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ハードシップメークス  作者: 小走煌
4 [練習試合]香椎東対天神商業
45/227

香椎東対天神商業18

「けーいー」

「はいっ!?」

 突然の声に慧は思わず身を震わせる。声のした方をおずおず見ると、捺がきょとんとした顔で立っていた。

「あら、まだ緊張してるの」

 図星だった。打席を迎える度に訪れる感覚。捺の指摘に慧は言葉を返すことが出来ない。

「……ふふっ、かわいいじゃない」

 捺はヘルメット越しに慧の頭をわしわしと揺さぶる。されるがままの慧が目を回すまでそれほど時間はかからなかった。

「ちょ、と、とめて……」

 思わず左手をバットから離し、捺の腕をタップする。

「あら、ごめんごめん」

 言葉とは裏腹に、捺に悪びれた様子はなかった。ヘルメットの位置ずれを直してから、慧はゆっくりと落としたバットを拾い上げる。

「な、なんなんですか、いったい……」

「慧がこれから打席に入る前にちょっとアドバイスを、ね」

「あ、アドバイス……?」

 とたんに真剣な表情へと切り替わった捺を見て、慧は思わずこわばった。いったい何を言われるのか。

「あのピッチャー、どうやら交代はしないみたい。三人目がそろそろ出てくるかと思ったんだけどね」

 慧には独り言にしか聞こえない捺の呟き。そこから不意にまっすぐ慧を見据えて来るその瞳に、思わず息をのむ。

「とりあえず連携するわ。まず、あのピッチャーならバットに当てるのはさほど難しくない。慧もさっき当たったわけだし……まあ、凡退した私が言うのもなんだけど」

 照れを浮かべながらも、真剣なトーンを崩さない。慧は黙ってその言葉を聞き続ける。

「とにかく、ボールにバットを叩きつけなさい。上から思いっきり。そうしたら、すぐ走る。一生懸命、一塁まで全力で」

 一言ひとことゆっくりと、はっきりと告げていく。捺がどれ程真剣かは、言葉の端々からひしひしと伝わってきた。両の掌にじわりと汗が滲む。

「……ま、思いっきりバット振って思いっきり走って、ってだけよ。それだけ!」

 簡潔に纏め、慧の背中をバシッと叩く。背中にヒリヒリとした痛みを感じながらも、それは打席に向かう動力へと転換された。

「……プレイ!」

 球審のコールが響き渡る。七回裏、ノーアウト、ランナーなし。慧は改めて目の前の投手と相対する。

 この投手は投球フォームが特徴的である。通常の投手は頭より高い位置から腕を振り、ボールを投げる。しかしこの投手は腕の位置をそれよりも下げ、肩と同じ高さで腕を振る。いわゆるサイドスロー。

 それはチームメイトがベンチで盛んに行っていた会話から得た情報。華凛に至っては自軍の攻撃中、時間を割いてそのことについて教えてくれた。

 しかし慧には、その違いはよく分からなかった。サイドスローの珍しさも、それが打者にとってどう困るのかも不明だった。

 かつ、慧にとっては今、そのことはどうでも良かった。再び顔を出した緊張と戦うので精一杯。

 思考が纏まらないまま、ピッチャーが投球モーションに入る。直前に捺から言われたことが脳裏をよぎる。思いっきりバットを、叩きつける――。

「あっ――!」

 球審による無情のコールが響く。結果はストライク。ボールの遥か下を振っているという感覚だけがありありと残った。

 あまりもの緊張がバットを持つ両手の力を奪い「上からバットを出す」という脳からの命令を狂わせ、結果バットが下から出た。この結果を受け、心が俯こうとする。

 ――ダメだ……ちゃんと上から出さないと。

 しかし、直後訪れた思考は反省だった。慧は折れようとせず、素直に結果を振り返り、次の球に備えた。

 一球振ったことにより緊張による混乱から多少解放された。そして何より、打席に入る直前に受けた捺のアドバイス。それが、慧のすべきことを明確にした。

 バットを叩きつける。ただそれだけを考えボールを待つ。やがて、投じられる二球目に体が自然と反応した。

 瞬間、慧の両手に微かな感覚。続けて、視界の左端に映る硬球。

 当たった。打球は三塁線、フェアグラウンドを跳ねている。そうと分かるや否や、慧は脇目も振らずに一塁目指して駆け出した。

「サード!」

 天神商業の誰かが叫んでいる。でも関係ない。行く手にはベース上でミットを構える堀川。その長身とチラリ目が合う。ただそこにいるだけで充満する威圧感。でも、今は関係ない。堀川から目を切り、必死にその横を駆け抜けた。

「やった! 慧!」

「すご……」

「やるじゃねえか!」

 背後から何やら声が聞こえる。ベースを蹴り大きく駆け抜けた慧が後ろを振り返ると、送球を諦め立ち尽くす三塁手と、三塁ベンチで沸き立つ香椎東の面々が目に映った。

「は、はは……」

 どこかへ消えていた緊張が急に帰って来てなんとも言えない気分になる。笑顔が固まっているのは自分でも分かった。

 ――でも、なんだろう。この気持ち。

 三塁ベンチから発せられる皆の歓声には、これまで慧の知らない何か、得体の知れない要素が含まれていた。

「あーっ!」

 しかし物思いにふける間もなく事は進んだ。直子が初球を打ち返したのだ。

「ばっか直子……!」

「やべえ! 走れ若月!」

 複数の叫びが入り交じる。その中に辛うじて自分に対する指示の声が聞こえた気がした慧は、反射的に二塁ベースに向かう。

 しかし、すぐさまそこに現れたのは天神商業の二塁手、上条。慧が塁間の真ん中へようやく達しようとする間にはもう二塁ベース上で送球を受け、すぐさまこちらへ向かってボールを投げてくる。

「ひっ……!」

 反射的に反らす体の横をボールは平然と通り過ぎる。その直後、慧の背後で捕球音が響いた。

 あっという間の併殺成立。ノーアウトランナー一塁の状況が一転、ツーアウトランナーなしとなった。

「なおこー……」

「ご、ごめんなさい……」

 慧がベンチへ戻ると、既に捺が説教モードに切り替わっていた。ゴゴゴゴと擬音が聞こえてきそうな仁王立ちに、さすがの直子も小さくなっている。

「全く、貴女という人は……」

 そこに歩み寄ってきたのは、副部長である千春だった。

「最悪の結果ですね」

「だ、だって打ちごろの球だったんだもん! 当たりも悪くなかったでしょ?」

「ええ、むしろ会心の当たりです。会心が過ぎてゲッツーを取るには最適でしたね。それに甘い球なら野手の正面に打たないようにすべきだったのでは?」

「ぐぬぬ……」

 千春は容赦なく直子を突き放した。直子も返す言葉がなくなってしまっているようだった。

「あっ」

 その時、間の抜けた捺の声が割って入る。直子と千春は問答を止めグラウンドを見る。慧もつられてその視線を追うと、そこにはちょうど文乃がピッチャーフライに倒れる光景が映っていた。

 スリーアウト。七回裏、香椎東の攻撃はあえなく終了した。

「……ま、仕方ないわね」

 サバサバした声のトーンとは裏腹に、捺は背中を丸めてグラブを手にする。他の皆もどこか元気なく守備に就く用意を始めた。

「――ここまでよ。捺」

 ふと、耳に刺さる甲高い声。香椎東の全員が一様に顔を上げる。そこにはこの試合のホスト役、悠莉が立っていた。

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