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ハードシップメークス  作者: 小走煌
1 はじまり
7/227

うらやましい

登場人物


若月慧(わかつきけい)

高校一年生。友達作りのため高校で部活を始めようと目論む。


伊勢崎華凛(いせさきかりん)

高校一年生。慧を野球部に誘う。周囲の視線を奪う容姿の持ち主。


日高桃枝(ひだかももえ)

高校一年生。慧のクラスメート。

 睡眠は旅行。

 横たわれるスペースと少しの被り物があればそれだけですぐに様々な場所、様々な時代へ飛んで行ける。

 未知の生物や未知の場所に出くわし、無重力空間にいるような体を操り闊歩する。

 そうしている内にこれが現実なのか夢なのか、次第に判断がつかなくなる。ここはどこで、これから一体何をするのか。それとも何もしなくても良いのか。思考にならない思考が重なる時間。

 そんな時間の彼方から音が聞こえて来た。

 りりりり、りりりり。

 嫌な予感がした。そこに行っては苦しい出来事が起こる、そんな気がした。

 しかし、彼女はそこへ行くことにした。なぜだかわからないが、そうしなければならないような気 がしたからだ。

 ぼんやりと音の方へ向かう。ゆっくり、ゆっくり……。

「はっ……」

 慧の目が開いた。ジリリリとけたたましい音が鳴っている。慌てて音の張本人である目覚まし時計を叩いて止める。

「……もう朝かあ」

 眼が開ききらない状態でひとつ身体を伸ばす。

「んっ……?」

 日頃から寝起きは良くない慧だが、今日はいつにも増して身体にだるさがあることを感じていた。伸びた反動で再びベッドに身を投げる。

「ああ……部活のせいか」

 まだ覚醒しない思考でそんな結論に行き着く。

 昨日行われた野球部の体験練習。慧にとっては初めてづくしの出来事であり、この身体の重さはきっとその影響だろうと推測する。

「今日もやるのかなあ、あれ……」

 昨晩夢うつつの中感じたはずの高揚感は一晩経ったことですっかりリセットされていた。残されたのは今日も練習に参加しなければならないという憂鬱感である。

「……はあ」

 自分は文芸部に入りたかったはず。それなのに全く見当違いの部活に入らされ、そこで高校生活を送ろうとしている。こんな事をずっとやっていかなければならないのだろうか。自らのこれからを想像し、溜め息が出る。ぐんにゃりと溶けるようにベッドにへばりつく。そこから思考を停止し。

「……はっ」

 現在が登校前、朝の貴重な時間だという事を思い出す。

「ああ……まずいよ」

 口ではそう言いながらも、焦る素振り無く用意を始める。身支度をし、朝食を済ませ、玄関を出る。それら一つ一つを済ませている間、慧の心は徐々に負の感情に支配されていた。学校に向かって歩き出した時、それは溜め息となって出力される。

「はあ……緊張するな」

 昨日は色々と特殊な体験をしたため意識していなかったが、今日から実際に授業が始まる。実質的な高校生活の初日とも言える。

「友達、できるかな……」

 人見知りが激しい慧にとってこの期間は最初の難関である。面識の無い人間と円滑に親交を深める為に掴みは大切だ。

 しかし慧は先日、文芸部へ入部する検討で頭を悩ませていたため、ろくにクラスメートと会話していない。今日となっては最早クラスメートとは初対面では無くなっているためむしろやりづらくなってしまっているという現状に遅まきながら気付き、またも溜め息を漏らす。

「学校行きたくなくなってきたな……こんな緊張するんだもんなあ……」

 現実から逃避したい衝動に駆られる。しかし、それを実行する勇気は慧には無い。

「ほんとに行かなかったら話題になっちゃうかな……まだ二日目だしね……」

 実際には行われる事の無い行動を妄想し悶々としている間に校舎が見えて来た。改めて、晴れて高校生活が始まるというこのタイミングでしかし、慧は今日何度目かの溜め息と共に校門を潜った。


 教室に入り自席に着くと不安な気持ちは徐々に薄れ、まだ高校生になって二日目だというのに意外にあっさりと日常に溶け込む自分がいた。午前の授業、昼休み、そして午後の授業と、多数の中の一個人として埋没し授業に臨む。本日の最終である六時間目中、ここへ来て集中力が途切れつつあった慧は頬杖をついて先生の話から意識を逸らしていた。

 ふと、シャーペンがくるくる回されていた指から逃げ、床に落ちる。思わぬミスに慧は焦り、身を乗り出して落とし物を拾おうとした。手がシャーペンに届こうとするその直前、一方から別の手が伸びてきてシャーペンをさらう。

「……?」

 顔を上げると、隣席の女子が慧より先にペンを拾い、黙ってこちらへ向けている。

 ――この人確か……日高、さん……。

 昨日の自己紹介時の記憶を辿り、日高桃枝というその女子の名を思い出しながら慧はひとまず感謝の言を述べる。

「あ、ありが、とう……」

 シャーペンを桃枝から受け取る瞬間、慧は彼女の手が僅かに震えている事に気付いた。

 経験のある慧には分かった。見知らぬ人と接する時は多少なりとも緊張するものだが、その際には手の震えや声の震えとなって感情が表に現れる。この女子は慧の落とし物を自らわざわざ拾いに行かなければ精神を乱されることもなかったのに、親切心からそうしてくれたのだ。あるいは、気付きながら拾わずにやり過ごす事にある種の気まずさを感じたのかも知れない。慧はそう想像した。

