011 オルゴールを回してろ
<パンナイル>の東端には、過去の<パンナイル>領主たちの執政の地<グローリーシンク城址>がある。
現在は<リーフトゥルク家>一族が暮らす大きな屋敷となっている。こちらこそが、軍師である龍眼をあまり良く思っていない者たちが住まいする場所である。
逆に、現領主ライブライト氏もこの口煩い一族を快く思っていないのか、ここよりもっと西の田園に囲まれた辺りに屋敷を構え、この<グローリーシンク城址>を睨む位置に<ドンキューブの森庭園>を置いている。これは<冒険者>の斡旋施設でもある龍眼の屋敷だ。そのため、このあたりには<冒険者>の居住地が多い。
<ヒミカの砦>から街道沿いに<神代猫>が<パンナイル>にやって来たならばまっさきにたどり着くのが<グローリーシンク城址>になるであろう。元々<冒険者>を快く思っていないのだから、領主一族たちは周囲に<冒険者>が多いからといって安心するわけがない。
先程、<グローリーシンク城址>側では動きがあった。
西側の<不死者たちの騒乱>事変。北東<ヒミカの砦>から<神代猫>の南進。加えて何者かによる<ドラゴンメーカー寺>の破壊。このような連絡を受けて<リーフトゥルク>一族は世にも奇妙な抵抗策を取った。<グローリーシンク城址>を水没させたのである。
逆コの字になった堀に水を満たし、居住空間など重要な施設だけがぽっこり水の中に浮かんでいる。もともとそういう設計だからこれを実行すること自体は容易だが、これを行うと決定することには大変困難な決断があったに違いない。それでもこれほどの決断を彼らにさせたのは龍眼の存在であったに違いない。
<不死者たちの騒乱>事変を招いたのは龍眼だといえる。
<ヒミカの砦>に中級<冒険者>を派遣させたのは龍眼である。
<ドラゴンメーカー寺>破壊は龍眼とは関係ないかもしれないが、<龍>の旗印を背負うことが龍眼を想像させる。
言いがかりじみたものではあるが、目の上のたんこぶの位置に庭園を構える龍眼への恨みこそが、強固な水没策に走らせたのだ。
水没策は自らを守るためのものではあっても、民を守るものではない。つまり領主一族は<パンナイル>防衛に「我関せず」の態度を貫いたのである。「どうせ<冒険者>のやったことが原因なのだろう。その責任はしっかりと取れ」と言いたいわけなのだ。
【工房ハナノナ】の一行は、<グローリーシンク城址>のやや東の交差点めがけて走り続けている。<パンナイル>に入る前に<神代猫>を食い止める目論見である。<サンライスフィルド>からはフルマラソン級の距離である。そうでなくともずっと歩きづめであるから、できる限り侵攻を食い止めておいて欲しいというのが正直なところである。
河を超えたところから南西に向けて走っているが、ハトジュウだけは真西に飛ばしてある。イングリッドの様子を真っ先に心配したハギの判断である。距離が離れればMPの消費が増えるようだが、それも仕方がない。
しかし、ハギはイングリッドを発見する前にとんでもないものを発見してしまった。
<ヒミカの砦>の入り口に<大地人>貴族の姿が見える。その貴族が見据える先がとんでもないのだ。その貴族は北側の山を見つめてほくそ笑んでいる。その山の峠付近に数十人、いや百人近い数の兵士が行進しているのが見える。
ハトジュウの目を通して、ハギはマルヴェス卿という男の恐ろしさを感じ取っていた。そして、若手を起用した合同<ヒミカの砦>攻略作戦の全貌を理解した。
イングリッドたち<Plant hwyaden>の若手には、広告塔となり<ナインテイル>の冒険者を勧誘するのが目的だと言っていたに違いない。だがそれすら建前だったのだ。
実際は、<神代猫>をダンジョンから解放して<パンナイル>を襲撃し、参加した<パンナイル>冒険者に汚名を着せた上、<リーフトゥルク家>の信用を失墜させるのが第一の狙い。さらにその事態収拾と称して百人規模の兵士を<パンナイル>に送り込むのが真の目的であったのである。
無能を言い渡し、悪行を喧伝し、そこに百人規模の兵力を駐屯させる。そして<ドラゴンメーカー家>や<リーフトゥルク家>が過去そうしてきたように、領主のすげ替えを狙ってきたのだ。そうして新しく<パンナイル>を治めるのはマルヴェス卿。これこそが彼が<アキバ>侵攻失敗の汚名を返上する雪辱の図式なのである。
「龍眼さん! よかったつながった! ハギです。このままじゃヤバい。まずは<リーフトゥルク家>領主の保護を!」
(話は聞いている。ライブライト氏ならば先刻保護できた。クロネッカくんの足じゃなきゃ無理だった。危ないところだった。だが、今そこにある危機に対応できるのは、ハギくん、君たちしかいない。西の育成ゾーンではディルウィードくんが活躍してくれているようだ。【工房ハナノナ】には頭が下がる)
