005 ビグミニッツ、そしてパルムの深き場所
<ユーエッセイ>から<サンライスフィルド>に帰還する道は大きく分けて三つある。
ひとつは<ベップ楽天地>まで戻り、<神代>の高速道路跡を行く、通称「上の道」。
もうひとつは<ビグミニッツ>まで戻り、<ユフインの温泉郷>を通過する、通称「下の道」。
さらに蜘蛛系のエネミーが多いダンジョンを抜け、<恩讐のグロトー>などをゆく、通称「往還街道」。
どの道を通ったとしても山を通過しなくてはならないのが難点だが、風光明媚であるので<冒険者>諸兄には装備を充実させておいて挑んでいただきたいコースである。
コースを行くにあたっては、それぞれに対策が必要なので、ここに簡単に注意点を示しておきたい。
<上の道>は、元が高速道路だったので一部崩壊している部分はあるが、比較的平坦で歩きやすい。ただし、濃霧や雪、強風などの自然現象にまぎれ、PK集団が道を占拠していることが多い点には注意が必要である。また道路を横断する自然系エネミーにも要注意である。<旋風狒々>はもちろん<獅子大王>や<鋼鉄猛牛>などの目撃例もある。
<下の道>は、なだらかに山が続く。<ユフインの温泉郷>までゆるゆるゆるゆると山を登り、<サンライスフィルド>までゆるゆると下っていくコースである。地熱が高く冬山装備は必要はないが深山に生息するエネミーが現れるのが特徴である。時折<フォーランド>から翼竜が飛来して攻撃してくるという不思議な現象の起こるルートでもある。
<往還街道>はダンジョンが連なっているため連戦が必至である。ざっと並べただけでも<コモヤクモ><カラーゲ闇街道><苦悶の雀><ヤバラカン><恩讐のグロトー><スケアクローたちのコア邪馬国>などなど、中期拡張パック<炎の贈り物>以降に立て続けに作られたダンジョンが立ち並ぶ。最後には竜や天狗の住むゾーンを通過しなくてはいけないため、エンカウント異常をもつ桜童子擁する【工房ハナノナ】にとってはかなり面倒に思えるコースである。
結局、のんびりしつつ気が向けばまた温泉に入れば良いという考えから【工房ハナノナ】が選んだのは「下の道」であった。
そうしてやってきたのが<ビグミニッツ>である。
文化の波及が遅れに遅れたこの東の町は、もはや何もないことが特徴であるのかもしれない。
この町に住む<冒険者>たちはスローライフというべきか、ノンエキサイティングライフというべきか、ともかくゆったりとした時の流れに生きることを選択したのである。
ある集落の様子を見てみよう。
<冒険者>の一人が珍しい魚を捕まえて、<黒狸族>の店主が営む店に売りに行く。店主はそれを買い取り、別の好事家に売りつけるようだ。店内には各地の貿易品が並べてある。
<冒険者>は今までにちびちびと貯めた金貨と引き換えに、ツボらしきものと花の種を手に入れた。そして自分の住居と決めた廃屋にそのツボを置き、庭と呼ぶべき空き地に種を植えた。そのツボは<黒狸族>の店主が<パンナイル>製と偽って置いてあったガラクタだが、<冒険者>にとってはどうでもよいことらしく満足げな表情を浮かべていた。そして今度は日が暮れるまで虫捕りに興じるらしい。
こんなことをこの半年間続けてきたのである。
彼のみならず、この地域の<冒険者>の多くが同じようにして過ごしていた。
そこにこの世界の楽しみ方を見出してしまったというのは、この何もない町では当然のことかもしれないし、幸せなことかもしれなかった。
しかし、そんなささやかでつつましやかな幸せを壊そうとするものが現れるのは世の常である。
お気に入りの虫捕り場、お気に入りの魚釣り場にどうしても入れなくなったのだという。見えない壁があるようで弾かれてしまうのだそうだ。
そんな話を【工房ハナノナ】のメンバーは、果物を売る<大地人>から聞いた。
こんなときにじっとしてはいられないのがたんぽぽあざみである。
「アタシ、ちょっと見てくるわ」
在住の<冒険者>と<大地人>に連れられて、件のポイントに行ってみる。
<上の道>に沿って南下すると、<ビグミニッツ>の中でも南の端の方まで来た。中流域の広めの川原で、左岸には森が見える。
森から染み出した清らかな滝が、小さいながらも岸壁から滔々と流れ落ち、あたりの空気に水気を含ませている。冬とはいえ日差しが強いため<冒険者>の肌には風がひんやりと心地よい。これが<ナインテイル>の冬だ。
ここは先ほどの暮らしをするには、もってこいの場所であるだろう。橋の横に小屋がある。その脇の小道から川原に降りられる。まだ見えない壁というのは現れない。
川原に降り立ってしばらく歩くと、川に見えない壁があるのが分かった。どうやら林の方まで続いているようだ。
「おい、オンナ! ダレのキョカをもらってそこにオりてんだ」
