香椎東対天神商業1
登場人物
若月慧
高校一年生。文芸部へ入部する決意を固めたものの、野球部へ入部させられてしまう。部員勧誘に頭を悩ませる。試合に出たくないと思っているが人数がギリギリのためどうしようもない。
伊勢崎華凛
高校一年生。慧を野球部に誘う。周囲の視線を奪う容姿の持ち主であり中学時代は名のある選手だったらしい。ただし硬式野球は高校から。部員勧誘に頭を悩ませる。
天宮捺
高校二年生。野球部部長。楽天的な性格。文乃へ部員勧誘のボード作成を依頼する。行動派かつ意地悪な面あり。新チーム初の練習試合にウキウキ。
林直子
高校二年生。基本的にテンションが高い。あっさりした性格。新チーム初の練習試合にウキウキ。
近藤千春
高校二年生。野球部副部長。真面目な性格。生徒会の活動が忙しい。
西川文乃
高校二年生。夏の初戦では七番セカンドだった。美術の才能がある。恥ずかしがり屋。
吉田清
高校二年生。部内で一番の大柄。
大崎梓
高校二年生。夏の初戦では六番ライトだった。
物静かで謎が多い。
新チームでは投手を務める。
中川幸
高校三年生。眼鏡をかけている方。おっとりしている。野球部は引退し塾通いの日々。
佐倉千秋
高校三年生。眼鏡をかけていない方。おっとりしており後輩の面倒見が良い。野球部は引退し塾通いの日々。
杉山豊
高校一年生。大切にしている熊のぬいぐるみを捺に奪われ交換条件として練習試合に助っ人参加。中学時代はキャッチャーだった。
平悠莉
中学時代の捺、直子のチームメイト。天神商業へ進学し、一番手ピッチャーの座を掴み取る。
「久しぶりじゃない。捺」
「今日はどうもありがとう。大会期間中なのにわざわざ声かけてくれて」
「あたしもいるぞー」
「せいぜいいい調整相手になってくれることを願ってるわ。手加減なんてしないから覚悟しなさい! 捺!」
「それはこっちとしても有難いわ。今のチーム力がどの程度か測ることが出来るし」
「あたしもいるぞー」
「先攻後攻を決めましょう。ジャンケンでいいわね、捺?」
「私ジャンケンあまり得意じゃないから、好きな方選んでいいわよ」
「あたしもいるぞー……ってジャンケン得意じゃないって何だよ」
ホームベースを挟んで、今にも火花が散りそうなやり取りが続いているのを豊は黙って聞いていた。
試合開始前の整列。香椎東の主将である捺と今回のホスト役を務める平悠莉。二人(と直子)は中学時代同じチームでプレーした仲らしい。しかし二人とも再会を懐かしむ様子も無い。やたらとふんぞり返る悠莉に対して、捺はあくまで悠然と構えている。
「じゃ、ウチは先攻にするわ。あたしに選ばせたの、後悔しないことね!」
「分かったわ。それなら私達は後攻で」
「ギッタンギッタンにしてやるんだから! 泣いて帰っても知らないんだからね!」
「分かったからとりあえず挨拶しましょ。皆待ってるわ」
「えっ……あ、ああ、そうね」
整列している両チームのメンバーがいつ試合を始めるのかと待ち続けていることにようやく気づいたらしい悠莉は、オホンとひとつ咳払いをして球審の位置に立ち、宣言する。
「それでは、これから天神商業対香椎東の試合を始めます。天神商業が先攻で行います。礼!」
「お願いしまーす!」
