登場
「いけー、華凛ー、スタンド入れちゃってー!」
直子がベンチから無理難題を押しつける。その声が届いたかどうかは定かではないが、華凛はバットを真上に高く掲げてから構え直した。
周囲に風でも舞いそうなその佇まいに思わず見とれてしまう。しかし、今は出来るだけ多くの声援を送らねばならない。声を振り絞っていると、相手投手は悠長に腕をぐるりと一度回し、それから投球動作に入った。
「華凛ちゃん、打って……!」
ベンチから声を投げるように届ける。初球の判定はボールだった。熱くなるベンチをよそに、華凛は冷静に見逃していた。
ナイス選球――そう声を掛けようとしたが喉が詰まり言葉にならない。慧は少し深呼吸をしてから、応援を続行した。
二球目、これもボール。一球ごとに会場がどよめく。ベンチから首を出すと、スタンドからの声援が想像以上に聞こえるのが分かった。
「華凛、一球見て良いよ!」
直子がアドバイスのような声援を送った。恐らく、相手投手の制球が定まっていないのを見抜き、このまま行けば四球を取れるかも知れないと考えたのだろう。
慧もそれは名案だと思った。労せず塁に出られるなら儲けものだ。直子に続いて声を掛けようとしたその時、「ナイスバッティング!」と会場がまた沸いた。華凛が痛烈なゴロで三遊間を破ったのだ。
「おおー、やるねえ」
「凄い。鋭い当たりね」
直子と捺が同時に感想を漏らした。
先輩達さえも驚くような頼もしい存在。華凛がせめて同級生で良かった、と慧は思った。いやしかし、華凛が先輩ならそもそも自分に目をつけなかったのでは。妙なところに思考が行き、あれこれ考えなおす。
「タイム!」
その時、球審がコールを掛けた。和白の内野陣がマウンドに集まる。
「おっ、作戦会議かい? 良い感じに焦ってるねえ」
直子が満足気に言う。しかし、捺がその言葉を遮った。
「いや、あれはタイムというより……やっぱりね。出て来たわ」
「なんだって?」
直子は驚いたようにグラウンドに注目する。捺はじっとマウンドの方を睨んでいた。
『ピッチャー、金城さんに代わりまして、村田さん』
球場全体にアナウンスが響き渡る。
「あれが和白の本当のエース、村田えりか……昨日ぶりね。今日も出て来るだろうとは思ったけど、予想以上に早かったわね」
捺が声のトーンを落として言った。直子が、千春が、ベンチの全員が真剣な表情になった。
慧は昨日の準決勝を思い出した。確かに投げていたのはあのピッチャー。あの天神商業打線を手こずらせていた危険な投手。そして最も慧の印象に残っていたのは、左投げという特徴だった。