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ハードシップメークス  作者: 小走煌
12 夏の大会
166/227

香椎東対柳川女子:夏49

「やったわ! この回ゼロで切り抜けたのは本当に大きいわよ!」

 ベンチに戻って真っ先に聞こえてきたのは捺の声だった。まるで試合が終了したかのように全員と握手して回っている。

「まだ終わったわけではありませんよ、捺」

 そんな捺に千春がくぎを刺した。何かあるとこうやって千春がバランスを取ってくれる。こういうところはさすがに副部長だ。

「良いじゃない千春、喜びは表現しないともったいないわ」

「あなたは主将なのですから、羽目を外さないようにしてください。ましてや試合中なんですから」

 千春はあくまで冷静に、捺をいさめる。捺はばつが悪そうに頭をかいた。

「しかし、無失点で切り抜けたことが大きいのは確かです。出来ればこの回、もう一点欲しいところですね」

 その言葉に慧はドキリとした。この回、七番から始まる香椎東の攻撃は九番の慧に確実に出番がやって来る。あの剛球をまた打席で体験しなければならない。秋はなぜかヒットを打つことが出来たが、あんな都合の良いまぐれは人生全体で見てももう起こらないだろう。あのスピードはどう見ても異常だ。出来ればもう立ちたくない――

「若月さん」

 その時、千春に声を掛けられた。優しい笑みをこちらに向けている。

「そんなに緊張しないでください。あの怪物は打てなくて当たり前です。もっとリラックスして良いのですよ」

「は、はい……」

 慧は思わず俯いてしまった。捺や直子には厳しく接する千春だが、慧にはまるでそんな態度を取らない。恐らく素人である自分に気遣っているのだろうが、それがとても申し訳なく思えてくる。

「良い経験だと思って、自分のスイングを心掛ければそれで良いのです」

 千春の掌が慧の背中に優しく触れる。どうして自分に対してこんなに良くしてくれるのか、慧は問いただしたかった。しかし、今は集中すべき時。試合後に笑って聞けるようにここは頑張らねばならない。

「あ、ありがとう、ございます……」

 慧は前もって少しでも投球を目に焼きつけておこうとグラウンドを見る。この回先頭の豊が二球で追い込まれ、空振り三振に切って取られた。続いて梓が打席に入る。そのタイミングで慧はヘルメットとバットをこしらえネクストバッターズサークルへ移動する。

「慧、がんば!」

 捺が声を掛けてくれた。千春は変わらぬ笑みで見守ってくれている。他の皆もそれぞれ声援をくれた。

 ありがとうございます――心で唱え、梓の打席に注目する。梓もまた二球で追い込まれ、三球目もストライクを取られた。

「うう、良く見ても打てる気がしないよ……」

 思わず愚痴をこぼしてしまう。でももうやるしかない。千春の言う通り、自分の納得いくスイングをするだけだ。打席に向かい、玲央と相対する。

「……抑える。必ず」

 マウンドから玲央の声が届いたその時、慧は思わず身震いした。ベンチから見ていた玲央とはプレッシャーが段違い。これが打席でダイレクトに感じる圧力。両腕の震えが止まらない。しかし玲央は待ってはくれない。第一球。

「んっ……!」

 悲鳴はもはや声にもならない。未だかつて見たことのないボールが慧の目の前を通り過ぎ、ストライクとなった。

「ナイスボールです、姉さん……!」

 蘭奈が玲央にボールを返す。その声は二塁で聞いた時と同じように震えていた。

 どうしたのだろう――ふと玲央を見ると、大きく顔を歪めている。よほどの苦痛なのだろうか、普段なら心配したくなるところだが、今は逆に玲央の凄味に拍車を掛けてしまっていて、まるで仁王のようだ。

 そんなことを思っていると、すかさず玲央は二球目を投じてきた。一球目以上の威力を伴い、蘭奈のミットを鳴らす。

 打てっこない、絶対に――慧は涙を堪え、どうにかバットを構える。

 その時「慧!」と自分を呼ぶ声が聞こえてきた。見なくても分かった。それは香椎東の仲間達の声。そして思い出す。そうだ、自分のスイングをすれば良い。玲央の三球目。今日最大の威圧感を伴い放たれたボール。それを迎え撃つべく、慧はスイングした。

 しかし、バットは空を切った。空振り三振。スリーアウトとなってしまった。

 慧は尻もちをつきそうになるのをやっとのことで堪え、ベンチへ引き返した。さっき梓に感じた全能感以上のものを玲央は放っていた。顔をしかめてベンチへ戻る玲央の姿には恐れを通り越して尊敬の念すら覚えた。

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