表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハードシップメークス  作者: 小走煌
7 秋の大会
64/227

香椎東対柳川女子⑤

「ど……どう、だった……?」

本日二番の打順を任されている文乃は、引き揚げてきた直子の様子を恐る恐る窺う。

「……マズイ。想像以上」

「そんなあ……」

あの快活な直子からは想像出来ないどんよりした顔を目の当たりにした文乃は、早くも諦めムードを漂わせとぼとぼ打席へ向かう。


直子が喫した三球三振。香椎東ナインはこの衝撃的事実に戦慄した。

ベンチには重苦しい空気が漂い、再び惨劇が繰り返されないことをただ願うしか出来ない。

打席の文乃はすっかり怯えきっていた。立て続けに繰り出される玲央の剛球に手が出せないでいる。

目の前で繰り広げられる光景に、ベンチに座す清は思わず低く唸った。

「……流石に県ナンバーワンの肩書きはダテじゃねえってことか」

「そういうことみたいっすね。実際こうして横から見てみるとかなりエグいっすね」

清の横で豊が同調する。

「どうやって打ちゃあいいんだ、一体……」

「ここまで来ると、適当に振り回した方が確率としては良いんじゃないっすかね」

「そうか……本当にそうしてみっかな……」

二人の顔色は悪く、投げやりな対応策しか見つからない。

程無くして、直子同様三振に倒れた文乃がベンチへ引き揚げてくる。

「ご、ごめん……これはちょっと厳しい、かも……」

力なく呟くのが精一杯。ベンチは更なる閉塞感に支配される。

ツーアウト、ランナー無し。

一回の裏における香椎東の攻撃はあと一つのアウトを残すのみとなった。

三人目の打者は、それまで一言も発せず待機していた捺。静かに立ち上がり、ネクストバッターズサークルを出て打席へ向かう。

皆の期待がその一身に集まる。他の誰もが、捺ならなんとかしてくれると信じて疑わない。

「頼みますよ、捺……」

その思いを代表するように、千春がぽそり呟く。


祈り。


この圧迫から脱したいと願うナインの思いは、まさしく祈りと同義。

一試合の中の、最初のツーアウト。まだたったの二つしかアウトカウントは消費していない。

それなのに、ナインの胸中には既に絶望の闇が渦巻く。それ程までに玲央が見せた投球は圧倒的なものであった。

故に、救いの光に焦がれる。信仰。その対象として今、捺は打席に立っていた。

捺がダメならどうしようもない。

藁にもすがるような思いで皆は捺を見詰める。

しかし――

「ストライク!」

主審のコールがこだまする。スイングさえ許されず、捺は二球で追い込まれた。

「ダメか、これは……?」

信じたくない光景に、清は思わず目をそらそうとする。

「いいえ、まだ分かりません」

それを、凛とした声が制した。ネクストバッターズサークルから戦況を見守る華凛だった。

「捺先輩がただスイング出来ずに立っているだけのはずはありません。きっと――」

そこまで言って華凛は押し黙った。やがて苦しそうな声を上げる。

「……きっと、何とかしてくれます」

捺が手を出さなかったのは目慣らしの為。そして、この二球でそれは終えられた。華凛はそう信じる。

しかし、玲央の投球も規格外。もしかしたら本当に手が出ないのかも知れないという疑念が晴れず、その思いを言葉にすることまでは出来なかった。

華凛は唇を噛み、すがるような視線を捺へ送る。


大丈夫ですよね、捺先輩――


刹那、玲央による容赦の無い三球目が投じられた。

捺はバットを振らない。バットを握る両の手をトップの位置でピタリ止めたまま、上げた右足だけをザクリと下ろし目の前を通過するボールを見逃した。

ミットの音を合図に静まり返る場内。

「……ボール!」

ワンテンポ置いて主審のコールが告げられる。ストライクと判定されても文句の言えない際どいコース。香椎東ベンチにはどっと溜め息が溢れ出た。

「あぶねー!」

「ギリギリでしたね……」

ナインは口々に感想を告げる。

仕切り直しの状況に、球場全体にも弛緩した空気が流れた。



ただ二人を除いて。



まだ本調子では無い。

しかし、前の二人を片付けたボールはそれなりのものだった。徐々に球は走ってきている。

その中で投じた一球。この回においてはベストボールと言って良いだろう。

しかし、眼前の打者は落ち着き払った様子で見逃した。

先の二人とは違う。恐らくもう一度同じコースに投げても見送るだろう。たったの二球で見切りが完了している。

――面白い。

常にポーカーフェイスで居てこそ好投手たりえる、ということは自覚している。

しかし、この感覚はどうにも抑え難い。強敵と出会った時のこの高揚感。口元が釣り上がってしまってはいないか不安になる。

眼前の打者は紛れもなく難敵であることをその振る舞い、そして威圧を以て私に告げた。

哀れに思う。その気配を消したまま試合を推移させていれば、どこかで僅かでも勝利の可能性があったかも知れないのに。

しかし、私の心の中はそんな侮蔑よりも感謝の気持ちで占められた。

ただチームの勝利だけを考え日々を過ごす一方で、私はどこかで期待していたのかも知れない。心踊る敵との戦いを。

そして眼前の打者はそれを充たしてくれる。たったの三球で、それは解った。

魂の激突。よもや初戦の初回からこのような争いが出来ようとは。

感謝。この一念を胸に、私は蘭奈より送られるサインを確認する。

確認後、普段より気持ちの分だけ大きく頷いて見せた。まるで体内に何らかのモジュールでも仕掛けられているのかと疑う程、蘭奈は私の気持ちを汲み取ってくれる。

はやる気持ちを抑え、私は次の一球を投じるべく動作に入った。

――相手にとって不足は無い。全力を以て、これを潰す。



場の空気が塗り替えられる。玲央から発せられる圧に、捺の持つ冷徹な空気が抵抗した。二つの気が混在し、言い知れぬプレッシャーを会場にもたらしている。

のたりとセットポジションをとり、玲央は続けざまに際どいコースへと剛球を炸裂させる。捺はこれにも手を出さない。判定はまたもボール。

「……」

香椎東ナインに声を上げる者は誰もいない。最早、二人の間合いに、そのせめぎ合いに付け入る隙など無かった。

静まり返る一塁側ベンチを余所に、玲央は大鉈を振り下ろすかの如き迫力でボールを放った。


捺のバットは、空を切った。


ストレートではなく、スライダー。誰の目にもストレートとしか捉えられないその軌道から、鋭く曲がり落ちた。ただ一人、捺だけは軌道を見切りバットを合わせようとしたが、それも及ばなかった。


威風堂々、マウンドを降りる姿。

県内ナンバーワン投手、玲央のその姿を香椎東ナインはなす術なく見ることしか出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