香椎東対柳川女子:夏26
「ドンマイケイちゃん、この林氏にまかせなさい!」
次打者の直子とすれ違い様、背中をポンポンと叩かれる。慧は意気揚々と打席へ向かうその後ろ姿を見て、どことなく不安な感じがした。
あのキャッチャーの様子が気になる。あのぼーっとしているのか何か深く考えているのか分からない視線。そしてあの言葉。
姉さん。姉さんとは、この試合ベンチウォーマーになっている鍛治舎玲央のことを指すはずだ。あの悪魔のような投球は、捺の推察が正しければもう見ることはない。しかし、妹は姉の意志を継いでこの試合に臨んでいるということか。ただそれだけのことなら特に問題はないはずなのだが、しかし何か引っ掛かる。
「慧、大丈夫?」
不意に声を掛けられ、慧の思考は止まった。いつの間にか自分はベンチに帰って来ていて、目の前には華凛がいた。
「顔色悪いわよ。何かあったの?」
華凛はこちらの顔をジッと覗き込んでくる。慧は思わず後ずさりをした。
「ちょっと、逃げるんじゃないの」
華凛に腕を掴まれ、ベンチに座らされる。皆バラバラの位置に座っている三塁側ベンチにあって、一時だけの二人の空間が出来上がった。
「……あのキャッチャーに何か言われた?」
「えっ」
慧は言葉を失った。どうしてベンチからそんなことが分かるのか。
「どうやら当たりみたいね」
「ど、どうして分かったの……?」
慧の問いに、華凛はベンチの天井を見上げて言った。
「私も言われたの。というより、聞こえてきた、と言った方が正しいかしらね」
華凛はそう言って、視線を天井からグラウンドへ移す。
「そ、それってどういう……」
「私がホームランを打ってホームベースを踏もうとした時、あの人「許さない」って言ったの。審判にも聞こえないくらいの小さな声だったけど、私には聞こえたわ。それでちょっと不気味だなって思って、それ以降の皆の打席で変わったことがないかチェックしてたの」
華凛は前かがみで、両肘を脚に置いて腕を組んだ。
「慧には際どい球が三球続いたから、随分攻撃的なリードだなって思ったのよ。それに慧の様子もおかしかったし……案の定だった、ってワケ」
蘭奈の言葉が思い出される。薄く囁かれたあの言葉は、どういった意味を含んでいるのか。
「わ、わたしが言われたのは……「姉さんの、邪魔をするな」って、一言だけ……あと三振になった後も何か言ってたみたいだけど、それは聞こえなかったな……」
「姉さんの、邪魔をするな……」
華凛は慧の言ったことを反芻した。腕を組みながら何やら考え込んでしまった。
「華凛ちゃん、わたし、ちょっと怖いな……なんか、嫌な予感がするよ……」
「そうね。やっぱりちょっと不気味だわ。捺先輩にも話して――」
「うわっ!」
瞬間、叫び声がして二人はグラウンドをハッと見た。直子がバッターボックスからはみ出していた。どうやら、ボールを避けた勢いでのけぞってしまったようだ。
「なるほど……向こうさん、どうやら何がなんでも勝ちに来るようね」
華凛の声には緊張と、どこか剣呑な感じが含まれていた。