香椎東対柳川女子:夏9
自分に出来ることをする。
しかし、そうはいっても緊張はする。
慧はライトのポジションで、右手に嵌めたグラブを脇に抱えるようにしてひたすらに緊張と戦った。あの手汗を、足の震えを、どうにかしなければ打席には立てない。
「もう……仕方ないけどどうにかならないかなあ、ほんとに……」
やるせない気持ちのまま、梓が投球をする時は構え、それ以外はグラブで顔を隠したり胸に当てたりして気持ちを落ち着かせる。
幸い、ボールは慧のところに飛んでくることはなかった。梓が冷静な投球で柳川女子の六番、七番、八番打者をアウトにしてくれた。二回の裏は滞りなく終了したのだ。慧はひとつため息をつき、ベンチへ引き揚げる。
「ケイちゃん!」
後ろから直子が呼んできた。慧が振り向くと、ライト、センター間ほど離れていたはずの距離を詰めに詰め、あっという間に目の前まで来た。
「いよいよ打席が回ってくるね。緊張してるかい?」
「え、ええ……少し……」
本当はとっても緊張してるよ! と心の中で呟きながら直子の問いに答える。
「そっか、ならひとつアドバイスだ」
不意に、直子は思いがけないことを言ってきた。
「あ、アドバイス……?」
「そ。これさえすればケイちゃんは大丈夫ってやつ」
そう言ったタイミングでベンチに到着し、直子は即座にバットを一本持ってきた。そして慧の前でバットを上から下に振り下ろす仕草をして見せる。
「バットを上から出すんだ。それはもう大げさに上からで良い。そうしないと緊張で手に力が入らなくて結局下から出ちゃうからね。強く意識してやること」
直子はそう言いながら、いわゆる『大根切り』の仕草を何度も慧に見せた。やがてその仕草を止め、慧にバットを向ける。
「バットを上から出せれば打球は転がる。転がりさえすればもうケイちゃんの勝ちだ。なぜって、ケイちゃんには武器があるから」
「ぶ、武器……?」
「そう。足だよ。ケイちゃんは足が速いから転がせばセーフになるのさ、きっと」
直子は慧の足は武器だと明確に言ってくれた。その瞬間、慧の頭にはあの日のことがフラッシュバックした。放課後の夕方、華凛と二人きりで教室にいたあの日。
「転がせば、みんなのためになりますか……?」
慧の問いに、直子はニッコリ笑った。
「もちろん! なんならチームを救う救世主になれるさ!」
そう言った直子に背中をバシンと叩かれる。慧はなんだか気合いを注入された気がした。
「ほら、出番みたいだよ。頑張っておいで」
直子の声につられてグラウンドを見ると、八番打者の梓がアウトになったところだった。「慧、ファイト!」とチームメイトの皆が声援をくれた。
慧はひとつ深呼吸をした後、慌ててヘルメットを被ってベンチを飛び出した。
「い、いってきます……!」
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