前準備
「ま、まだ買うの……?」
「ええ。食料は重要よ。きっと体力を激しく消費するだろうから」
「そ、そう……」
買い物カゴを設置したカートを、慧は力なく押していく。華凛は真剣な面持ちで、肉、野菜、冷凍食品に至るまで手にとっては戻し、あるいはカゴに入れ、という動作を繰り返していた。
一学期が終了し、夏休みが到来していた。
クラスメートがどんな事をして過ごしているのか、慧は気になる。あわよくば、仲の良い友達と一緒に遊びたい。そんな願望もあるが、今はカゴに積み重ねられる食材を見てうんざりするばかりであった。
捺が立案し、皆が賛同した夏合宿。明日からそれが始まるに当たり、部員それぞれに前準備の指令が出ていた。その中で、一年生には食料の買い出しというミッションが与えられている。
「料理とかほんとに大丈夫かな……」
「給湯室は割と整ってたし、大丈夫よ。冷蔵庫もあるから保管には困らないわ」
「でも、料理できる人いるの……?わたしはあんまりできないよ……」
「そ、それは……なんとかなるでしょ」
調理することに対しては華凛も自信なさげな様子である。下級生の仕事だ、などと言われて調理係を命名されたら堪ったものではない。
しかしながら、実際に購入する食材は一年生に一任されている。的外れな食材を買ってきたら一体どうするつもりなのか。部長の考えは謎である。
「……まあ、こんなところね」
華凛がパンパンと両手を払う。その動作に反応した慧がカゴを確認すると、そこには自炊用、レンジでチン用を問わずありとあらゆる食料がうずたかく積み上げられていた。
「こ、こんなに……」
いくらなんでもこれは見境無さ過ぎではないか。ついその思念が言葉になりそうになった瞬間、それを遮る声がした。
「まだ選んでるっすか。こっちはもうあらかた揃いましたよ」
声の正体は豊である。一年生である豊もやはり買い出しミッションに駆り出されており、ゴミ袋や水、洗剤といった食料以外の各種生活用品を任されていた。カート上段、及び下段のカゴに適度に物資を詰め、悠々とそれを転がす。
「――!」
直後、慧の所持するカゴに目がいった豊の顔が戦慄の色合いを帯びる。
「そ、そんなに買って……余らせたらどうするつもりっすか……!」
「心配し過ぎよ。夜はきっとお腹が空くんだから」
「それにしても……モノにテーマが見えないというか……何でも買えば良いってもんじゃないと思うんすが……」
「大丈夫よ。失敗した時のために冷凍食品もあるんだし」
「そ、そうっすか……それならもう何も言うことはないっす……」
ここぞとばかりに華凛の押しの強さが発揮される。豊も慧も、もはや黙って頷くのみであった。
「……そしたらあとは、あそこ行きましょう」
不意に、豊が場の先導を始める。言われるがままに二人が付いて行くと、そこに現れたのはお菓子コーナーだった。
「ここから調達して、締め、ってとこっすね」
とたんにウキウキ状態の豊に対して、華凛は怪訝な表情を浮かべる。
「ただでさえハードな練習が予想されるのよ。お菓子なんか食べてる余裕は無いと思うのだけど」
「……甘いっすね」
つい先程と打って変わって、今度は豊が前に出る。
「合宿といっても、むしろ合宿だからこそ、夜になれば独特のムードになるはずっす。言ってしまえば修学旅行みたいなもんっすね。そんな時に揃ってなきゃいけないんですよ……お菓子は」
豊の熱弁を受け、華凛と慧はただ唸るのみだった。
「確かに……それはそうね」
「でしょう?だからこれは必需品ですよ。さ、どんどん選別して行きましょう」
豊はテキパキとお菓子を選りすぐる。その手際の良さにしばし言葉を失っていた両名はしかし、まず慧が動き出すことで対応を始めた。
「……チョコ系とかあったら嬉しいかも……」
「おっ、貴重なご意見をどうも」
「わ、わたしが好きっていうだけ、なんだけど……」
「ちょっと、それなら私も意見はあるわよ」
「おっ、いいっすね。どんどん提案くださいよ」
それぞれの持論がぶつかり合う。かくして、カゴには食材同様お菓子がうずたかく積み上げられることとなった。
「……買い過ぎ、っすかね」
「う……うーん……」
会計を済ませ、改めて物資を確認した時、やり過ぎた感が三人の間に流れた。
「大丈夫よ。私達が任されたんだから堂々としていれば良いの。文句が出るなら、それは私達に依頼した体制に問題があるってことだわ」
発揮される華凛のカリスマ。その威風に二人はただ従うのみだった。
かくして一年生に託された食料の買い出しミッションは、ここに完了を見るのであった。