香椎東対柳川女子:夏22
蘭奈から放たれた打球がライナーで華凛の頭を越える。そのスピードはまるで飛鳥のよう。
慧は急ぎ打球へと向かった。数歩走ったところで打球はライト線に着弾した。フェアか、ファールか、慧には判断がつかない。とにかく走る。
「フェア!」
塁審の声が辛うじて慧の耳に届いた。慧がボールを処理しなければならないことがこれで確定した。
「い、急がないと、ヤバい……!」
慧は自分の限界に挑むかのように走った。ボールはフェアゾーンからファールゾーンへと跳ねていく。まるで慧から逃げるようだった。
「そっち、いかないで……!」
長い距離を走ってようやくボールの元まで辿り着いた。自分の出来る最高の速度でそれを拾い上げ、振り向く。
「けいちゃーん、こっちこっち!」
文乃が普段見せない力強さで腕を振ってアピールしていた。ありがたいことに、距離は近い。慧のボールが届く位置まで詰めてきてくれていた。
「お願いします……っ!」
慧は文乃目掛けて全力でボールを投げる。球速七十キロに満たないであろうそのボールは文乃のグラブを優しく鳴らした。
「ありがとー!」
文乃はボールを受け、すかさず送球した。その相手は捺。文乃は外野定位置の後方まで来ているが、捺は捺でセカンド定位置後方辺りまで距離を詰めてきていた。
「オッケーナイス中継!」
捺は慧と文乃に声を掛けながらボールを受けざま三塁へ送球する。その先にはグラブを構えて待ち構えている千春と、今まさに三塁を陥れんと迫る蘭奈の姿。
お願い、間に合って――慧が祈った次の瞬間、蘭奈が三塁へスライディングを仕掛けた。身をよじらせた、タッチをかいくぐるスライディング。
「……セーフ!」
塁審が両腕を横に広げる。グラウンドは大歓声に包まれた。
スリーベース。蘭奈が梓の初球を完璧なまでに捉えたのだ。そして際どいタイミングをスライディングの技術を駆使してセーフにした。蘭奈の攻、走が詰まったようなプレー。慧は長距離を走った影響で息を切らしながらも思わず身震いした。
「うーん、惜しい……おっけーけいちゃん、ナイス送球だったよ!」
文乃は特に動じる様子なく、慧に手を振って定位置へと戻っていった。
「あ、ありがとうございます……!」
反射的に礼を述べる。そして文乃の言葉を反芻する。
「ナイス、送球……」
その瞬間蘭奈の恐怖は隅に追いやられ、慧は今のプレーを振り返ることを始めた。
無心で打球に追いついて、拾って投げた。「捕る」のではなく「拾う」だから慧にとっては安心できるプレーだった。
そして送球については問題ないように感じた。つまり自分にとっては珍しく、上手くいったプレーと言えそうだった。
「ナイスね、ケイちゃん」
不意に横から声を掛けられ首がすくむ。直子がすぐ近くまで来ていた。
「ともあれランナー三塁だ。タッチアップがあるから気をつけよう」
そう言って直子も定位置に戻った。気づけば慧を除く全員が定位置についている。慧は慌てて自分がおおよそ定位置だと思っている位置まで走った。
「タッチ、アップ……」
今度は直子から言われた言葉を反芻する。疲れから起こる鼓動とは別の鼓動が心臓より発せられた。