緊張
豊の声はまるで試合中かのように鋭いが、どこか心配するような気配を伴っていた。
華凛は俯き、何かに迷っている素振りを見せたがやがてオレンジジュースのボタンを押し、一人で缶を開けて飲み出した。
「何でもない……って言いたいところだけど、良いわ。今少し高ぶってるのよね」
「なぜ?」
「次の試合、見ておきたい人がいるから」
「あっ……それってもしかして……」
その言葉を聞いた時、慧は直感した。次の試合のカードは天神商業対和白。華凛が言うのは恐らく和白の――
「名嘉原、でしたっけ。伊勢崎サンのかつての戦友っすね」
慧が言おうとしたことを豊がそのまま口にした。華凛は無言で頷いた。
「あの子、この試合もきっと出て来る。天神商業は確かにとてつもない強さだけど、和白もチーム力は高い。どう転ぶか分からなくてちょっと上がってるのよ」
「そういうことっすか。それならさっさとスタンド行って席を取らなきゃならないっすね」
そう言うなり豊は自分から釣銭を取り、すぐにジュースを買った。メロンソーダだ。
「ほら、若月サンも早く買うっすよ」
「う、うん……」
急がなければならないことは分かる。しかし、こういう時すぐに決めきれない自分が恨めしい。オレンジジュースとメロンソーダとエナジードリンクの間を人差し指が彷徨う。人が買ったものを欲しくなる性質にも嫌気がさす。
「ああもう、もどかしいっすね。自分が買ってあげますよ」
「あっ、待って……!」
豊が手を伸ばしてきたので反射的にボタンを押す。エナジードリンクだった。
「さっ、行きますよ」
豊が先頭をスタスタと歩く。華凛がそれに続いた。
「……まっ、いっか」
慧はひんやりした缶と重いバットケースで両手をふさぎ、二人の後をゆっくりついていく。階段を上がると、やがてグラウンドが見えてきた。
「あっ、こっちこっち!」
スタンドに出ると、既にバックネット裏に陣取っている捺が手を振って合図をくれた。
「どうしたの、遅かったわね」
「ちょっと下級生の遊びをしてただけっすよ。で、試合開始はまだっすか?」
「ちょうど今始まるところ。ナイスタイミングね」
捺の声に、遅れてきた三人はグラウンドを見る。整列が終わり、後攻のチームが守備に散らばるところだった。
「いよいよね……」
慧達の前に座る捺がポソリと呟く。マウンドを見ると、いつかの試合でホスト役を務めた悠莉が投球練習を行っていた。
そうか、捺先輩と直子先輩にとってもこれは大事な一戦なんだ――慧は思わず息を呑み、グラウンドに注目した。
和白の先頭バッターは名嘉原亜希乃。大観衆が見守る中、試合が始まった。