それでも試合は始まる
登場人物
若月慧
高校一年生。文芸部へ入部する決意を固めたものの、野球部へ入部させられてしまう。部員勧誘に頭を悩ませる。
伊勢崎華凛
高校一年生。慧を野球部に誘う。周囲の視線を奪う容姿の持ち主であり中学時代は名のある選手だったらしい。ただし硬式野球は高校から。部員勧誘に頭を悩ませる。
天宮捺
高校二年生。野球部部長。楽天的な性格。文乃へ部員勧誘のボード作成を依頼する。行動派かつ意地悪な面あり。新チーム初の練習試合にウキウキ。
林直子
高校二年生。基本的にテンションが高い。あっさりした性格。新チーム初の練習試合にウキウキ。
近藤千春
高校二年生。野球部副部長。真面目な性格。生徒会の活動が忙しい。
西川文乃
高校二年生。夏の初戦では七番セカンドだった。美術の才能がある。恥ずかしがり屋。
吉田清
高校二年生。部内で一番の大柄。
大崎梓
高校二年生。夏の初戦では六番ライトだった。
物静かで謎が多い。
中川幸
高校三年生。眼鏡をかけている方。おっとりしている。野球部は引退し塾通いの日々。
佐倉千秋
高校三年生。眼鏡をかけていない方。おっとりしており後輩の面倒見が良い。野球部は引退し塾通いの日々。
杉山豊
高校一年生。大切にしている熊のぬいぐるみを捺に奪われ交換条件として練習試合に助っ人参加。中学時代はキャッチャーだった。
――憂鬱。なんだって自分がこんな目に。
ジャージ姿で俯き加減に歩く少女。愛用であるはずの大きなリュックは今、その身にない。
代わりに左肩に担いでいるのはエナメルバッグ。野球用の肩掛け鞄だ。担ぎ直して位置ずれを修正した彼女はひとつのため息の後、また歩き出す。
杉山豊。とある事情から野球を断つ選択をした彼女は、香椎東高校へ進学することにした。高過ぎないある程度のレベルを有した進学校であるというのが主な理由だが、野球部が半ば休部状態となっているから、という側面もある。
しかし、現部長である捺により強引に試合参加をさせられることになってしまった。今日何度目かのため息をつきながら、目的地が目の前に迫っていることを確認する。
――詐欺だ、こんなの。
所有物を奪われ、交換条件という形で練習試合に出場させられる。有り得ないやり方にふて腐れながら校門を潜る。
天神商業高校。今日の練習試合の相手であるこの高校は、今や県内屈指の強豪校として名高い。助っ人が必要な程に人数の足りないチームが、いったいどうしてこんな有名校と試合が出来るのだろう。ぬいぐるみを返して貰うついでに聞き出してやろうと鼻息を荒くする。
校門を抜けるとすぐ右側に校舎が建っている。それを横目に奥に突っ切ると、やがてグラウンドが見えてくる。ちょうどレフトのファールグラウンドに当たる部分を皮切りに、豊の眼下に堂々としたグラウンドの光景が広がった。
「これは……」
ある程度充実した環境であろうことは想定していた。しかし豊の目に飛び込んで来た光景は、それを超えるものだった。
校舎からグラウンドまでは何段か窪んだ地形となっており、豊のいる位置からはちょうどグラウンドを見下ろす形となった。
そのおかけで全景が見渡せるその広さは、市民球場に勝るとも劣らない程のもの。土も整備が行き届いており、学校のグラウンドにありがちな大量の小石も落ちている気配は無い。
「立派なもんっすね……」
思わず呟いてから、既にグラウンド上に姿を見せている二つの集団を見つける。豊の立つ場所から手前側に位置するレフト側と奥側であるライト側に分かれて両チームがウォームアップを始めていた。
ちょうど手前、レフト側でキャッチボールを始めている集団が香椎東の面々であることを確認するのと同時に、そこから声が返って来る。
「あっ、いたいた!」
大振りな動作で手招きをしているのは捺だった。豊は黙って段差を降り、捺と合流した。
「本当に来てくれてありがとう……今日は宜しくね」
「ぬいぐるみはぜっったいに返して貰いますからね」