両チームの声がぶつかり、そこから天神商業の面々は自軍ベンチへ、香椎東の面々はグラウンドへ散り散りになる。
「……」
投球練習を行っていたため防具を装着したままだった豊は、ホームベースの後方で仕上げとして手に持っていたマスクを着けようとする。すると誰かに肩をポンと叩かれた。
「宜しくね」
その正体は捺だった。たったの一言だけ残し、ショートのポジションに向かっていく。
「……自分に言われても、っすけどね」
ポソリと呟き、マスクを装着してから今日のスターディングオーダーに順番に目をやる。
一番センター、林直子。
直子は外野の面々とボール回しをしている。非常にゆったりした大きいフォームから、天に届かんばかりの高さでフライを投げているところだった。
夏の大会ではショートを守っていた直子。記録からは読み取れないが、あのフォームを見る限りショートは相当守り辛かっただろう、と豊は推測した。
しかし、裏を返せば外野なら本領が発揮できるといったところだろう。本人も本職は外野だと言っていたし、今日の守備は何ら問題ないはずだ。球審を務める天神商業の恐らく控えメンバーであろう部員からボールを受け取り、マウンドに佇む梓へ送ってから次はセカンドを守る選手に目を向ける。
二番セカンド、西川文乃。
文乃は華凛の放るゴロを捕球し、丁寧に送球する。その動作を一目見ただけで、守備に関してはかなりの力を持っていることが分かった。
対照的に、バッティングの能力を豊は疑問視する。夏の大会でも特に見せ場なく凡退していたデータを調べていたからだ。
――ただ、部長サンは二番に誰を置くかで悩んでいるみたいだし、いろいろ試したいんでしょうね。
無言でマウンド慣らしの初球を投じる梓のボールをミットの芯の部分で受け止め、豊は華凛の転がすボールの行き先に注目した。
三番ショート、天宮捺。
捺は華凛から送られて来るゴロを軽快に捌き、間髪入れずに鋭い送球で返す。
夏の大会はキャッチャーで出場したが、それはチーム状況から仕方なくやったこと。捺の動きを目にした豊は、そのただ一度で、つい先程その守備力を評価した文乃さえをも上回る能力を捺が有していることを認めた。
それでいて三番バッター、かつチームの主将。間違いなく捺がこのチームの最重要人物であることを、豊は改めて認識した。
――けどこのヒトとセンターの林サン、なんでこんな学校に来たのか……ま、人にはそれぞれ事情があるんすね、きっと。自分だってそうだし。
ふと発生する疑問をなんとなくで納得させ、二球目を投げ込まんと振りかぶる梓を視界に捉えながら、先程から内野陣にゴロを供給する張本人を横目で見る。
四番ファースト、伊勢崎華凛。
さんざん苦しめられた中学時代の思い出が脳裏を掠め、豊はげんなりする。
走攻守揃った規格外のセンター。それが豊が中学時代に受けた華凛の印象である。当時は華凛に対する攻め方を試行錯誤したものの、弱点らしい弱点はついに見つけきれなかった。
それでいて足もあり、驚異の外野守備を誇る。そんな彼女がファーストを守っていることに違和感を覚える。
しかし豊はそこに対して詮索するのを一旦止めた。
――人にはそれぞれ事情があるっすよ。とりあえずその打力……お手並み拝見ってとこっすね!
