、<豪猪>がロケットミサイルの雨のように次々と現れ突進してくるからである。先程は<羅刹>と呼ばれるエネミーまで現れた。
「ああ、逃げられちまったあ。契約したかったんだけどなあ」
どう見ても<火雷天神>の従者にしかみえない、トナカイにまたがるぬいぐるみ風<冒険者>の桜童子は嘆いた。
「にゃあっち。<ソードプリンセス>極めてるからいらなくないー? いらなくないー?」
<豪猪>の突進を小さな丸い盾だけで受け止める、ドワーフの<冒険者>イタドリは言う。
「<幻獣憑依>を使って、<羅刹>になってみんなと戦闘訓練してみてぇってのが、おいらの夢なのさ」
「それは佳い心がけじゃぞ、桜童子。その夢、わしが叶えさせてやっても佳いぞ」
「どうせ<蒼球>と引き換えにって言うんでしょ?」
「わかっておるではないか。寄越せ」
「自分で夢は叶えますから、お手を煩わせるまでもありませんよー」
なんとも勇ましい話だ。
ウパロは<ノーラフィル>の他の三人、チャロやルチル、そしてゴシェナイトと戦闘訓練などしたことは一度もない。何度か食料調達に狩りに出かけただけである。あとはもっぱら街道の護衛任務である。実際に戦闘になったのは数えるほどもない。その数回も全て逃げて終わっている。
なぜこんなに戦闘が続くのか不思議に思ったウパロだったが、喘ぎ声しか出ず聞けずじまいだった。
その喘ぎ声が呻き声に変わった。
「さすがにゾーンに入ると雰囲気違うねえ。違うねえ。すっごい違うー。」
イタドリが言う。もう天狗のお膝元の山の中だ。
「<大災害>前はここを訪れた女子高生が、学校に戻って集団パニックを起こして大騒ぎになったこともあったなあ」
桜童子の呟きに<火雷天神>が答える。
「ほう。ネットで話題というやつか」
「みっちー! ネット分かるの!? ネット!」
「見たことがあるかと言われれば全くないが、理解はしておるつもりじゃ。わしは学問の神様じゃぞ。<冒険者>の話を聞いておればなんとなくくらいはわかるわ」
「へえー。すっごーい。みっちーすっごーい」
イタドリが褒めたが、桜童子はからかう。
「蜘蛛の巣のようなもの想像してます?」
「たわけ。そんなものではないのは承知じゃ。しかし、当たらずしも遠からずというところなんじゃろ?」
雰囲気が違うなどと言いながらも三人の会話はいたって楽しそうだ。飛梅という名の白牛の轡を取るイタドリも、それにまたがる<火雷天神>も、横の桜童子にも緊張感すら見られない。
対して<ノーラフィル>の面々は、地獄に脚を踏み入れたような心境である。ついに現れた<天狗>に周りを囲まれただけで失神しそうになっていた。
なぜ、これほどまでに恐ろしい場面でありながら桜童子たちはおそれないのか、会話をする中で気づいたことがある。
それは生き方の違いと言えるだろう。彼らが恐れているのは、この世界で己の意味を見いだせないことで、それに比べればエネミーに対しての恐怖などは限りなく薄いように感じられる。
ウパロにとっての己の意味とは、<アキヅキ>領主エレオノーラ嬢に尽くし微笑みを投げかけてもらうことである。そこは厳然とした己を縛るルールであるので、エレオノーラ嬢が万が一ピンチに陥れば五体を投げ出してでも守り抜こうとするであろう。残念なことに己を守る術がないのだ。だからエネミーの息遣いにすら震え上がってしまう。
「<豊前坊>と話がしたい。無駄な戦闘など所望しておらぬ」
「チビガキガオハナシデキルヨウナオカタジャナイゾ、ワレラガ大天狗様ハ!」
頭部が烏の<天狗>が示威行動をはじめる。<ノーラフィル>のメンバーが先日ここを通った時にも同じ動きを見た。その時はゴシェナイトが大剣を構えてしまった。羽で叩き落とされたのを戦闘開始と思って攻撃を仕掛けてしまったから、この関係の悪化がある。全ては恐怖から出た問題だ。
