006 火竜のすり鉢、そしてパンナイル
ディルウィードは<パンナイル>の街に打ち鳴らす板の音を聞いた。
正月に不似合いな緊急事態を知らせる合図だ。
長屋だから友人たちはすぐにディルウィードの部屋になだれ込んできた。
「ディルくん、街の外に<不死者>たちが多数出現しているらしいっす」
「ノックしないことを咎めてる場合じゃないね。話はとりあえずここ出てからにしよう」
街は騒然としていた。まだ朝早くだから大勢がいるわけではないが、それでも屋台をかけようとしていた者たちは臨時の店じまいのために大慌てだ。店を構えているものも戸板を窓に立てかけ、万が一の事態に備えようとしている。何事かと顔を覗かせる子どもたちを、家の中に入れようと必死な姿も見える。
ゾーンの端まで来ると、領外の平原で見廻組と<不死者>たちが戦っていた。
何体かの<不死者>がゾーンの見えない壁にへばりついて、街の中をもの欲し気な目で見ている。見廻組が防壁になって領外にいた<大地人>をゾーンの中に誘導しているのが目に映る。
「おれたちも手伝おう! ごうちゃんと栴那はへばりついてるヤツらを!」
「了解! 行こうごうちゃん!」
「心得た! というより栴那はエドと呼べ!」
エドワードと栴那は<不死者>の背後に回り、剣を突き立てる。
その間に<大地人>を保護する見廻組に、ディルウィード、ツルバラ、スオウ、あやめの四人が合流する。
「外にいた<大地人>の方はあと何人ですか!」
「こ、これで全部。あ、いや、ひとりいないぞ!」
ディルウィードの問いに慌てたのは<大地人>農夫も見廻組の面々もだ。見廻組はディルウィードに比べたらレベルが低い。きっとここまで戻るのだって必死の思いだったのだろう。
スオウが叫ぶ。
「ディルさん! ぼくたちで行きましょう!」
「その一人とは、どこではぐれたんですか」
「田までは一緒だった! 田まではいたんだ!」
先頭の農夫はパニック状態だ。しかたがない。突然現れた<不死者>から命からがら逃げてきたのだ。
「見廻組のみなさんは、この後、街道の巡回にあたってください! スオウ、全員を送り届けてからごうちゃんと栴那と来て。ツルバラくん、あやめさん、行こう! <雲雀の靴>!」
「お、おうっすよ!」
「スオウ、怪我しないでね!」
ディルウィードたち三人は、守るという点では非常に弱い。
だが敵を長距離から殲滅させることと、怪我しているかもしれない<大地人>の救出することならば十分だ。一刻を争う事態だ。ヘイト上昇覚悟で魔法を射ち出しながら野を駆ける。
「いた、いたっすよ! 三体に囲まれている!」
「サーペントボルトぉおおおお!」
この距離で命中するとは思わなかったが、運良く一体を吹き飛ばすのに成功した。その影響で他の<首無騎士>にもダメージを与えている。これで敵愾心がディルウィードに向けられた。
「<ソードプリンセス>! あやめっち、あの人を助けよう!」
「足止めないで、もう少しで<ヒール>届く!」
あやめの周りに光の粒子が浮かび上がって、倒れている<大地人>青年に放射される。初心者だと罵られようが、これがあやめにできる精一杯だ。
「動いてる! 動いてるっすよ! 生きてるっすよ」
「ツルバラくん! そっちは頼んだ!」
ディルウィードは三体の<不死者>を引き連れて雑木林の方に移動する。
「<リアクティブヒール>!」
「あやめさん、ありがとう!」
「キャプテン! 怪我しないでね!」
<首無騎士>が剣を振るってくる。杖で軽く剣閃をそらす。頭がないのでどこが弱点なのか探しながら、腰を蹴り飛ばす。二体目の斬撃を地面に這いつくばって躱す。そして膝を蹴り飛ばす。
もう一体が迫る。
「<サンダーボルトクラッシュ>!」
杖に電撃属性を付与して鎧を刺し貫く。三体目は剣を振りかぶったまま麻痺してしまった。ディルウィードは大木に背中をつけて前方三体を視界に入れて呼吸を整える。
