堂々
ベンチへ戻ると皆はグラブを嵌めて出て行った。慧のアウトがスリーアウト目だったのだ。
「ドンマイ。次頑張りましょ」
華凛に背中をポンと叩かれる。左手を見るとファーストミットを嵌めていた。それを見て、慧も急いで守備の準備をする。
バタバタしていると先ほどのみっともない空振り三振の恥ずかしさはやがてどこかへ消えた。ライトのポジションで一つ溜め息をつく。
あっという間に三回の表まで来た。会場の雰囲気が応援やざわめきで明るいからか、またはナインの雰囲気がそう思わせるのか、ビハインドの状況なのに重苦しさがあまりない。
「……まあでも、ヘンに固まるよりは良いのか」
慧は独り言で自分を納得させる。そうして降り注ぐ太陽の光を浴びて突っ立っていると、和白の先頭打者が現れた。
名嘉原亜希乃。初回先頭打者初球ホームランを打った女傑の第二打席だ。
あの当たりは不思議だった。外野フライかと思いきや、そのままスタンドインしたのだ。あのスイングの柔らかさが打球にも一種の柔和な感じを与えたのかも知れない。
そう言えば、一回表の攻撃が終わった後、豊がベンチで「あれは失投だった」と言っていた。豊の言葉が慧の脳裏に思い出される。
「いや、さすがに決勝の雰囲気っすね。スライダーがちょっとだけ甘く入ったっす」
「そうね。でも、その瞬間の隙を逃さない良いバッティングだわ。コンタクトする能力とパワーを兼ね備えてる。立派なものね、背丈は慧くらい小柄なのに」
捺があのシーンを振り返るように言い、こちらを見た。返す言葉もなく黙ってしまう。
こんなちっぽけな体でホームランを打っているのがそもそも脅威だ。自分には恐らく一生かかっても無理だろう。
「でも、あれが作られた打撃っていうのも信じられないわね」
捺は、今度は華凛を見て言った。華凛はゆっくりと頷く。
「ええ。昨日話した通り、和白の面々は監督の方針で、限られたごく一部を除いて全員が左打席へ転向しています。慣れない打席を部員達は驚異的な練習量――素振りにロングティーにマシン打撃をひたすらに繰り返すことで体に馴染ませていった、と聞きました」
「恐ろしいわね。まず監督が徹底してるわ。確かに野球は一塁に近い分左打者が有利だけど……そこまでするかしら」
「そこには私も恐ろしさを感じます。その中を生き抜いてきたレギュラー陣の打撃力は相当なものと見て良いでしょう」
「昨日も悠莉を苦にしてなかったものね。二回以降はもう少し慎重にいった方が良さそうね」
宜しくね、と捺は梓と豊のバッテリーに声を掛け、打席へ入る準備を始めた。
あの時の会話を思い出し、慧はライトから改めて亜希乃を見る。
左打席でバットをゆっくりと揺らしてタイミングを取る様は、野球を始めた時から左打者だったと言われても何の疑いも持たない自信がある。それほど洗練された、歪みのない構えなのだ。
こんなに遠く離れているのに、その構えを見て慧は思わず息を呑んだ。敵でありながら教科書のようでもある、不思議な存在がそこにいた。