<火雷天神>は相手の恐怖をうまく利用して交渉した。
「なんじゃ、木っ端天狗ごときがわしに向かってくるか。<火雷天神宮>の主が直々にやってきて、<豊前坊>に会いたいと言っておるだけなのじゃがな」
ウパロには見えた。<火雷天神>の足元でマナが渦巻き沸き立ったのを。それがぐつぐつと煮え立つように弾けていた。怒りを表現しただけで直接攻撃でもなんでもない。だが、おそろしいまでのマナコントロールであるのは間違いない。烏天狗にはマナは見えなかったかもしれないが、そのただならぬ雰囲気に慄然としたようだ。バタバタと報告のために引き下がってしまった。
「さすがだねー」
桜童子が言うと<火雷天神>が鼻で笑って返す。
「わしとて忙しいのじゃよ。<初詣>とか称して<火雷天神宮>にアタックに来おったアホな挑戦者がいるらしくてな。先程から頻繁に使いが顔を見せに来ておる」
「ああ、小鳥がやってきてたのはそういうことねー。たしかに<願掛け>に来てラストボスがいないんじゃあ格好がつかないですね」
「こんな人助けばかりして、割の合わんことじゃ。お主を喰ろうてやらねば気が済まぬわ」
「そいつはおいらの方が割に合わないですねー」
「まあ、弱っちい<冒険者>と毎度毎度戦うのも気が滅入っていたから佳いわ」
先程の<烏天狗>が戻ってきた。
「コチラヘ」
ウパロを始め一行は<行者杉>の生えるあたりまで連れてこられた。大きな杉の木だった。その前にいるのはその杉すらほっそりとして見えるような大天狗で、閻魔大王のような形相をして待ち構えているのであった。
「その強大な気配はまごうことなき<火雷天神>よ。して何用ぞ」
「<豊前坊>。ものを知らぬ<アキヅキ>の若造が迷惑をかけたというでな、ちょいと話をつけに参ったのじゃ」
「<アキヅキ>の若造というのはそこのウサギか。ドワーフか。それとも虫けらのように集まるそいつらか」
「ああ、そのひよっこ四人組じゃ。<クォーツ家>も代替わりしてそなたらのことを若い者に伝えておらんかったのじゃろう。<アキヅキ>と<ヒコの天狗>の友好関係を、このバカ者どものために壊すこともあるまいて」
だんっと<豊前坊>が<ノーラフィル>の四人の前に足を踏み出す。それだけで軽自動車が降ってきたかのような威圧感だ。
「ならば一匹差し出せ。ワシが頭から丸かじりにしてくれよう。今後は<アキヅキ>の者が来ても手出ししないようにさせる。それでどうだ」
「わしはそれでも佳いぞ。遺恨が残らねば佳いのじゃ」
そういって牛の上の少年は<ノーラフィル>を振り返る。
四人は歯の根が合わぬようにガチガチ震えた。ゴシェナイトは甲冑ごとガチャガチャと震えている。ルチルの顔は貧血を起こしそうなほど蒼白になり、チャロの顔には冷や汗が吹き出してきている。
「みっちー」
イタドリが心配そうに話しかけようとしたのを<火雷天神>は素早く制した。
<冒険者>とは言えど死は恐ろしい。歯向かって叶わずに散るというならまだ納得がいくが、喰われるためだけに名乗り出ろというのは酷な話だ。そもそも普通サイズの天狗にさえあれほど怯えていた四人である。ゴシェナイトが腰を抜かしたのを機に、四人揃ってわなわなと地面にしゃがみこんでしまった。
ウパロは桜童子を見た。少し困ったような表情はしているが、ぬいぐるみのような表情なので定かではない。
それでもウパロは考えた。【工房ハナノナ】のリーダーだったらどうするであろう、と。あれだけ<火雷天神>に「喰わせろ」と言われながらも平然と断ることはできたのはなぜか、と。
そうか。これも己の意味との戦いなのだ。もしそこに己の意味を見出したのならば、彼は迷わずその身を差し出すに違いない。しかし、そうでなければ、どんな強敵であっても戦うのだろう。ウパロはそのように桜童子を評価した。
