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ハードシップメークス  作者: 小走煌
8 つかのま
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みんながんばった

「おつかれさんっしたー!」

「おつかれー」

 活気に満ちた掛け声と共に響くのは、どこか慎ましい紙コップの擦れ合う音だった。机には余りの紙コップがビニールに閉じ込められたままタワー状に重なり、その周辺にはジュースやお茶のペットボトル、数多のお菓子袋が散らばったように配置されている。アルコールの類いはもちろん存在しない。

 このどこか気が抜けた風景、それとセットになった皆の穏やかな顔は、まさに学園祭の打ち上げに相応しいと慧は感じた。といっても、これはクラスの打ち上げではない。部室を利用して催されているこの会は、他でもない香椎東高校女子野球部一同によるものだ。

「ところで捺。こういった会はそれぞれのクラスで行われるものに参加するべきでは?」

「カタいこと言わないの。みんながんばった学園祭なんだから、この野球部というコミュニティでも健闘を称え合わなきゃでしょ!」

「まあ、そうさね。クラス中にあたしらの底力を見せつけたことに対するご褒美ってやつよ」

 無礼講の場においてなお冷静な千春の指摘を、捺と直子は景気の良い言葉で丸め込んだ。

「……こういう特別なイベントに限定せず普段からクラスに対して協力的であることが本来はあるべき姿なのですが、まあ、慰労自体は別に悪いことではないので良しとしましょう」

「やった、褒められちゃった」

「褒めているのとは違いますよ、捺。言うなればこれは『許容』です」

「あら、そう……」

 冷たい千春の言葉に捺はガックリと項垂れる。

「ま、いいわ」

 しかし次の瞬間には顔を上げた。表情の曇りはもう既にどこかへ消え去っていた。

「今年は千春にカツ入れられたから頑張ってビラ配りや教室の設営ができたんだし。それでオッケーでしょう!」

「それを言うならあたしだってそうだな。いやほんと、千春さまさまやね!」

「そういうこと! 千春さまさまー!」

「……そうですか。お役に立てたなら幸いです」

 千春は優美に紙コップのお茶をすすった。

 その声だけ、僅かながらつっけんどんな声色になったように慧には聞こえた。もしかしたら照れ隠しなのかも知れない。

「それにしても今年の学園祭はおもしろかったねー。清のお化け屋敷体験したひとー?」

 捺の問いに手を挙げたのは、なんと全員だった。方々から怖かった、圧巻だった、といった声が聞こえる。

「ありゃあクラスで用意してくれただけで俺は渡されたものを着ただけなんだがな。褒めるなら衣装を用意した連中を褒めてくれ」

 清は釈然としないといった様子で腕組みする。

「いやいや、屈強な成人男性のような吉田サンの体躯だからこそ……」

「なんだとコラ」

 からかうような豊の声を鋭い睨みで即座に消し去る。豊はすぐにそっぽを向いて声を口笛に切り替えた。

「そういえば……」

 そんな場の騒がしさにかき消されそうになりながらも、おずおずと口を開いたのは文乃だった。

「わたしも久々に絵描いたな。クラスの出し物の紹介のやつ……」

「おっ、流石に学園祭ともなれば画伯も筆を取るのね」

「そんな大したものじゃないよ……へたくそになってて恥ずかしかったし」

「またまたー謙遜しちゃって!」

「い、いたい……痛いから……」

 文乃は捺に背中をバンバン叩かれる。大会が終わってから慧は久しくこのやり取りを目にしていなかった。どこか懐かしさを覚える微笑ましいやり取り。

 改めて全員を見回すと、誰の顔にも事を成し遂げた安堵の色、またはこの場をただ楽しんでいるという喜びの色が見える。どの面を切り取っても敗退による陰鬱とした色は読み取れなかった。

 良かった。何となくだが、これで少し許されたような気がする。

「さて……」

 喧騒が続く中、千春がおもむろに立ち上がる。

「捺、私は生徒会の打ち上げにも顔を出さねばならないのでこれで失礼します」

「おう、いってらいってらー! あんたが行かなきゃ誰が行くってねー!」

「……捺、あなたまさか酔っ払っているわけではないでしょうね」

「オレンジジュースで酔うヒトなんていないでしょう。まあ、あれよ。雰囲気酔い、ってヤツ?」

「左様ですか……」

 千春は何か言おうとしてキャンセルした。恐らくこれ以上口を挟むのが面倒になったのだろう、と慧は勝手に想像した。

「ああ千春、ちょっと待った。一応いったん中締めしておくから」

「中締めって……捺、あなた幾つなんですか」

「細かいことはいいの!」

 呆れる千春を制して咳払いをひとつ。場の全員が部長である捺に注目した。

「えー……このように、学園祭、みんなしっかりクラスに貢献しました。一区切りついたので、明日からあらためて、また練習がんばりましょう!」

「おーっ!」

 意気揚々とした声が部室中に響き渡る。キラキラした気炎。

 そんな中にいながら、慧はふと自らの内部にある思考へと落ちた。


 これまでは学園祭を理由に練習に遅れることが出来た。しかし明日からは普段に戻る。また野球漬けの日々が始まる。

 慧は、ついさっき感じた安堵をあっさりと忘れていた。残ったのは不安。

 そう。許されたから終わりではない。また始まる。また、どこかでチームに迷惑を掛けるかも知れない。

 皆の笑顔に陰は見られないが、自らの中には再び陰が降りてきたことを慧ははっきりと自覚した。

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