梓のボールに対し小気味良い乾いた音をミットで響かせ、レフト方向を確認する。
五番レフト、吉田清。
そのがっしりした体格は女子高生離れしている。夏の大会からポジションも打順も変更が無い。恐らく期待されているのはここという場面の一発長打。しかし守備には若干の不安がありそうだ。豊はほんの一瞬でそこまで分析し、梓にボールを返しつつ同じ方向を見る。
六番サード、近藤千春。
ちょうど華凛への送球を終えた直後の千春は、帽子のつばを触りながら地ならしをしていた。
夏の大会はセンターで二番。しかし本職はサード、今日は六番。さしずめ状況に応じた働きが出来る潤滑油的ポジション、といったところだろう。何球目かのボールを受け、豊は戦力考察の最終段階に入る。
七番ピッチャー、大崎梓。
豊はある意味で、捺や華凛以上にこの大崎梓という選手に興味があった。
豊はこの投球練習時、さらに遡ると試合前のウォームアップから、構えるミットの位置を微妙にずらし続けていた。
初めて受ける投手のコントロールを測るために行う豊独特の手段だが、梓は表情も変えずに、寸分の狂い無くミットの位置へ正確に投げ込んで来るのだ。なんでこんなピッチャーがいながら夏の大会は使わなかったのか、これは捺を後で問いただす必要がありそうだ、と豊は思った。気持ちの良い音を鳴らし、ボールを梓に供給する。
八番キャッチャー、杉山豊。
いくら素振りを続けていて自主的に硬球にも触れているとは言え、実戦でのバッティングはこれが初なのだ。豊は下位打線での起用を捺に進言していた。
噂に聞く、内角球に詰まらされた時の手の痺れがいかほどのものか、豊は想像して身震いする。
――ま、なんとかなるでしょ。あとは……。
豊は最後にライト方向を見やる。
九番ライト、若月慧。
捺からは野球未経験者だと聞いている。しかし、入部後練習を共にするにつれ、着実に成長しているとも聞いている。
しかし豊の目に映る慧の挙動は硬く、場慣れしていないことがありありと伝わった。
――夏の大会に出ていないことを考えれば彼女にとって初の実戦……見るからに緊張してますが、まあ仕方ないか。
極力ライトに打たせないように気を付けねばならないと決意し、梓からワインドアップの最後の一球を受けた。
「ボールバック!」
直後、豊は意識して普段以上に声を張り、野手のボール回しを終了させる。捺が二塁ベース上、文乃がそのカバーに入った。
「くっ……!」
セットポジションから投じられた梓の投球を受け、すぐさまセカンドへ送球。ボールは計算されたコントロールで捺のグラブに収まった。すぐさまボール回しを始める捺及び内野陣を見ながら、豊はひとつ息をつく。
――とりあえず、どうにかなりそうっすね。
安堵したのもつかの間。目の前の相手に豊は意識を集中させた。
「みんなが遠い……」
震える体を抱きしめたくなるのをどうにか堪え、中腰の姿勢を取る。
慧はライトのポジションから、いつ来るかも知れない打球の恐怖に怯えながら戦況を伺っていた。試合前のミーティングで捺が挙げた注意点が頭をよぎる。
天神商業のストロングポイントは打線。特に上位打線は脅威。その打球の速さから、三遊間は特に注意が必要。外野の守備は直子に舵取りを任せる。「おっけー。ようやく本職に着ける林氏にまかせといて!」という頼もしい声。そこまで思い出して、現在の状況を改めて確認する。
――上位打線っていうのは、つまり今、なんだよね……?
混乱しそうになる頭を必死に整理する。気をつけろ、と言われても何をどう気をつけたらいいのか検討もつかない。それより何より、一つの強い思いが慧の心を支配していた。
「ボール、飛んでくるな飛んでくるな飛んでくるな飛んでくるな飛んでくるな……」
周囲に誰もいないのをいいことに口に出して唱え続ける。慧の目はぐるぐる回り、何がなんだか分からなくなっていた。
「ワンナウト!」
ふと、こちらに向けているような声が聞こえる。ふと前方を見ると、華凛がこちらに向けて人差し指を立てていた。
「わ、わんなうと……」
オウム返しで応える。どうやら先頭打者を空振り三振に取ったらしい。思わず安堵のため息を漏らす。
「ケイー!」
今度は右方向から張りのある声が聞こえる。慧がその方向に目をやると、直子が大きい身振りで後退のジェスチャーをしていた。
「これくらい……ですか?」
届くはずもないボリュームで慧は尋ねる。直子のジェスチャーは収まらない。慧は直子を見ながら、されるがままにバックネットから後ずさった。
「オーケー!」
やがて直子が静止のジェスチャーを出す。慧はつられて止まり、ホームベースを見る。
「左、バッター……」
打席には天神商業の二番打者、吉松蓮花が立っていた。