「いえ、そんなの構わないですよ。ですけど厄介ですね。<二十四人戦級>のボスに百人の兵士。こっちは無勢ですよ。まあ、やるしかないですけど。あ、こっちに近づいてきたようです。では」
(よろしく頼む)
「ハギさーん、これでいいですかー!」
サクラリアが向こうで手を振る。ユイと一緒に木にロープを結わえているのだ。そこにハギの護符を貼り付けていって簡易の結界を作っていこうという算段である。
ただし、<神代猫>に効いたとしても、カイティングを行っている<武士>や<守護戦士>が武器で断ち切ってしまえばおしまいだ。だから、気休めというよりほかないであろう。
「ハギしゃーん! こっちば来てくれたとですね!」
<召喚術師>の喚んだ龍にまたがって<神代猫>に魔法を一撃食らわせながらイングリッドが叫ぶ。怪獣級の黒猫は後ずさるもののまた<守護戦士>のヘイトに引きずられて前進していく。後方から攻撃を食らわせてもそのヘイト全てを<守護戦士>たちで肩代わりしてしまう。力の差のある綱引きを見ているようだ。
「これは、どう見ても」
あざみが心のスイッチを切り替えたようだ。
「あの<守護戦士>と<武士>を倒すのが得策なんじゃねーの!?」
バジルもナイフを準備をした。そして一気に駆け出す。あざみとバジルの足は恐ろしく速い。一気に距離を詰める。
しかしもっと早いのがユイであった。師匠譲りの<ワイバーンキック>による移動で一気に<守護戦士>英次郎の足元まで飛び込んだ。そして伸び上がるようにして<タイガーエコーフィスト>を放つ。
咄嗟にガードした英次郎の盾を粉砕した。
「こいつ!」
バックブローのように武器攻撃に出るが、ユイは足元を転げるようにしてその場から逃れる。
「何モンだ!」
立ち上がったユイは身体から闘気を放っていた。心底怒っている。
「オレは<古来種>になる男、ヴィバーナム=ユイ=ロイだ! この豊かな大地を荒らし、民を虐げるつもりなら容赦しねえ!」
そのユイに<武士>ダイモンジが襲いかかる。
「おおぅっとー!」
割って入ったのはあざみである。
「ちょっとアタシと勝負してよ! 正月からアタシ怠けてたから腕落ちてないか心配なんだよねー」
そこに<フリージングライナー>が襲いかかってくる。<神代猫>を砦の外に押し流した<妖術師>スワロフの強力な妖術である。これは最初からハギの読み通りで結界術で阻むことができた。
<ディスインテグレイト>遣いのメレダイアがガリガリと地面を削りながら迫る。この技は物質分解の能力で、砦を破ったのもこの技だ。これは即死判定もあるから進行方向に立っているシモクレンが危ない。
メレダイアの足元にナイフが投げられ、境界線のように地面に突き立つ。
「うおっと、これ以上は立ち入り禁止だ」
「バジルはん」
「悪いがPvPならちょっとオレ様自信あんのよ。<バジル=ザ=デッツ>。知らない?」
「バジルはん、危ない!」
「うぉっち」
<神代猫>の鉤爪が側面から襲ってきたのだ。気まぐれな攻撃があるらしい。
「ちょ、横槍はやめてくれー」
空からハギたちの背後に回り込んだイングリッドが軽やかに着地する。
「やっと会えたね、ハギさん。本当に運命かもって思うわ。来てくれてありがと」
「きっと運命ですよ、イングリッドさん。あの人たち<Plant hwyaden>ですよね。だからイングリッドさん直接攻撃できなかったんでしょ。ではこっちは任せて、みんなで<神代猫>ってエネミー、ここから引き剥がしてもらえませんか?」
「ひゅー、めっちゃ頼りがいあるぅ! だからハギさん好いとうっちゃん」
「急いで」
「まっかせてー」
金髪を艶やかになびかせて龍にまたがるイングリッド。ヤクモが手を振る。
「イングリかっこいい!」
「イングリッドよ! お嬢ちゃん!」
「おっと、邪魔させないにゃよ。リアにゃんの方が詠唱早いにゃ」
巨大黒猫の横でこっそり援護歌を唱えていたあるみーを山丹とイクスが追い詰める。
山丹の吠える声にあるみーがちょっと体勢を崩した。それがサクラリアの<グランドフィナーレ>を着弾させる結果となった。まだ倒れていない。イクスが間に髪を容れずナイフで止めを刺す。あるみーは虹色の泡になって消えていく。
「悪いにゃ。リアにゃんがユイにゃんの所に真っ先に行かなくなったのがアンタの敗因にゃ、って知る由もないにゃね。おーい、イクスはあっちののっぽ黒猫ちゃんを引き離すにゃねー」
「おーい、元気かい。ドリル男」
舌をぴろぴろと動かして狼面のバジルが相手を挑発する。メレダイアは体に無数の手傷を負っていた。そして多くの状態異常も付与されている。
