001 逃亡者たちのP-エリュシオン
<Plant hwyaden>が実効支配する<ナカス>の街と【工房ハナノナ】が根城とする<サンライスフィルド>の町とを結ぶ直線上に、有名な二つのポイントがある。
ひとつはヤマト最大級の怨霊を祭ったとされる<火雷天神宮>。
もうひとつが<ナインテイル九商家>と称される<アキヅキの街>である。
<火雷天神宮>は神殿様のダンジョンである。このダンジョンには参道側から攻略に入る通称「表願掛け」と、裏手の古代兵がいる場所から攻略を開始する通称「裏願掛け」の二ルートが存在する。しかし、どちらにしても、最終地点にいる守護神が超強大で、そこまでで大概のパーティが全滅を経験する。ただし、<ナカス>からほど近く、弓アイテムや護符アイテムが入手できるとあって、途中まででも、とチャレンジする<冒険者>は少なくない。
<アキヅキの街>はそこから南東に進んだところにあり、街の中心地は若干北側にあるのだが、ほぼ<ナカス>と<サンライスフィルド>の中間地点にある。春になると桜が美しい街であるが、<大災害>はすでに散ってしまった後だったので、今度の春は多くの<冒険者>が集ってくるかもしれない。それでなくても若くして領主に就くことになったエレオノーラ嬢に一目会おうという者がいるくらいである。
そんなに有名な地点で結んでいる地域ならば、<ナカス>と<サンライスフィルド>はさかんに交流があってもおかしくないようであるが、実際のところは途絶している。
<ナインテイル自治領>に暮らすものならば理解しやすい感情とも言えるであろうが、<サンライスフィルド>も【工房ハナノナ】も、<Plant hwyaden>の支配に対して恭順の意を示していないのである。そもそも【工房ハナノナ】は人員からすれば零細ギルドであるし<サンライスフィルド>は小さな村なので<ナカス>側は歯牙にもかけていない。
もうひとつ理由を挙げるとすれば、地形的問題である。河川沿いの道は封鎖されている上に、<アキヅキ>のあたりから山が続くため、山道を行くか、川を筏で遡上するよりほかないのである。山道の方は大天狗が住まうとされるゾーンが途中にあり、誰もが敬遠したがるところである。川は安全かというとそうではない。未だに川沿いにはPK集団もいるから、遭遇してしまえば矢が飛んでくるのを避けられない。
それでも<アキヅキ>から<サンライスフィルド>を目指す集団があった。
彼らは<ノーラフィル>というギルドに属する、それほどレベルの高くない冒険者四名である。
<アキヅキ>を治める若い女性領主の派遣した<冒険者>である。ノーラフィルとは領主の<エレオノーラ=ルナリエナ=クォーツ>を熱烈に愛する人という意味の<Eleonora-phile>から来ているという。彼らのようにうら若く美しいエレオノーラ嬢を慕う<冒険者>は少なくない。
<アキヅキ>に集う<冒険者>、そのほとんどが中程度の熟練度しかもたぬ者たちである。これは、<アキヅキ>がプレイヤータウンにほど近く、ゲーム時代から初・中級レベルのクエストの基点になっていたことが大きな原因になっていると言える。
手紙を渡す、低レベルエネミーを掃討する、鉱物や薬草・ドロップ品を採取する、といった単純なクエストのご褒美として、<アキヅキ>の姫の多彩な褒め言葉と蕩けるような微笑みがあればもう何も望まないというプレイヤーがかなりの数いた。
エレオノーラ嬢は<エルダーメイド>を側において身の回りの世話をさせているようだが、それ以外ならどんなことでもお役に立ちたいといった者たちが<ノーラフィル>を結成し、エレオノーラ嬢のお願いを果たすためだけの存在となっている。
彼らが山越えで<サンライスフィルド>を目指したのも、エレオノーラ嬢の「何とか東側に交易ルートを生み出せないものかしら。そうだわ、ウパロさん、ゴシェナイト卿、チャロくん、ルチルちゃん。ここから東がどうなっているのか調べて欲しいのですけど、お願いできますか?」という呼びかけに「喜んで!」と応えたためである。
