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ハードシップメークス  作者: 小走煌
12 夏の大会
114/227

おかえりなさい会

 あの日は、練習中から皆の様子がおかしかった。

 キャッチボール中は誰かしらお喋りするのが通例だったはずなのに、うんともすんとも言わない。どんなに大したことのない内容でもあけすけに話す直子は目が合っても何故か逸らすし、華凛も声を掛けてくれない。お調子者の豊などは、話し掛けようとするとわざとらしく口笛を吹いてどこかへ行ってしまう。

 一体わたしが何をしたというのか。いや確かに、皆に迷惑を掛けたのは間違いない。けどだからといって、急によそよそしくなるのはどういうわけか。どちらかというとこの場合、距離を空けてしまうのは人見知りであるこっちの方ではないか。

 悶々としながらも、いずれにせよどこかギクシャクしたこの感じは嫌だと慧は思った。しかしながら、開いた距離をどう詰めていけば良いのか見当がつかない。まとまらない考えをまとめようと頭の中で頑張っていると、体の方が色々とまずいことに気付いた。

 まずキャッチボールの時点で違和感があった。そう、ボールが重い。ボールを投げるのではなく、ボールによって肩を回されている感じがする。そして捕球が痛い。少しでも捕球位置がグラブのポケットからずれようものなら、まるで拳をぶつけられたような感覚に陥る。息もすぐにあがる。ベースランニングが地獄のように思えた。

 運動というものは少し間を空けるとこんなにも辛く苦しくなるものなのか。そんなことを考えながらやっとの思いで最後のメニューである素振りに辿り着き、握ったバットは案の定ずっしりと重い。慧は泣きそうになった。

 このままではまずい、どうにか体を慣らさなければ。今後への不安で頭がいっぱいになり、ミーティングを終え皆に続いて部室に向かう。俯きながらすっかりなまった体をどうしようかと考える。やがて部室に到着し、ほぼ無意識に慧はドアを開けた。

 すると、妙な光景が視界に広がった。

 先に戻ったはずのメンバーが誰もいないのだ。おかしい。皆一足先に部室に着いているはずなのに。慧は思案した。

 用事か何かがあってさっさと着替えて帰ってしまったのだろうか。いや、それにしては早過ぎる。それとも練習後のロードワークにでも出掛けたのだろうか。しかし、久し振りに復帰した人間をひとり残してそんなことをするだろうか。

 次の瞬間。

「おかえりなさい!」

 部屋中に響き渡る大きな声と、その音量を更に超えるクラッカーの大きな音が立て続けに鳴った。

「わっ、わわっ……!?」

 慧は驚きの余りその場にしゃがみ込んだ。頭を抱え込み、音が鳴り止んだのを確認してから恐る恐る顔を上げる。

 いつもと何も変わっていない部室、ではなかった。ロッカーの陰や机の下からクラッカーを鳴らした手が覗いている。目線を上げると、天井から『おかえりなさい慧』の題字がぶら下げられている。

「いやー、ごめんね。ちょっと驚かせ過ぎちゃったか」

 机の下からひょっこりと顔を出したのは直子だった。続いて豊、そして華凛が物陰から現れた。どうやらこの三人がクラッカーを鳴らした張本人らしい。

「い、いったいなんなんですか、これは……?」

 慧が訝っていると、閉めたはずの部室のドアが勢い良く開けられた。

「ふふ、とりあえずサプライズ成功ね」

 部屋に入ってきたのは、捺、千春、梓、文乃、清。部員の残り全員が部室に揃ったこととなった。

「サプライズって、これは……」

 慧は捺にこわごわ尋ねる。捺は背筋を伸ばしてビシッという擬音が聞こえてきそうな勢いで慧を指差した。

「ズバリ、慧の快気祝いよ!」

 捺が余りにも威風堂々としており、慧は思わずたじろいでしまう。

「快気祝いという表現が正しいかはどうかはさておき」

 すかさず注釈のような声が横から割って入る。コホン、と咳払いをひとつして歩み寄ってきたのは千春だった。

「皆あなたの帰りが嬉しいのですよ、若月さん」

「まあそういうこった。とりあえず素直に受け取っとけよ」

 千春の言葉に付け足す声は、人口密度の高い部室内でも特に目立つ高身長を誇る清のものだった。どこか照れ臭そうに頭をかいている。その後ろから、文乃が何かの袋を持って恥ずかしそうに前に出た。

「立ち話もなんだから、お祝いはじめちゃおうよ」

 袋から箱を取り出し机に置いて手際良く開けると、なんと中身はケーキだった。皆は行儀良く席につき、部室はあっという間に窮屈になった。

 慧は言葉を発せずにいた。一つ言えることは、この狭さが、どこか嬉しいということだった。

 悪いことをしたはずなのに、慧を責めるものは誰もいない。皆、穏やかな笑みで慧が不在だった期間の練習で起きたことを語り、おかしなことがあったと笑い、それは違うと反論し、また笑い合っている。

 慧は怒られなかった。そして、祝われた。この事実が、慧の中に温かい何かを灯した。


 宴は終わり、慧は部室から出た。しかし、校門まで来たところで携帯をロッカーに置いたままだということに気付き、急いで部室まで戻りドアに手を掛ける。その時、部屋の中から声がして、思わず慧は手を止めてしまった。

「ケイちゃん、戻ってきてくれたねえ。本当に良かったよ」

 どこかしみじみとしたその声は、どうやら直子のものらしかった。普段のハイテンションさがまるで感じられない。

「そうね」

 相槌を打ったのは捺だろうか。いつもの彼女らしい、あっけらかんとした様子がドア越しに伝わってきた。そこには先輩同士のプライベートな空気を感じる。何となく、部室に入っていくのはためらわれた。

 しかし、声はそこで止まった。しばらく無言が続き、ようやく聞こえてきたのは大きく息を吐く音だった。

「……これで最後の夏を戦える」

 恐らく捺のものであるその声は、少し震えているような気がした。

「せっかく戻ってきてくれた慧のためにも、そして私達のためにも、懸命に戦いましょう。悔いを残してはいけない。絶対に」

 絶対に、と繰り返す捺の声は、やはり震えていた。直子は何も言わない。

 慧はドアから手を離した。そして、部室を後にした。


「良かった。今日の試合は、本当に良かった」

 慧はまたひとり呟いていた。あの日のおかえりなさい会のことが思い出され、その思いはより強くなった。

 先輩達にとっては最後の戦い。少しでも長く、ボールに触れ合えたら良い。自分はその邪魔にならないようにしたい。慧は自分のつま先を見ながら、一歩一歩帰り道を歩いた。

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