「あっちはひとり片付いたみたいだぜー。おたくらの仲間はおめえさん含めてあと四人。早いところ逃げちゃった方がいいんじゃないのー」
メレダイアは<妖術師>ながら接近戦がメインなので中距離のバジルとは相性が悪い。
「お互い連携してるならまだしも、一対一ならそうそう負けないよん。オレ様たちはぁ」
「ほざいてろ。どうせ貴様らの命はカウントダウンされている!」
「あん?」
「俺たちは時間稼ぎに過ぎねえさ。気づいてるか。貴様らはこれから訪れる百の軍勢によって蹂躙されるのさ。一対百となったら本当に負けないでいられるかな。ふはははは、はっはっはっはっは」
メレダイアは苦しい息の中、毒づいてみせる。
バジルからおどける様子がなくなった。
「どうだ、ビビったか。ビビったのか、臆病狼ー!」
メレダイアは挑発する。自分の状態悪化を解くには、完全に距離を取り、様々な水薬を飲まねばならぬ。だが、回避低下まで付けられたこの脚では一発逆転を狙った方が得策だ。
「来てみろよ、腰抜け! ビビって逃げるんなら今のうちだぜ!」
「自分が捨て駒だと気づいて、それにふさわしい演技をする。ロールプレイヤーとしてならおめえさん、一級だぜ。それじゃあ礼儀としてオレ様も一級品の技で答える。おめえさんに華々しい最後を贈ろう」
「腰抜け野郎が! 来るなら来い」
メレダイアは内心ほくそ笑んだ。バジルは勝ち誇ったのか「百の軍勢」という言葉に焦ったのか突っ込んでくる気だ。
「先に予告してやるぜ。今からおめえの体にマーカーを追加設置する。瞬きするなよ」
その瞬間、ふっとバジルの姿が消えたように見えた。だが、強烈な脚力で前進しただけだ。メレダイアはバジルの頭に<ディスインテグレイト>を叩きつける。
だが空振りした。
メレダイアは驚愕した。いない。どこにもバジルがいない。
ふと気づくといつの間にか自分が違う方向を向いている。
その視線の先にはサクラリアがいた。
<夢見る小熊のトロイメライ>。
サクラリアの歌は、対象を<吟遊詩人>に引き寄せるというものだ。メレダイアはその歌に引き寄せられ、無意識に別方向に踏み出してしまったのだ。
それに合わせてバジルが<ライトニングステップ>で急激に敵側面に飛び込むという連携攻撃であった。決め技宣言をしたのも<夢見る小熊のトロイメライ>の時間調整のためだ。
「一対百が卑怯じゃないなら。二対一も卑怯じゃねえだろ」
バジルの声が聞こえた刹那、メレダイアの体が凄まじい爆発に巻き込まれる。
<ブレイクトリガー>。
<盗剣士>の中でも魅了される者の多いフィニッシュ技である。ただし、バジルが使うことは滅多にない。だが、この局面で使うことには意味がある。
花火のような爆発にダイモンジもスワロフも英次郎も、一瞬そちらに意識を奪われたのである。
その瞬間あざみはダイモンジを切り伏せ、更に大跳躍でスワロフの懐に飛び込む。
ユイがかかと落としの<ライトニングストレート>で英次郎を倒すのと、あざみがスワロフの体を両断するのは同時だった。
「オルゴール回してやがれ」
泡と化し大神殿に還る魂魄たちを見送ってバジルは吐き捨てた。
「まーだまだ、お楽しみはこれからにゃ! こっちの猫ちゃんなんとかしなきゃにゃ!」
<神代猫>の近くでイクスが手招きする。
「それどころじゃねえよ。イクスちゃんよぅ。その猫ちゃんの後ろにゃあ百人の敵が待っているらしいぜえ」
バジルが溜息とともに厭そうな表情を浮かべた。狼面なので実際に表情が変わったわけではないのだが。
「問題は、この<神代猫>と戦っている最中にその百人がやって来たらってことですよね」
ハギが言葉を添える。
これまで桜童子の異常エンカウントのせいで、【工房ハナノナ】のメンバーたちは大量の敵との戦いには随分と慣れている。ただし、今までのそれは統制のとれた敵ではない。今度の相手は自分たちと同じ思考力を持つ人間百人なのだ。
「まあ、臆することないけどねえ」
あざみは言う。彼女が集団戦闘が得意なのは確かだ。
「オレ様、ムカつくやつをいたぶるのは大好きなんだけど、どうにも気乗りしねぇな。逃げてもいい?」
「逃げてどうなるもんじゃないでしょ。やるだけやりましょう」
ハギが覚悟を決めると、ヤクモが楽しそうに言った。
「ヤクモもするー!」
おや? とハギが眉をゆがめる。
「足止め程度にしかならへんでも、<パンナイル>の人たちが逃げる時間にはなるやろ」
シモクレンは悲痛な面持ちで言う。
「レンさん。ひょっとしたら、何とかなるかもしれませんよ。とにかくボクらは<神代猫>に全力を尽くしましょう」
ハギはヤクモを見つめてそう笑った。ヤクモもにっこりと笑った。




