みんながんばってる
千春の知られざる苦労を聞き、慧はクラスの作業に協力することをひっそりと決意した。
その努力が実ったかどうかは定かではないが、慧のクラスは順調に祭の準備を整えていった。しかも、冷静に考えればクラス活動によって野球の練習時間を削ることが出来るという慧にとって思わぬメリットがあるところも作業の効率を上げた。
そして、学園祭当日。
「色んな出し物があるのね。まさに高校の学園祭、って感じだわ」
「そうだね。なんか、どこも凝ってて楽しそう」
慧は華凛と共に二年生の教室エリアを歩いていた。
二人共、クラスでの業務時間はシフトで定められている。偶然にも空き時間がピタリと合ったため、今こうして祭の解放感を共に味わっているのだ。今日までクラスのために尽力した分後ろめたさもなく、純粋にこの非日常を楽しめる。慧は祭自体そこまで好きではないが、色とりどりの風景につい目移りしてしまう。
香椎東高校の学園祭は、校庭やグラウンドの屋台だけでなく各教室でも趣向を凝らした企画が催されている。クレープ屋や手相占い、ゾンビメイク教室といったジャンル不問のごった煮。そのいずれも、各クラスが独自に考案したものだ。
「野球部でも屋台か何か出来れば良かったわね。あのメンバーならきっと楽しそうだわ」
「それはおもしろそうだね。確かに退屈しなさそう」
「一年生が企画すれば先輩達も喜んだでしょうけど、残念ながらもう手後れね」
「そ、そうだね……」
華凛の言わんとすることを、慧も瞬時に理解出来た。来年の学園祭が始まる頃にはもう先輩達は引退している。野球部として学園祭に関する活動をするには、実質、今年が最後のチャンスだったと言って良い。せっかくの楽しそうな催しが企画すら許されないとあっては、相槌のトーンも思わず下がってしまう。
「そうっすね。しょうがないから来年、受験勉強がてら手伝ってもらいましょうか」
ふと、背後から声がする。人を食ったような飄々とした声。虚をつかれ、二人して振り向く。
「どもっす。回るんなら自分も連れてってくれないと困るっすよ」
声の正体は豊だった。軽く右手を上げ挨拶する様も声同様飄々としている。
「アンタ、いつから後ろにいたのよ」
「細かいことは気にするもんじゃないっすよ。せっかくなんだから一緒に回りましょうよ」
「別に構わないけど」
「キマリっすね。あっ、あのお化け屋敷とか面白そうじゃないっすか。行きましょ行きましょ」
「やっぱり却下。アンタ一人で行くと良いわ」
華凛はその場で急旋回し、二人を置き去りにしようと歩き出す。しかし、豊はその進路を塞ぐように立ちはだかった。
「おや、どうしたんすか伊勢崎サン。我々の世代におけるカリスマで超有名人、天下の伊勢崎華凛がまさかお化け屋敷を怖いと?」
「行くわよ。何をダラダラしているの」
「い、いいの華凛ちゃん、それで……」
華凛は本当にお化けが苦手なのだろう。しかしほんの些細な煽りを堪えるのもまた苦手としている。慧も思わず呆れてしまった。
「慧、アンタも一緒に行くのよ」
「えっ⁉」
次の瞬間、有無を言わさず華凛に腕をガッチリホールドされる。慧の非力では最早逃げることは許されなかった。そのままおどろおどろしい扉をくぐり、真空の闇に通される。
「実際入ってみるとケッコー雰囲気あるっすね。高校生の出し物とは思えないっす……」
「な……なに……ま、まさかアンタ、いいだしっぺのクセに、ビビってる、なんていうんじゃ、ない、でしょうね……」
「伊勢崎サン、大丈夫っすか? 声も手も小鹿みたいに震えてるっすよ?」
「な、なにいってんの⁉ へーきにきまってるでしょ⁉」
強がる華凛を良く監察すると、暗がりにおいてもその目の焦点はまるで合っていないことが分かった。完全なる虚勢。
しかし慧も人の心配をしている場合ではなかった。歩を進めるごとに本当に古びた廃墟にいると錯覚してしまう程の作り込みは、豊の言う通り学園祭のいちアトラクションという範疇を超えている気がしてならない。
不意に、何かが軋む音がした。
「ひっ――!」
「な、なんっすか……⁉」
三人は咄嗟に寸分の隙間なく身体を密着させた。柱のようにその場に固着する。
やがて、薄暗い先にあるドアがゆっくりと開く。
出てきたのは、巨人の幽霊――
「う~ら~め~し~や~」
「んいゃぁーーーー‼‼」
三人の悲鳴にならない悲鳴がこだまする。
「……って、なんだお前ら。三人揃って」
「へ……?」
三人の悲鳴は直後、間の抜けた声に切り替わった。
「なんだ、吉田サンじゃないっすか」
幽霊の正体は、香椎東女子野球部イチの大柄、吉田清だった。
「どうだ、怖いだろう。俺らクラスの努力の結晶なんだぜ、このお化け屋敷は」
「イヤ、確かに怖いですが。でも吉田サン、もしそうなら例え自分たちみたいな知り合い相手でも素性明かしたりしない方がよかったんじゃないっすか?」
「ん……まあ、いいんだよそれは。それよりどうだこの文句のつけようのないフォルム。怖いだろう、最怖だろう!」
「うーん……よく見るとヤンキー的な怖さが……」
「なんだとテメエ!」
「あっでも、確かに吉田サンの良いガタイと相まってかなりの迫力っすね」
「そ、そうか……」
「あっほら、後ろから他の客が来るっすよ。早く隠れて隠れて」
「あ、ああ……」
清は首をすぼめ、すごすごと持ち場に戻った。
残された空間には何とも言えない空気が漂う。
「自分たちもずっと留まってちゃあれだし、先に進みますか」
「……そうね」
二人はすっかり落ち着いたらしい。力みなく通路を歩いていく。
怖いと思いきや実は優しくて、それでもやっぱり怖い先輩である清だが、そんな彼女もこうやってクラスの為に頑張っている。慧の中からも怖さは取り除かれ、しみじみと物思いにふける。
「いやあああああ‼‼」
「ちょっ、待つっす! 置いてくのナシ!」
しかしそんな余裕はすぐにかき消された。本物の恐怖演出を三人揃って電光石火で切り抜け、やがて出口から飛び出した。
急に明るくなった視界で、暫くの間誰も何も言えなかった。
「……じゃ私、そろそろクラスに戻る」
「自分も引き揚げるっす……」
「わ、わたしも……」
結局、三人はくたくたになりそれぞれの持ち場へ戻った。
これも学園生活の良き思い出といえばそうかも知れない――僅かにそんな思考が慧の頭をよぎるが、それはどこからか聞こえる呻き声やぼんやり浮かび上がる謎の人魂、ドアの隙間からうっすら覗く骸骨の記憶によって、あっという間に隅へと追いやられた。