小屋から<豚醜鬼>のような男が出てきて叫んた。あざみを案内した<冒険者>も<大地人>もあざみを置いて逃げ出した。
「あん?」
あざみが振り向くと、<豚醜鬼>のような<森呪遣い>は声を上げて驚いた。
「お、おマエはあのトキのオンナ!」
「アタシはアンタのこと知らないんだけど」
「オレはオボえてるぞ! オレたちを<ナカス>おくりにしたオンナ!」
あざみはステータスを確認した。
「<フォレストバンデッツ>。ああ、そうか、<盗る森呪遣い>ね。血腥い斧の男か。これなんの真似?」
あざみは刀の柄に手をかけながら聞いた。川原の石がジャリッと鳴る。一足飛びに距離を詰めることも可能な位置だ。<森呪遣い>は一歩退く。
「オンナぁぁああ! ソコをうごくなあああ!」
そう叫ぶと腰につけた斧の一つを外してあざみに突きつけた。
あざみは<大災害>から間もない頃、この敵に出会っている。<フォレストバンデッツ>は<上の道>を根城にしていたPK集団だ。
あざみが一人で<ユーエッセイ>から<サンライスフィルド>へと向かっていたところを襲われ、HP残量わずか一という危ういところまで追い込まれた。
だが、従者を含む全員をあざみ一人で葬った。あれから半年も経っている。実力差なら随分とついているだろう。
「ここはオレタチのリョウチぃぃ! おマエはもうトラワれのミぃぃいいい!」
<森呪遣い>は斧を振ってわめき散らす。
あざみが距離を詰めた。
しかし空中で見えない壁に柄尻が当たって、あざみは刀を抜くことさえできなかった。
「きぇーっきえっきえ! おマエはもうトじコめられた! トじコめられたんだー!」
そう言ってもう一度高笑いすると、指をさしてさらにわめく。
<フォレストバンデッツ>はこの川原を購入して、退出の制限をかけていた。
川に入れないように入場制限をかけているのだとあざみは思ったが、この男の叫び声でそれは違うとはっきりわかった。ゾーンの中に閉じ込められているのだ。
「おマエに<ナカス>にオクられたせいで、<フォレストバンデッツ>はメチャクチャだぁあ! <ミナミ>にイったヤツもいるし、ピーケーやめちまったヤツもいるぅ! オレはもうココにもどってくるだけでタイヘンだったんだぞぉおお! ためたカネでココをかいとったんだ! とおりたけりゃツウコウリョウはらえ! いや、もうそのカラダ、ヤツザキにさせろぉおおお!」
斧を両手に持つ。凶相が顔に浮かぶ。悪鬼のような心根が形相に表れて<豚醜鬼>のような醜い表情になってしまっているらしい。
「あ、にゃあちゃん? てへ、今ピンチなんだー。そうそう。お金貸してもらってもいいかなあ」
男の声をまるで無視して念話をするあざみ。
「このオノはぁあああああ! このカベをツウカできる! ツウカできるのだぁああああああ!」
<森呪遣い>は斧を振りかぶって思い切り投げつけようとしている。<フォレストバンデッツ>にゾーンの入場制限はかかっていない。つまりあざみが刀を投げつけようともゾーンの外側にいるこの男に届くことはないが、この男が投げつける武器はあざみに届くのである。
<森呪遣い>は斧を投げる。
攻撃が当たって血が吹き出す。
しかし、首を切られて血を吹き出したのは<森呪遣い>の男の方だった。
あざみはすでにゾーンの外に立っていた。
あざみの背後で、男は叫び声とともに泡となって消えていった。
「また背後からアタシを狙うつもりなの? どうやってるかは知らないけどうまく変装したもんだね。<暗殺者>さん」
刀を水平に突き出して橋の方に向ける。
あざみは聞き逃していなかった。あの男が「俺たちの領地」と言ったことを。
橋に隠れて様子を伺っていた<大地人>が変装を解いた。
砂嵐のように像が乱れたと思うと<暗殺者>の姿に戻る。
にやりと笑ってどこか遠くに消え去っていった。
彼も<フォレストバンデッツ>の一味で、あざみのHPを残り一まで追い詰めた張本人だ。だがあざみの刀<一豊前武>で刺し貫かれたことを怨みに思っていたのだろう。あざみの命を狙い、何らかのアイテムを使って<大地人>に化けてこのゾーンに誘い込んだのだ。
もうひとりの<冒険者>は、本当に怯えて逃げ出しただけの無関係の者だったようだ。
「ふう」
あざみは息を軽く吐き出した。
この世界において、ゾーン買い上げによる<監禁>は絶望的なまでに恐ろしい行為だ。
だがそこから脱出するための方法はいくつかある。
咄嗟に思いつくのは「ゾーンの購入者に制限を解いてもらう」ことである。これは協力者がいれば可能な方法だ。だが、この場合のあざみには不可能だった。制限解除のために相手を説得または脅迫する手は何もなかったのである。
次に思いつくのが絶望的な選択肢であり、<監禁>が恐ろしいと言う所以である。
自決である。そうすれば、煌く泡となって大神殿へ行くことができる。
