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ハードシップメークス  作者: 小走煌
7 秋の大会
65/227

香椎東対柳川女子⑥

「捺……」

 直子は無意識のうちに、ベンチに戻る捺の元へ駆け寄っていた。

 心なしかその顔は少しこわばるが、無理もない。直子にとって捺は、これまで長い付き合いを経た無くてはならぬ友人――最早『相方』といっても過言では無い程の存在である。一方で、こと野球に関してはその圧倒的実力に畏怖の感情すら覚えている。

 そんな彼女の空振り三振など直子は久しく見ていない。その事実は別の意味で異常な事態だが、少なくとも直子にとっては信じられない光景だった。

「……」

 いざ声を掛けてみたが、しかし直子は何を言ったら良いのか解らず立ちすくむ。大丈夫か、などと尋ねてもしょうがないとあれこれ考える。

「参ったな……」

 不意に捺の呟く声がする。直子は顔を上げて捺を直視した。普段と何も変わらない捺がそこにいた。

「ここまでとは思わなかったわ……これは難しいわね、どうすっかな」

 自分に向かって言っているのか独り言なのか、直子は判断がつかない。何か喋ろうと開きかけた口をそのままに突っ立つ直子をよそに捺はバットやヘルメットを仕舞い、今度こそ明確に直子に向けて言葉を発した。

「さ、とりあえず守備つきましょ」

 さらりとした、通常時そのものの語り口。

 しかし、それを聞いた瞬間直子の心にあった不安は雲散した。落ち込んでいる気配など捺には微塵も無い。それどころか、玲央への対策を頭の中で急速に構築している最中であることが直子には分かった。そして、準備の整った梓がロジンバックに手をやる頃にはあっさりと守備へ意識を切り替えるだろう。直子は、相方の高校生離れした精神操作に思わず薄い笑みを溢した。


 二回の表、柳川女子の攻撃。

 先頭は六番、ピッチャーの玲央。

 直子は打席に入る前のスイングや仕草、その様子をセンターのポジションからじっと観察していた。高校野球においては例え投手であっても打撃が優れていればそれなりの打順に入ることは珍しくない。投手でありながら豪打を誇る天神商業の三番を務める悠莉の姿が直子の脳裏に浮かぶ。

 一方で、柳川女子の絶対的エースである玲央はクリーンアップでない六番に座る。その理由は、少しでも投球にその力を注ぐようにする為の配慮か、または打撃が不得手であるか――あるいはその両方か。

 遠目で得た情報と思考を総合し、直子は定位置よりやや後ろ、かつ左中間方向へシフトすることにした。瞬時に左右を見渡し、レフトを守る清、ライトを守る慧の位置取りに大きな問題が無いことを確認する。

 やがて一球目が投じられた。僅かに腰を落とし、どこへでも行けるよう臨戦態勢を取る。玲央がボールを見送った瞬間、直子は構えを解除した。判定はストライク。

(……やっぱ背が高いと威圧感でるなあ)

 直子がこのポジショニングを選択した理由は、ひとえにそのパワーを警戒してのことだった。スイングを見た限りでは梓のボールを捉えられるようには感じられない。しかし、玲央にはその長身故のリーチがあった。万一出会い頭があった場合、恐らく打球の力は凄まじいものになる。そう見越してのポジショニングだ。

 次の一球が投じられる前に、左右二人の位置取りを再度確認する。直子はその瞬間、こちらに合図を送る存在に気付いた。

「捺……まじか?」

 ショートを守る捺が直子個人へ向けて、右中間側へシフトするようジェスチャーを送っている。

(右に飛ぶようには思えないけどなあ……)

 心で独りごちるも、ノーアウトランナー無しのこの状況で揉めることでも無いので大人しく指示に従った。

 なぜ捺はこの位置を選択したのか――直子の中で答えは出ないまま二球目が投じられた。瞬間、直子は隙無く身構える。

「――!」

 直後、直子は驚くべき光景に直面した。

 内角球に手を出し打ち上げた玲央の打球はふらふらと、ちょうど直子が位置取りをした地点まで到達したのだ。ほんの僅かな移動で、直子は難なくこれを捕球した。

「オッケー、ワンアウト!」

 人差し指を立てながらボールを催促する捺へ返球しつつ、直子は今の打席を振り返った。いったいどこに、右へ寄る要素があったのか――

「――あっ」

 その後の七番バッターへの初球、そこで直子は気付いた。梓のストレートのキレが、初回よりも増している。

 玲央の打席、直子は打者をくまなく観察したが、そこに投手の情報は付加しなかった。正確には、初回の梓の情報のままで判断した。

 しかし、捺は違った。尻上がりに調子を出す今日の梓をいち早く見抜いていたのだ。それ故の右中間寄りのシフト。

 答えと同時に捺の観察眼を改めて思い知った直子の目の前で、残り二つのアウトはあっさりと取られた。一つは予め三遊間へシフトしていた捺の正面へのゴロ、もう一つは梓のストレートによる空振り三振。


「ポジショニング、ドンピシャだったな」

「でしょ? 勘が冴えたわ」

ベンチへ到達する手前で、捺と直子はグラブでハイタッチを交わす。捺は鼻高々に『勘』などという単語を用いたが、そうでないことは直子が良く分かっていた。だからあえて何も言わない。

 しかし、言葉を我慢する直子の口元にはやはり薄い笑みが浮かんだ。

(ほんと、底の見えないヤツ……)

遅くなりました。

申し訳ありません。

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