無念
春の全国大会は、そこに出場することが叶わず涙を飲んだ高校同士で争われる県大会と同時期に行われる。当然、世間の注目度は地方で細々と行われる県大会などより全国大会の方が段違いに高い。各地域を制した代表が一堂に集い、それぞれの力と技をぶつけ合う様はテレビ中継を通して全国のファンを熱狂させる。
私達はそんな高校野球界におけるピラミッドの頂点を観戦すべく、学校の視聴覚室を貸し切っていた。部室にテレビがあれば良かったのだろうが、生憎そこまでの設備は揃っていない。
「うお……今のコースを打ち返すのかよ……」
「しかし、完璧に捉えたことで当然速い打球となったにもかかわらず、野手は平然と捌いている。流石に全国となるとレベルが高いですね」
清先輩と千春先輩の生唾を飲み込んだような声がテレビの音しかない部屋にこだました。画面上で繰り広げられているのは第一試合。その高次元なプレイに部員の誰もが釘付けだった。走攻守全てにおいて、画面越しにもハッキリと伝わるレベルの高さがそこにはある。
しかし、だからといって怖じ気付くわけにはいかない。いずれは私達もあの舞台でやらねばならないのだ。そしてそれはきっと不可能ではない――今はそう信じて前を向くしかない。
その時、何かの震える音がした。
「ごめん。私だわ」
それは隣に座る捺先輩の携帯だった。どうやらどこかからの着信らしい。画面を操作し、その場で端末を耳に当てた。その表情にはいささかの曇りも見られない。あくまで冷静に『次』を考える目をしている。
『ちょっと、捺!』
しかし次の瞬間、その目は電話越しの金切り声に細められた。隣の私にまで聞こえてくる大声。
「悠莉ね。ちょうど今からあなたたちの試合を見るところよ。全国の舞台、緊張するでしょうけど頑張ってね」
電話の相手は、これから第二試合に登場する天神商業のエースナンバーであり中軸も務める平悠莉のようだった。彼女は捺先輩、そして直子先輩と旧知の仲らしい。だからだろうか、捺先輩からは少し和やかな空気が感じられた。
『そんなのはどーでもいーのよ! いやどーでもよくはないけど! それより!』
電話越しの相手は声量変わらず早口で捲し立てる。今しがた捺先輩が気遣った緊張についてはどうやら杞憂らしい。
しかし、その声は不意に止む。そして直後。
『なんでアンタたち、トーナメント表にいないのよ!? 春の県大会出てないの⁉』
私の背筋を冷たいものが走った。信じたくない事実を第三者に改めて突き付けられることがこんなにも気持ち悪いとは。
「……そうね。今回は色々と事情があって参加出来ていないわ」
そう努めているのかどうか心の内は読めないが、捺先輩はあくまで冷静に、事実を述べた。
香椎東高校は春の県大会出場を辞退した。理由は単純な人数不足。今、私達は九名揃ってグラウンドに立てる状況にないのだ。
『……あきれた。何やってんの、アンタたち』
刹那に訪れた沈黙を破って聞こえてきた声は、私達を心底侮蔑したような、剣呑な色を伴っていた。
『まあいいわ。アンタたちが遊んでる間にあたしが全国の強打者を華麗に仕留めてあげるから、よおく目に焼きつけておくことね!』
直後、一際威勢の良い声がして電話は途絶えた。
「まったく、相変わらずね」
そう言ってため息をつき、捺先輩は端末を机に置いた。その様子からは心情を察することが出来ない。しかし、あんなことを言われて平静でいられるはずがない。きっと悔しいはずだ。
知らず、私の手は震えていた。今のこの状況を作り出してしまった原因はどう考えても私にある。私が慧を説得出来なかったから――
「――⁉」
ふと、肩に何か暖かいものが乗る感覚がした。それは捺先輩の手だった。
「良く聞いて、華凛。あなたに責任はない。夏まで時間はあるんだから慧のことはゆっくり呼び戻せば良い。今私達がすべきことは、全国のレベルをしっかり感じておくこと。夏に向けて少しでも自分達のレベルを上げておくの――だから、ヤケにならないで」
捺先輩は私を真っ直ぐ見据えて言った。
強い。
この人は、強い。
通常、大会の辞退など余程の理由がなければ有り得ない。それに、春を辞退した今、捺先輩をはじめとする二年生に残された大きな大会は最後の夏だけ。今の状況は、捺先輩こそ耐え難いもののはず。それなのにこの人は、ただひたすら前を向いている。
「……分かりました。すみません、捺先輩」
その思いに、応えなくてはならない。捺先輩を一試合でも多くプレイさせるために。
顔を上げる。テレビ画面は勝利校の校歌斉唱を映し出していた。
間もなく天神商業の試合が始まる。