改めて気づかされる
『四番、ファースト、伊勢崎さん』
アナウンスが場内に流れたが、それをかき消すほどの大歓声が香椎東ベンチとスタンドからは飛んでいた。
「良い感じに盛り上がってきたわね」
ホームインしベンチへ戻ってきた捺が、ヘルメットを脱ぎ髪をかき上げた。
「ナイスバッティングです、捺先輩……!」
慧の声に、捺は帽子を被りながら笑顔で応えて見せた。
「まあまあ良い当たりだったわ。スタンド越えられるなら私もまだ捨てたもんじゃないわね」
慧は思わず口を空けたまま固まってしまった。これがホームランを打った人間の感想なのか。もっとこう、喜びを全身で表現するものではないのか。
「あ、ごめんね。嬉しいわよ、もちろん」
どうやら考えていることが伝わってしまったらしい。捺は舌を出しておどけた。
「すごいです……ホームランなんて、わたしには信じられない……」
「あなたも打てるわよ。いつか」
唐突に捺は根拠が全く見えないことを言った。
「ほ、ほんとですか……?」
捺の言うことはどこから信じて良いのか分からなかった。今の自分はバットを振るだけでも精一杯だ。あんな果てしなく遠くまでボールを運ぶことなど、夢の中でも不可能に違いない。
「ええ。ちゃんと練習すれば、きっと」
捺は慧を見据えて言った。そしてベンチの天井を見上げ何やら考え込む仕草を見せた。
「そうね……華凛に習うと良いわ。身近な優れた手本を真似るのが一番よ。なんにせよこの大会が終わったら、あなたたちの時代になるんだもの。あなたたちで上手くなる方法を見つけなきゃ」
ああでも右バッターと左バッターで違うか、と捺はブツブツと独り言を言っている。
「やっぱり、もう、終わっちゃうんですね……」
思わず慧は呟いてしまった。捺は言葉を止めてこちらを見る。
信じたくないが、やはり先輩達はこの大会で最後なのだ。その事実を改めて思い知らされ、慧は少し寂しくなった。
「まあ、もしかしたら県選抜がらみでもうちょっとお世話になるかも知れないけど、いったんは終わりということになるわね」
捺は涼しい声で言った。この人はどうしてこうさりげなくなんでも良しとして前に進めるのだろう。
「そんなに辛い顔しないでよ、こっちまで辛くなっちゃうじゃない」
「え、えっ……?」
捺が笑いながら背中を叩いてくる。どうやら、相当よどんだ表情をしてしまっていたらしい。
「す、すいません……!」
「そんなに謝らなくて良いわよ。こちらこそごめんね」
捺は笑いを少しずつ引っ込め、グラウンドを見た。
「まあ、これでとりあえず一点差ね。ここから追い上げればまたリードした状態に持っていけるわ」
打席には四番の華凛が立っている。
前の打席はヒットだったが、この打席はどうなるか分からない。しかし、つい好結果を期待してしまう。それはきっと、捺のホームランが生み出した空気に他ならなかった。