 その少女の行動に慧は、何となく自らに通じるものを感じずにはいられなかった。


「あ、あのっ……」

 ホームルームが終了し皆が帰宅を始める中、つい慧は桃枝に声を掛けていた。会話の内容は完全にノープランであり話す事が何も無いという状況に陥る心配があったが、それ以上に『この人と話してみたい』という思いが勝っての行動だった。

「さっきは、ありがとう……」

 やはり一言目が浮かばなかった慧は、反射的に改めて先程の件に対する感謝をする。

「う、ううん、全然……」

 桃枝は柔らかい微笑みをたたえ、申し訳なさそうに首を振る。

 ふと慧は、彼女の机に一冊の本が置かれている事に気付いた。それは自身もつい最近読んだ本だった。思わず本について尋ねる。

「その本、わたしも最近読んだ……」

「あっ……そうなんだ」

 桃枝の表情が一気に明るくなった。

「あんまり有名じゃないけど、おもしろいよね」

「だよね……!展開がとってもいいよね」

 共通の話題が見つかったことで慧にもエンジンがかかる。

「本、けっこう読むの?」

「うん、割といろいろ……最近のだと、ベタだけど大賞とったやつ」

「あ、あれもおもしろかった!話が分かりやすくて読みやすいよね」

「そうそう、主人公の行動原理も明確だしね、読み終わったあとスッキリしたよ」

 話が弾む。まさか高校生活二日目にしてこんな人物に出会えるとは。慧はちょっとした感動を覚えていた。どうやら桃枝も同じ感想を抱いたらしい。大人しそうな外見通りの細々とした声ながら、嬉しそうに話す。

「こんなに趣味が合う人がいるとは思わなかったよー」

 にっこりと笑う。その笑顔を見て慧も嬉しくなり、同じ気持ちを伝える。

「わ、わたしも……本読んでる人って少ないから、とっても嬉しい……!」

テンションの上がる慧。

 ――こんな人が隣の席にいたんだ……きのう気づいてればいっしょに文芸部行ったのに……そしたらちゃんと入部できてたかもなあ……。

 クラスメートとの会話を怠った昨日の行いを悔いる慧に対して、桃枝はタイムリーな質問を投げ掛ける。

「……そうだ、慧ちゃんは何か部活入る?」

「!」

 瞬間、慧の心臓は高らかに鳴った。早くも名前で呼んで貰える嬉しさ以上に、質問の内容が重かった。形としては既に野球部に入部しているものの、何となくそれを認めたくない気持ちがあった。

「ど、どうして……?」

 質問で返す慧。桃枝は嫌がる素振りなく次の言葉を発した。

「わたしは文芸部に入ろうと思って……慧ちゃんもよかったらどうかなって」

 その一言は、慧の中に嬉しさと苦しさを同居させる一言となった。慧の頭の中がグルグル回る。その誘いは、慧の本心にとっては正に願ってもいないものである。

「わ、わたしは……」

 瞬間、昨日起こった一連の出来事が頭をよぎる。それは自分が既に文芸部でない部活に所属しているという現実を突き付けて来る。

 それでも、自らの本心は違う気持ちを叫んでいた。この目の前の女子に救われたい。連れて行って欲しい。そんな慧の思いを。

「慧」

 背後から呼ぶその声は跡形も無く吹き飛ばした。

「か、華凛ちゃん……!」

「あら……お話し中に失礼しました」

 廊下から教室に入り慧の近くまで来たタイミングで、慧が桃枝と会話している最中であることに気付いた華凛は軽く頭を下げる。その所作は落ち着き払っており、秀麗、優雅な外見に一層映える。そんな華凛の登場に、慧のみならず桃枝もまた驚きの色を隠せないでいた。自分とは明らかに容姿も雰囲気も違う人種。そんな彼女の登場に見るからに驚く桃枝は、まるで華凛と初めて出会った慧自身のようだった。

「さて。慧、今日も行きましょうか」

 そんな桃枝の視線をよそに、華凛が慧の右手を掴む。

「ごめんなさい。私達部活があるから行かなくちゃいけなくて」

 華凛が桃枝に団欒を終了させる事への謝罪の弁を述べる。慧は俯いたまま顔を上げない。

「あっ……慧ちゃん、部活やってるの?」

 桃枝が何の気なしに尋ねる。慧は心臓を一度大きく震わせ、懸命の努力で顔を上げた。しかし健闘むなしく目だけは桃枝と合わせる事が出来ないまま。

「う、うん……野球部に」

 言いたくなかった現実を桃枝に告げた。

 もっと共通の趣味の話題で楽しみたかった。また明日から少し距離の空いた生活になってしまうのか。そう感じ気持ちの落ちかけた慧に返ってきたリアクションは、しかし意外なものだった。

「すごい……慧ちゃん、野球やってるんだ!」

「えっ、い、いや……」

「すごいなあー。がんばってね、応援してるよー!」

「あ、あの……その……」

「よかったら今度お話聞かせてねー」

「あ、う……うん……」

 昨日初めて硬球を握った人間が何故か経験者扱いを受けてしまっている。想定外過ぎる反応に慧は言葉を失い、生返事をする事しか出来ない。

「ありがとう。さっ、行きましょ」

 そんな慧の代理で華凛が返事をし、慧の手を引き歩き出す。慧は慌てて鞄を抱え、そのまま華凛に引っ張られ教室を後にした。

 ――あぁ……結局はこうなるの……。

 悶々とした思いを抱えながら、華凛に引きずられたままの慧は部室へと連行されて行く。

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