小さな音にぴくりと反応したディルウィードは、木の幹をぐるりと回って四体目を突き刺す。麻痺したところを大きく蹴り飛ばす。
高揚感がディルウィードの身体を駆け抜ける。
「リーダーのおかげで乱戦には慣れているんだよ。周りは四体だけだな。いくぞ、<ライトニングネピュラ>!」
四体の討伐を終えて、ツルバラとあやめと合流した。ツルバラは青年に肩を貸している。
「行こう。他に何体いるかわからない」
「あやめ姉さん! 無事か」
そこにスオウ、エドワード、栴那が合流する。随分とヘイトが上がっているからディルウィードは仲間の合流にほっとひと安心する。
「何が起きたんだ、一体」
「今、街道の方に迷い出ているのもいるらしくって、柵を作りに<大工>さんたちが駆けつけてます」
スオウは見廻組から得た情報を告げた。
「<街道防壁>にも綻びが出たのか」
それ以前に、この現象は「栽培育成ゾーン」と呼んでいる冒険者錬成システムになにか問題が起きたに違いない。
振り返ると冬小麦を植えた畑は<不死者>たちに踏み荒らされてしまっている。麦踏みにはまだ早いし雑な踏み方だ。きっとこのうなだれた青年は、自分の身よりも麦畑のことを案じているのだろう。
なんとかゾーンの内側まで戻り、<大地人>に被害がなかったことを知ると、ディルウィードはほっと肩で息をつく。
ゾーンの近くでがっくりと肩を落としている男がいる。ディルウィードはその男を観察した。なんの装備もつけていないから<大地人>かと思ったが<冒険者>だ。この男には見覚えがある。<ドンキューブの森>で龍眼の屋敷にいた男だ。この人物がなぜこんなところでこんなにもうなだれているのだろうか。なにか異様な雰囲気を感じてディルウィードは膝をついて尋ねた。
「どうなさったんですか」
「こんなことになるとは思わなかったんだ。<大地人>の大地は<大地人>には買えない。それなのに我々は<大地人>の資金で大地を買っている。おかしいと思ったんだ。だから、その資金を彼らに返したんだ。大地を返したんだ」
「この現象に何か関わりがあるんですか?」
「私は、私は知らなかったんだ! 中であんなものを飼っていたなんて!」
「どこか暖かいところで話を聞きましょう。幸い<大地人>に被害は出ていないのです。何か温かいものでも飲みながら、ね」
■◇■
「桜童子よ。これは私のミスだ」
龍眼は<火竜のすり鉢>にいる。
桜童子は今<ユフインの温泉郷>のあたりを進んでいる。
二人を結んでいるのは念話だ。
念話はテレパシーではない。だから龍眼は思念ではなく声に出してしゃべらねばならない。周囲の人間に聞かれてしまうのであるが。
龍眼の周りには作戦参謀のように<Plant hwyaden>の使者が付き従っている。龍眼を完全にマークするためだ。
<フォーランド公爵領>に現れ、幻想級防具をサルベージしたところが目撃されたことから、龍眼へのマークがより一層厳しくなっている。
だから龍眼が発する言葉はとても短い。そして抽象的だ。
桜童子は意図を懸命に汲み取った。
―――<パンナイル>に危機が訪れている。だから対応して欲しい。
そういうことだろう。新年の挨拶とは思えない。
「ディルウィードがいる」
「ああ」
「おいらたちも急ぐ」
「頼む」
念話はそこで終わった。
わずかそれだけの話をするためだけに念話をかけてきたということは、事態は火急であるようだ。
しかし、ディルウィードの名を出しても問題なかったところを見ると、初期消火の段階では中級レベルでなんとかなるのかもしれない。だが、事態はそれだけでは済まず、後に別な消火法が必要となると言っているに違いない。
「悪いがお前ぇたち、温泉でゆっくりするわけにはいかなくなったみてぇだ。少し急ぐぜ」
桜童子は【工房ハナノナ】のメンバーにそう告げた。