豊は強い口調で告げつつ、キャッチボールを始めているメンバーを一人ずつ値踏みするように見回す。
「どうしたの?」
「今日投げるのは誰っすか? さっさと受けておきたいっす」
豊の発言に捺は少し驚いたような表情を見せるが、やがてニンマリとした笑みと共に告げる。
「もう決まってるわ」
捺は部員達の方に目をやる。
「梓。ちょっと」
一番奥でキャッチボールをしていた二人組が捺の声に反応し豊の前までやって来た。
「こちら、今日キャッチャーをしてくれる杉山豊さんです」
やって来た梓に対して、本日共に戦ってくれる助っ人を紹介する。梓は豊にちらと目をやり、無言のまま小さく会釈をする。そこまで確認し、捺は豊に向き直る。
「で、こちら今日の先発、大崎梓さんです」
今度は豊に本日のパートナーを紹介した。
「どうも」
豊は言葉短く挨拶をする。
「軽く調べましたが、確か夏の大会は三年生がずっと投げてたはずっすね。大崎サン、でしたっけ。ピッチャーの経験はあるんすか?」
ズケズケとした物言いの豊に対して表情を変えることなく、梓は一言ポソリと告げる。
「本職はピッチャー」
「……そうっすか。分かりました。ちょっと付き合って貰えますか」
早口でそう言いながら今度は捺に向き直る。
「とりあえず自分たちは準備するんで。防具とかあるんすか?」
「もちろん用意してるわ。三塁側ベンチにあるから適当に使って」
捺が三塁側に簡易的に設置されているベンチを指差す。豊は無言でその場を後にした。
「梓も手伝ってあげて」
主将の指示に、梓も無言で従った。ゆっくりと豊の後を追う。
「……あの二人、上手くいくかねえ」
のんびりした声が捺に語りかける。梓とキャッチボールをしていた直子だった。
「案外上手く行きそうよ」
ベンチに向かう二人を眺めながら続ける。
「杉山さん……あの娘、なんだかんだやる気と見えるわ。わざわざ夏の大会のことも調べたっぽいし。さすが一人で素振りを続けてるだけあるわ」
「ほほう」
「たぶん、あの二人は安心してていいと思う」
「あとは皆が天神商業に呑まれないこと、か」
「うん。でも、まあ大丈夫でしょ。皆図太いし」
二人は視線をキャッチボール中のメンバーに移す。二人の目には皆が頼もしく映った。
――憂鬱。なんだって自分がこんな目に。
投じられる華凛のボールをグローブの芯で捉えながらため息をつく。華凛のボールの勢いのおかげか、良く響く乾いた音がグラウンドにこだまする。
――無理やり試合なんかしなくてもいいのに……やるならもうひとり部員いなきゃだめだよ……わたしが出ないといけないじゃん……。
心の中でぼやき、慧はボールを投げ返す。華凛のグローブから乾いた音が響き渡った。
「ナイスボール!」
華凛が声をかけてくれる。普段なら嬉しくなるものだが、こと今日に関しては憂鬱な気持ちが勝っていた。
――ああ、出たくない出たくない出たくない出たくない出たくない……。
念仏のように心の中で唱える。
――さっきから体が固い……気持ちが悪い……心臓が変な感じ……。
慧は自分の身体を内部から検査するように確かめ、またため息をつく。
――なんでかは分かってる……緊張してるんだ、わたし。
はっきりとしている現実に目が眩む。
――ああ……逃げたい逃げたい逃げたい……。
キャッチボールをしながら、ひたすら呪文のように同じ言葉を繰り返していた。
「集合!」
突如、捺から声が掛かる。慧は心臓をひとつ高鳴らせて、キャッチボールを終了させ走り寄る。他のメンバーも捺の元に集まり、円陣が組まれた。
「今日は新チーム初めての試合です。気合いを入れていきましょう」
「はいっ!」
ハキハキとした返事に紛れ、慧は他のメンバーに隠れるように声を縮めていた。
「では今日のスターディングオーダーを発表します。まず一番……」
慧の鼓動がドクンと高まる。逃げたい気持ちと裏腹に、試合は始まろうとしている。
20150110
誤字がありましたので修正します。失礼しました。
誤→坂口梓
正→大崎梓