自分の存在価値をどこに見出すかで選ぶ道が決まるのだ。
ウパロはふらりと立ち上がっていた。
チャロもルチルもゴシェナイトも懸命に引きとめようとしていた。
そうだ。自分が名乗りを上げれば、この三人は助かるじゃあないか。
三人ばかりじゃない。<アキヅキ>の商人たちはこの山を超えることができるようになる。それはつまりエレオノーラ=ルナリエラ=クオーツ嬢の願いを叶えることではないか。
追われて逃げて<サンライスフィルド>に恐怖をもたらすこともない。
自分の存在価値はここにあるじゃないか。
そう思ってウパロは大天狗を見上げた。
大天狗の歯が見えた。ぎらりしたと眼光に見据えられた。
ふらふらと近寄っていたが、その瞬間腰砕けになって、地面に這い蹲る。
戦うのは無理だ。怖いのだ。食べられるのも怖い。怖いのだ。
いつの間にか泣いていた。泣きながら謝っていた。
<冒険者>は敵と戦って残忍に討ち滅ぼすもの。ゲームではそうであった。だから、恐ろしければ剣を構えるのは当たり前のことだった。だが、そこに友好関係があったのならば、それはしてはいけないことだったのだ。
モンスターには<善><悪><中立>という設定がある。おそらく<天狗>たちは<中立>であるものだったに違いない。そこに剣を突き立てれば<対立>になってしまう。
自分はどうなってもいい。<アキヅキ>と対立させてはいけない。エレオノーラだけは守り抜かねばならない。全ては自分たちの恐怖心から出てしまったことなのだ。
気づくとウパロの横に、チャロとルチルとゴシェナイトが頭を土にこすりつけながら一緒に謝っていた。
どれほど謝り続けただろうか。声はかすれ、咳ばかりが出た。
「いいチームじゃねえか。ウパロさん」
肩を叩かれてビクッとした。それは桜童子の手だった。桜童子は微笑んでいる。
ウパロはおそるおそる大天狗を見上げた。
ニヤリと笑みを浮かべている。そして呵呵大笑した。<火雷天神>も大いに笑っている。
「お咎めなしだとよー。あんたの勇気のおかげなんじゃないのー」
どういうことか飲み込めないウパロに、桜童子が笑って言った。
「向こうだって手出ししているんだし、おいらたちの住処までいい迷惑だ。その時点で両成敗ってこったよー。でもアンタは無茶な要求を唯々諾々と飲むわけでなく、筋を通して誠心誠意詫びた。なかなかできるもんじゃないぜ。うまくいったようだなー」
すると大天狗<豊前坊>がにゅっと拳を突き出してきた。よく見ると、指先で何か絵馬のようなものをつまんでいる。恐る恐るウパロは四つの札を受け取る。
「こいつが<会話による盟約システム>ってやつだな」
ウパロはその桜童子の言葉に答えようとしたが、抱きついてきた<ノーラフィル>のメンバーに押しつぶされてしまう。
「よかったねー。みんな、よかったねー」
イタドリも少し感動したようで目尻を拭いながら言った。
「あやかしウサギ。お主らには通行札はいらぬであろう? それとも<P-エリュシオン>の後片付けも頼んでやろうか」
<火雷天神>が桜童子に聞いたが、桜童子は首を横に振った。
「近所に薪として配りますよ。まあ、それでも余るでしょうがねー」
「まあ、わしの鼻息で消し炭になる程度じゃろうよ。さあ、次じゃ次。<豊前坊>、いつか酒でも酌み交わそうではないか」
そう言って<火雷天神>が振り返った時には、天狗たちは忽然と姿を消していた。
笑って進もうとすると今度は<ノーラフィル>の四人が頭を下げて立ちふさがっている。
「なんじゃなんじゃ。次はドワーフ村じゃ。先を急ぐぞ、下僕ども」
<ノーラフィル>の四人は胸に<行者杉の朱印札>を握り締め、<火雷天神>にいつまでも頭を下げていた。