だが、そこまで思いつけば次の方法に気づくであろう。
それが<帰還呪文>である。それならば<ナカス>に辿りついてしまうが、脱出自体は可能だ。
こういったときのあざみは、さらに思考を飛躍させて正解に手を伸ばすことができる。
それが<ゾーンの再購入>だった。
<フォレストバンデッツ>よりも高い値で買い取り、制限を無効にしようとしたのである。
ただ、不思議なことに再購入のための相手への許可申請を出している最中に、ゾーンの退出制限が解除されて、スッと外に出られた。
「ま、いっか」
ゾーンの購入自体は悪ではないとあざみは感じている。
川を目の前にしながら流れる水に触れられない、森を見ながら木陰で休めない、そんなもどかしさはあるが、壁に触れている間は、あざみは手出しする気もなかった。
監禁して襲うなどといった卑劣な行為さえしなければ。
あざみは川を渡る風に髪をなびかせながら、ドウドウと落ちる滝の音を聞いた。
■◇■
滝を落ちる水の粒が、全てキラキラと軽やかな音を立てる鈴になれば、この庭園に満ちる音になるだろう。日の光を反射する川面の波が、全て金に変わればこんな色になるだろう。
実際、この庭園を流れる川は全て金貨の列なのだ。おびただしい音と光の渦の中に立っているのは、<アキバ>の冒険者、<記録の地平線>のシロエである。
轟々と鳴る巨大な歯車。すくい上げてはキラキラと音を立てて導路に金貨をこぼしていく昇降機。はずみ車はよどみなく回り、ピストンは止むことなく上下する。
金貨はそれらの力を受け下流へと押し流されていく。複雑な機構がこの庭園に金貨の河を作り出しているのである。虚空から現れた金貨はこの河の流れに乗って運ばれ、やがて再び虚空へと消えていく。
ここは<パルムの深き場所>である。
<自由都市同盟イースタル>の北部、純白の雪が覆い尽くす<ティアストーン山地>のその地下奥深くにその場所はある。
その底の底、誰も来たことのない、誰も見たことのない場所にシロエは立っている。
わずか一五パーセントの勝機にかけて不死者たちの猛攻をしかけ、そしてようやくこの場にただひとりで立っている。
踏み出す足は震え、どちらが天地か分からなくなりそうな目眩も感じる。プレッシャーだ。この回廊の先に待っている者への畏れだ。期待と希望と憎悪と信頼をその身に受けながら、これから待つ試練を乗り越え成し遂げなければいけないという使命感だ。
一度眼鏡を指先で押し上げて、冷静さを保つ。そしてニヤリと笑う。これはルーティーンだ。考えうる限りの可能性を考えつくし、最上の考えにたどり着こうとするときに必要な一連の動作だ。これで体をこわばらせる精神の呪縛が解ける。
回廊の側には花が咲き、緑が茂る。池を覗くと金貨がずっしりと沈んでいるのがわかる。ここは滅びた戦士たちの墓標である。渦巻く光と音の中に荘厳な静けさが宿る。
シロエを待ち受けていたのは<供贄>の菫星である。その態度は歓迎でも臨戦態勢でもない。言うならば沽券だ。ヤマトを守らなければいけないという気概がこの品位を生み出しているのだろう。その目にあるのは警戒と恐怖を内に孕んだ威厳だ。
その菫星と沽券を取り交わそうとしてシロエはこの地に足を踏み入れたのだ。
沽券とはそもそも「土地の詳細と値段を書いた売買契約書」のことを示す。
菫星はシロエに祝福とも警告とも予言ともつかぬ。太祖の言葉を語って聞かせた。
シロエは再びルーティンとしてメガネを押し上げる。
菫星の目の前で売買契約書を取り出し、それを引き裂いてみせる。
「僕たちは、このヤマトの地表すべてのゾーン、森林や、山脈や、湖、近海などのすべてを購入したく思っています。そして、購入した全ては先ほどと同じように、速やかに破棄、譲渡します。今証明したように、購入したゾーンの所有権を破棄、すなわちヤマトに譲渡すれば購入額は返金されます。・・・・・・ヤマトの大地はヤマトの手へ還るべきです」
菫星は動揺していた。しかしそれを必死に押し隠している。噛んだ下唇は血の気が失われそうなほどだった。
この契約術式をもって全てのゾーンの購入と所有権の破棄、及び譲渡は難しい。建造物サイズのゾーンに関しては当面このままでいいと考えている。だが、シロエは少なくともすべてのフィールドゾーンを「所有されることのない状態」に固定化するつもりだ。
シロエは黄金の乱反射に目を細めながら、キラキラと落ちる金貨の音を聞いた。
<大災害>後、初めて迎えた新年に、<記録の地平線>のシロエはこの途方もない黄金の河の流れを必要なだけ使うことで、フィールドゾーンをヤマトに返還する道を確立した。
しかし、この後行った交渉が、<パンナイル>における<死霊たちの狂乱事変>の直接の引き鉄だったとは夢にも思わなかったに違いない。