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ハードシップメークス  作者: 小走煌
7 秋の大会
69/227

香椎東対柳川女子⑩

 なんで。

 おかしい。

 ありえない。

 蘭奈の頭は混乱に包まれる。

 それもそのはず。今まで数多のプレイヤーを裸にしたこの眼力で、今回も完全に見切ったと蘭奈は確信していた。

 それなのに、あのピッチャーはその上を行った。有り得ない。いったいどうしてーー

 混濁した思考で蘭奈はベンチに立ち尽くす。

 その頭を、後ろからそっと撫でる者がいた。蘭奈はハッとして後ろを振り向く。

「姉さん……!」

 それは玲央だった。守備の準備のため、そのまま妹の脚にレガースを嵌めようと屈む。

「落ち込む事は無い。どうやら……敵もさるもの、ということらしい。私も少々侮っていたよ」

「すいません……わたしが、至らないばかりに……」

「良いんだ。切り替えて行こう。その代わり……」

 レガースを装着し終わった玲央は、立ち上がり蘭奈と正面から向き合った。

「私も更に全力で行く。しっかりリードするよう頼む」

「ーー!」

 蘭奈は戦慄した。姉がギアを上げようとしている。これはもう、目の前の敵を容赦無く叩き潰す気だーー

「……はい!」

 残りの防具を装着し終えた蘭奈の頭は、香椎東ナインのバットに今後一球もかすらせない配球の構築へと切り替わっていた。


「なんだったんすか、いったい……⁉」

 窮地を脱した香椎東ベンチは反撃に向けて更なる盛り上がりを見せーー

「わざとっすよね、ねえ⁉」

 ーー見せると思いきや、一部盛り上がりが明後日の方向へ行ってしまっているメンバーもいた。豊のただ事では無い剣幕の原因は、どうやら四回表のラストボールにあったようだ。

「危うく弾くところだったんすからね。サイン無視は止めて欲しいっす」

 梓が投じた外角のスライダー。完璧に相手の裏をかいたと思われたボールはしかし、豊のサイン通りでは無かったらしい。サインと異なるボールを投げられたらパスボールの危険性も出てくる。あの状況で更なる進塁を許すわけにはいかない。それ故の豊の激昂だった。

「……話聞いてるっすか?」

 豊の剣幕とは対照的に、いつも通りのポーカーフェイスを貫いている梓。のれんに腕押しな感じがして、豊は毒気を抜かれる。

「……した」

「え?」

 恐らく油断していたら聞き逃していたであろう声。しかし内容までは判定出来ない。それを察したのか、梓はもう一度ポソリと呟いた。

「……なんか、嫌な予感がしたから」

 梓の言葉を、豊はすぐに理解出来なかった。

「それなら投げる前にサインかなんかで教えてくれれば良かったのに」

「……投げる瞬間だったから、間に合わない」

「えっ」

 豊は今度こそ絶句した。まさか投球動作に入ってから咄嗟に球種を変えたと言うのか。そんな事が可能なのかーー

「次は気をつける」

「ーーあっ、ああ……とりあえず良かったっす、何事もなくて……」

 それきり、豊は黙り込んでしまう。底が見えないその力。梓のポテンシャルは、もしかしてとんでもないものなのではーー

「ま、とにかく!」

 活気に満ちた声が豊の思考を遮った。

「ゼロで切り抜けたから万々歳、こっから反撃、ってね!」

 荒っぽくヘルメットを被り、そのままの勢いで香椎東のリードオフマンは打席に向かった。雪辱に燃え、直子は玲央と二度目の対面を果たす。

 香椎東ベンチの全員が打席に立つ直子を見詰める。この勢いに乗せ、反撃への突破口を見つけてくれることを誰もが期待していた。

「……おらあっ!」

 次の瞬間、息もつかせぬ初球攻撃が炸裂する。この試合で初めて、香椎東のバッターが玲央の球を芯で捉えた。

「……ちっ、おしい」

 しかし、直子はバッターボックスから数歩進んだところで一塁へ向かう足を止めた。その結果はショートライナー。僅かな方向のズレで、惜しくも安打にはならなかったのだ。しかし、第一打席とは違い直子は堂々とベンチへ帰還し、檄を飛ばす。

「いける、今度はいける!」

 データ上は凡退と扱われるケース。しかしこの結果は、香椎東ナインを鼓舞するには充分だった。

「しっ……!」

 立て続けに快音が響く。文乃も負けじと高らかな音を響かせる。その当たりは内野手の正面を突くゴロだったが、鋭く地を這うものだった。

「惜しい惜しい!」

 自然と景気の良い声がベンチを満たす。二巡目にしてようやく、香椎東の打線に火が点こうとしている。

 そして、次の瞬間皆の予感は現実となった。

 香椎東の三番、捺。糸を引くような打球が瞬く間に右翼手の前に到達した。文句の無いクリーンヒット。

「やった……」

「よっしゃ、ここからだ!」

 その一打は、香椎東ナインの心を明るく照らした。遂に上がった反撃の狼煙。初戦、剛球で鳴らした投手をコールドゲームで沈めた重量打線が目を覚ますーー


「……」

 気炎万丈なこの空気にあって、打席に向かう華凛はそれでも心の隅に残る嫌な感じを拭えなかった。

 先の三人に対する玲央の投球。確かにその質は初回同様に高いものだったが、どこか違和感があった。

 タイムを取って凡退した二人や一塁走者の捺に確認してみたい。玲央の様子に不自然なところは無かったか。しかしそんなことは勿論しないと、華凛は頭を切り替える。

 丁寧に打席を均し、目の前の敵を見据える。が、どうしても引っ掛かる。この回の投球は、そう。まるで何かを試すようなーー


 ーー面白い。

 ーー見せてやろう。私の本当の力を。


 刹那、華凛はそんな声を聞いた気がした。

「ーー‼」

 次の瞬間、華凛は直感的に理解した。

 それは、たった一球のストライク。

 一試合の内投じられる全百数十球のうちのひとつに過ぎない。

 しかし、その一球を見ただけで華凛はもうどうしようもないという感覚に陥った。そんな経験は、華凛にとって初めてのことだった。

 戦慄。一打席目のリベンジに息巻いた心を折るに足る程の、絶望。

 身体の震えを感じる。もう一球、また一球と、ストライクは積み上げられた。それに対して、華凛は何も出来なかった。

 眼前の敵を、震える心で見据える。

 鍛治舎玲央。

 着火した筈の香椎東打線を、その力で以て完全に封じることが出来るということを、彼女はこの打席で香椎東ナインはおろか会場中に知らしめた。


 ここからが、県ナンバーワン右腕による蹂躙の始まりだった。

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