残念なことに<ノーラフィル>のメンバーは地図を持っていなかった。そのため、途中にドワーフの小さな村がある比較的安全な山道ルートの入り口で右折し損ねてしまった。
無理もない。十二月の末だというのに、生い茂る緑は青々として道を覆い隠していたのである。
ついには<神代>の鉄道跡がわずかに認められる山岳ルートに足を踏み入れてしまったのである。
彼らの前に立ちふさがったのは、<天狗の眷属>である。眷属ということはモブキャラに過ぎない。
だが、レベルが五十そこそこの<冒険者>には、レイドエネミーとして映るほど強大なものに感じられた。
ゴシェナイトは、甲冑姿で大剣を構える。しかし、翼で軽く打ち据えられ剣を取り落とす。
ルチルは、腐食性のカビを植え付ける<フィアースモールド>狙いで短剣を振るうも、扇のひと煽ぎで全く届かないような位置まで後退させられてしまう。
チャロは<暗殺者>らしく<ステルスブレイド>を狙うが、ゴシュナイトのヘイトコントロールが上手くないので、技が出せない。
ここはもう<付与術師>であるウパロの技を逃げ技に使うよりほかにない。
「<ソーンバインドホステージ>! 逃げるぞ、みんな!」
登り坂では猛ダッシュしてもまるで距離は開かない。
追いつかれる頃にはさらに眷属を呼ばれ、なんとか一撃食らわせても逆に手傷が増える。仕方なく、瑠璃色の茨を設置しては逃げ、追いつかれてはまた攻撃を繰り返してなんとか下り坂に入る。
天狗倒しという現象をご存知だろうか。
山中で木を切り倒すような激しい音がするも、現場には一切何もないという怪現象で、空木倒し・古杣などとも呼ばれる。
何もこれはセルデシアのみで起こる現象ではなく、現実世界でも山を生活の場とする地域ではよく知られる現象である。背後で木の倒れるような大きな音がするので逃げる四人は気が気ではない。
さらに石礫が雨のように降ってくる。もう転がるように坂を駆け、どこをどう走ったかわからないが、死に物狂いで山あいの町<サンライスフィルド>に到る。
この街にまで天狗の群れはついてきてしまった。本来エンカウントがほぼ起きない地点であるため、天狗たちが<大地人>たちの住まうこの静かな町に下りてくることはほとんどない。しかし、MPK(モンスターを使ったプレイヤーキル行為)のように、天狗たちをひきつけてしまったため、<サンライスフィルド>の町は騒然とした。
<大地人>たちは子どもたちを抱きかかえ、家に飛び込むと、ぴしゃりと戸を閉めた。四人が助けを請いたくとも四人以上の強さを持つ者はいない。<サンライスフィルド>はレベル九十の上限を超えた<冒険者>を何人か抱える【工房ハナノナ】の本拠地であるが、残念なことに今は他の地にいる。
四人は息も切れ切れで街を走りぬけ、目立った建物の中に逃げ込む。
そこは<P‐エリュシオン>と名付けられたゾーンであった。大きな文化施設跡は、植物や石、木材と布と鉱物など、異質な材料で作り直され人が住めるような場所になっていた。
ゾーンの所有者は件の<冒険者>集団【工房ハナノナ】である。
<ノーラフィル>の四人が命からがら逃げ込んだのは、【工房ハナノナ】のギルドホールとして買い上げた場所なのである。
ゾーンの中にはエネミーは入れない設定になっている。四人がギルド以外のメンバーであるのにゾーンに入れたのは、【工房ハナノナ】自体がギルド未加入のメンバーを抱えているため、ギルドメンバー以外の入場を許可しているためだ。
こうなると腹立たしいのは天狗たちである。
一声あげたかと思うとどこから運んだか、礫のように大木を降り注がせた。直接建物には投げつけたわけではないが、そのうち一部が跳ねて建物の一角を壊し突き刺さったものもある。丸太の多くは<P-エリュシオン>周囲を取り囲み、バリケードのようになった。要するに嫌がらせだ。
丸太ばかりではなく、石礫もバラバラと降り注いだが、これも跳ねたせいで屋上庭園の樹木の枝をへし折ったり、壁に穴を開けたものもある。
<ノーラフィル>のメンバーは、そのいつまでも続く雷のような大音声に震えながら、ロビーの一角にある「楽四葉土」と墨書された板の前で長いこと身を寄せ合っていた。