<火竜のすり鉢>はカルデラ状の火口周辺域を範囲としたフィールド型ダンジョンである。
龍眼は一刻も早くこちらを終わらせて<パンナイル>に帰還したかった。しかし、それはできない。今帰れば<ルークィンジェ・ドロップス>を使った冒険者錬成システムや<街道防壁>の全てが明るみになってしまう。
だが、この一件は全てを明るみにせず隠密裏にことをすすめてきた龍眼にも問題がある。防衛上の機密を漏らすわけにはいかないと、その全貌を領主にさえ明らかにしてこなかったのだ。この事態は領主を蔑ろにした罰と言えるのかもしれない。
龍眼は苛立っていた。<大災害>当初から気になっていたことだが、<パンナイル>の連絡システムには問題があると感じている。防衛上の問題については龍眼の耳に届くのは早い。しかし商取引に対しては領主にすべての連絡が届くようになっており、龍眼には連絡されないことが多いのだ。
おそらく<パンナイル>領外の買い占めに対して、随分と前から取引がもちかけられていたに違いない。今日昨日の問題ではないのだ。
原因は嫌悪感だ。
身の回りで<不死者>を飼うことに対する嫌悪感だ。その情報を領主には一切知らせていない。だが、錬成システムを活用した者から耳に入るのも時間の問題だったのだ。その嫌悪感から、領主は土地の管理者の心を動かしていたのかもない。そして、今日それが実行されたというだけなのだろう。
ひょっとすると領主さえ関わってないのかもしれない。彼は根っからの商売人で自己の感情や、通例や慣習といった固定観念よりも、損得を第一に考える男だ。でなければ<大災害>直後に<冒険者>である龍眼を重用したりはしない。
怪しむべきは<領主一族>だろう。
土地を管理する者に一部を売却するよう持ちかけたのだろう。
しかし、ここまでの事態が起きるとは思っていなかったに違いない。<不死者>が高速再生される仕組みなど思いもつかなかったことであろう。情報は秘匿してきたのだ。
土地の管理を任せていたユタカという<冒険者>は、実直で野心はなく、女性が苦手で勤勉な男だった。<Plant hwyaden>の脅威もしっかり伝えてきて、寝返りには警戒していた。だが、<不死者>のことは一切伝えていなかった。
だから、<領主一族>の説得に耳を貸してしまったのだろう。
全てを秘匿していたことが災厄の種だったのだ。
この苛立ちは、カムフラージュのために来たこのダンジョンにぶつけるより他ない。想定外にこのダンジョンの難易度は高く、攻略には全滅覚悟の特攻も必要かもしれない。憂さ晴らしにはちょうどいい。
「あの兎耳だったらもっとうまくやったかもしれんな。ハハハハハ! やってやろうじゃないか! さあ、もう一度アタックだ。装備の準備をしろ!」
■◇■
「あなたは土地を売却した。ただそれだけですね」
ディルウィードは男に確認した。男の名はユタカ。龍眼に土地の管理を任されていた男だ。管理といってもしていたことは、二つだ。入退場制限を<冒険者登録>があるたび書き換えること。そして維持費を<リーフトゥルク家>より預かって支払うこと。
「売却した土地が重要なんです。それはどこですか」
長屋のおばちゃんが茶を運んできてくれた。ユタカという中年の男は、おばちゃんがやってきても反応しなかったが、ディルウィードがどうぞというと頭を下げて受け取った。彼は女性が苦手らしく、あやめと栴那にも部屋を出てもらっている。そうではないと話をしようともしないのだ。
おそらくは彼のこの性格が認められ、土地管理係を任されたのであろう。これならハニートラップの心配はない。
「あんなことになるなんて思わなかったんだ」
何度目の繰り言だろう。<冒険者>でありながら錬成システムのことは聞かされていなかったのだ。彼が拉致された場合のことなどを考えたのかもしれないが、それはあまりにもかわいそうなことだろう。
