開会式
「すごい人だかりだね……」
「それはそうよ。県内の全校から集まってるんだから」
「うん……」
慧は思わず帽子を取り、額の汗を拭う。
「なんか暑いね……」
「それはそうよ。もう真夏では無いけど、本当に涼しくなるのはまだ先ね」
「うぅ……」
陰鬱とした気分を会話により振り払いたかったが、あっさりと弾は尽きてしまった。
仮に新たな話題が思い付こうとも、華凛から三度目の『それはそうよ』が飛んでくることが容易に想像出来たので、慧は黙ることにした。
晩夏も過ぎ、秋の気配が忍び寄る頃。
焼け付くような暑さが影を潜め、セミの鳴き声はとうに聞こえない。
穏やか、という表現がぴったり合う筈の世界の中で、慧と華凛がいるこの野球場だけは様相が異なっていた。
この場所で今まさに執り行われた、秋の県大会開会式。
会場の誰しもが、充満した熱気に呼応し更なる熱の結集を産み出しているかのようだった。
ただ一人、慧だけを除いて。
誰とも知らぬスーツ姿の大人によるやけに長い挨拶。直射日光と人間の密集による熱気のコンボ。テンプレートのような選手宣誓。全ての要素が慧をうんざりさせた。
「昨日伝えた通り、私達はこの後第一試合になります。準備が出来たらグラウンドに入るので、それまでここで待機していましょう」
いつの間にかミーティングが始まっていた。香椎東の面々は、道を通る他校の生徒を気遣い円陣を小さくしていた。慧もその輪に混じりながら、ぼんやりと主将である捺の話を聞いていた。
不定期に、他校の生徒がスパイクをカチャカチャ鳴らして背後を通る。その度に気になって慧は気持ちの分だけ前進する。動く度に強制的に訪れるスパイクがコンクリートを踏む音とその感触が、慧の気分を陰鬱としたものにさせる。
この場所は建物の脇でちょうど日陰のはずなのに、どこか暑苦しい。右からも左からも、暑さとは違う、抑えきれない熱が発せられている。
誰もが皆、虎視眈々と頂点の座を狙っている。隙あらば取って喰らわんと構える獣のよう。
慧は開会式に参加してから、そんな風にこの雰囲気を感じ取っていた。開会式の際グラウンド上に整列した高校のほとんどは香椎東の倍の人数を擁していた。
どの高校も行進、整列共にキビキビしており、どこか軍隊めいた雰囲気を醸し出していた。
どの生徒にも背伸びしたって敵わない、慧はそんな風に感じた。今からこんな人間達と相対しなければならないのかと思うと溜め息しか出ない。
慧はそっと背中をさする。そこには、背番号『9』が着けられていた。高校野球におけるレギュラー選手の番号。一桁台。
慧は溜め息をつく。本来ならスタンドで応援団でもやっているのがお似合い、いやむしろ、クーラーの効いた自室でゆったり観戦していたいのが本音だ。こんな分不相応の番号を与えられ、身が凍る程の緊張にひたすら襲われ、正直気が気でない。
いつの間にかミーティングは終了し、皆グラブを手入れしたりストレッチをしたりなど思い思いの体勢で出番を待っていた。
みんな、戦おうとしている。こんなにも逃げたい人間が混じっているのに。
慧はどうしても不安になった。無意識の内に周りを見渡し、その姿を認めるとほっと息をついた。
自然と足がその方向に向かう。こんな時に気持ちが駆け込むのは、華凛の元だった。
「華凛ちゃ……」
その名前を呼ぼうとした瞬間。
慧は気付いた。
その端正な顔立ちが驚愕の色濃く歪められていることに。
震える華凛の、その視線の先を慧は追う。そこにはひとりの少女が佇み、華凛を真っ向から見据えていた。
「……久しぶり、華凛」