話によると、この売買契約の話が持ち上がっていたのはひと月ほど前のことだったという。<領主一族>に呼ばれて宝珠を使って<アキバ>の冒険者と通信をした。龍眼に相談しようと思ったが、仲介役となった<領主一族>の一人に遮られた。
今思い返せば、あの時から<錬成システム>に対する嫌悪感をユタカが共有するように誘導されていたのだ。徐々に売買契約は成立していった。あとは相手がいつ資金を用意できるかといった段階まで来ていた。
<領主一族>がこの売買に賛成したのが奇妙に思えたが、その立場に立ってみればわかる。
そもそも<冒険者>は不気味な存在なのだ。
その<冒険者>が領土の周囲の土地を買い占め、<リーフトゥルク家>は毎月その土地の維持に多額の資金を捻出している。
そこでなんと動物園のように<不死者>を飼っているのだと噂が耳に入る。おそるべきことに、そこに通いつめる<冒険者>は血と泥に汚れながらより強靭になって戻ってくるのだ。不気味を通り越して忌避すべきものだと感じるのも道理だ。
そこに土地売買の話が持ち上がる。<アキバ>のものになるのでもなく<ナカス>のものになるわけでもない。大地が<大地人>の元に還るのだといえば、小躍りするほど歓迎したくなったに違いない。うまくすれば、売った金が<領主一族>の資金にもなって一石二鳥だ。
ユタカにしても「<パンナイル>の防衛に関係がない範囲でよい」と言われれば、入退出の頻繁な書き換えが必要なゾーンを手放したくなったちがいない。
「<不死者>が暴れまわるなんて思わなかったというならば、おれたちに力を貸してください。おれたちが狩り尽くします」
デルウィードは男の心中を察しながらも毅然とした態度で言った。
「私にはなんの力もない」
「場所と売却した数だけでいいんです」
吐き捨てるように言う男に、ディルウィードはゆっくりとできるだけ丁寧に聞こえるように尋ねた。
「四箇所。場所は、ううん」
「地図が必要ですか」
「いや。ここにメモがある」
四箇所。そこに<ルークィンジェ・ドロップス>が埋めてあるのだとすれば、<不死者>の数は三十二体。倒しても蘇るのだから数を知ってもしかたがないが、同時に存在するのが三十二体だということだ。これなら、おそらくディルウィードたちにも対処可能だ。<フィジャイグ>での経験からくる自信だ。
<街道防壁>に穴が開いたということは、地形の問題で防壁と防壁に隙間があったせいだろう。防壁を断ち切るように<錬成システム>があったとは考えにくい。
それを塞いだのならば、これは、<パンナイル>を包み込む<不死者たちの巣窟>が成立したということだ。
まさか<冒険者>の手によってダンジョンが成立することになろうとは。ディルウィードは心の中で思った。だが、そこに皮肉な気持ちは一切なかった。この気持ちはきっと使命感だ。
「ツルバラくん。これはオレたち<機工師の卵たち>にとっての初クエストだよ」
「ディルくん、相手は<不死者>っしょ! 倒してもキリがないんっすよ」
「キリならあるさ。<ルークィンジェ・ドロップス>を掘り出せばいい」
「そんな簡単に掘り出せるようなところに埋めてるもんかっすよ!」
ディルウィードは準備を始めた。そして不敵に微笑んだ。
「忘れたのかい? ツルバラくん。おれ、まだ<採掘師>だぜ?」
今回は島村不二郎様とみずっちさんと楠瀬さんの3人がゾーンの買い上げに関して知恵を貸してくださいました。
買い上げの経緯を考えると、<領主一族>と<軍師>龍眼の間の軋轢が浮き彫りになってきました。かえってこれで良かったような気もします。
<リーフトゥルク・クライシス>ですから。
あえて言っておきます。
シロエさんは悪いわけではない!
売却しちゃった男も領主一族も悪いわけじゃない!
それでも危機は訪れるのです、ってとこが書けたのでおいら満足。