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ハードシップメークス  作者: 小走煌
12 夏の大会
110/227

香椎東対久留米国際6

 ノーアウトながら逆転され、なおもランナーを背負うという苦しい展開。

 しかし直子は、後続の九番バッターから二番バッターまでを冷静にアウトにして見せた。三つのアウト全てをセンター以外で処理してくれたことに慧は心から感謝した。もし自分のところへ飛んできていたら問題なく処理出来たかどうか怪しい。

 慧は駆け足でベンチに戻りながら、振り向いてスコアボードを見た。

 二回裏。

 リードされたこの状況で、いよいよ慧まで打順が回ってくる。普段なら立ちたいはずがない実戦の打席。到着したベンチでグラブを取り、ヘルメットを被りながら慧はしかし、今この時だけは打席に立たねばならないと感じていた。逃げたいけど逃げたくない不思議な気持ち。

 両の掌をヘルメットに当てると、わずかだが手がひんやりして気持ち良い。そうすることで慧は焦る気持ちをどうにか落ち着けようとした。

「ほらほら先頭、元気出してけよー!」

 直後投げかけられた言葉に慧の心臓が反応し、強く鼓動する。

 声の主はすっかり元気になった直子だった。恐る恐る振り向くと、直子は慧を直視――してはおらずその先を見ていた。

「言われなくてもいつも通り元気っすよ、こっちは」

 直子の声に反応したのはこの回先頭バッターとなる豊だった。今まさにバッターボックスに向かうところだった。

「だいたい、アンタがこっちの指示通りに投げてくれれば今頃リードしてるんすからね。元気をなくさせてるのは誰か考えて欲しいっすよ」

「それは言わない約束でしょうよー」

 豊の手厳しい反論に直子は肩をすぼめる。しかし、二人の空気はビハインドという状況には似つかわしくなく、どこかリラックスしていた。

 どうしてふたりとも焦ってないんだろう。点を入れなきゃいけないはずなのに。慧は疑問を持ちながら、もはや自分専用と化している最も軽いバットを手に取り、ベンチで待機する。

 部員の誰もが飛距離や打球の強さに重きを置き、比較的重量のあるバットを選択する中、慧はもっぱら軽く、細いバットを選択している。理由は単純だ。軽い方が振りやすいためである。

 しかし、そのバットをもってしてなお、手汗がじんわり滲み、滑ってしまうのが分かった。

 ついさっき、自分はエラーをした。それは失点に繋がってしまった。そのままではまずいからどうにかみんなに報いようとしているのに、どうして緊張というやつは邪魔ばかりしてくるんだ。滑ってうまくバットを持てない両手を思わず怒りたくなるが、そんなことをしてもしょうがないのが余計腹立たしい。

 慧のエラーを誰も責めない。直子は後続の打者を落ち着いてアウトにしてくれたし、チームメイトはみんなで声を掛け合い、更なる逆転の機運を高めている。

 そこに、失敗に対する叱責の雰囲気はない。でも内心は分からない。もしみんなに心の中で「アイツがエラーしていなかったら……」などと考えていたらと思うと気が狂いそうになる。それならば、せめて自分は何とか結果で許しを請いたい。そう決心し、今一度両手でバットを握り締める。

 しかし、緊張は慧の体を縛っていく。そうこうしている間に、豊、そして体調の悪い梓までもが鋭い当たりでヒットを飛ばした。

 ノーアウト、ランナーは一、二塁。チームにとっては再逆転の絶好のチャンス。

 頭がぐらぐらし出し、慧はひとまず深呼吸した。よりにもよってこんな場面で回ってこようとは。

 逃げ出したくなる気持ちを押さえ込み、慧はやっとの思いで打席に立つ。ベンチを見ると、捺が慣れた手つきで帽子のつば、左肘、胸などあらゆる箇所をテンポ良く触っていく。

 それはサインだった。慧が読み取ったその内容は――バントだ。

 慧の頭は真っ白になった。今が大事な場面であることは素人の慧にも分かる。このバントが失敗出来ないバントであることも。

 しかし、サインが出た以上やらねばならない。慧はただセットポジションに入るピッチャーだけを見て、その足が上がったタイミングでバットを水平に構えた。

 初球、きわどいコース。慧は反射的にバットを引いた。

「ストライク!」

 球審の声がこだまする。落ち着かずに乱れる視線は、一塁手と三塁手の猛ダッシュの跡を捉えた。コースも厳しければ野手のプレッシャーもとんでもない。

 捺先輩、こんな状況で決められません――慧は救いを求めるようにベンチを見る。しかし、二回目のサインもまたバントだった。

 無慈悲。あまりに無慈悲。どうすれば良いのか。とにかくやるしかないのか。慧はめまいがしそうになりながらも一球目のことを思い出す。

 素人の感想だが、相手ピッチャーの球はそこまでではないと慧は感じていた。ピッチャーのレベルなど正直良く分からないが、少なくともかつて対戦した柳川女子のピッチャーの、あの圧倒的な投球に比べれば劣る。

 ならば何とかなるかも知れない。バントはそれなりに練習もしてきた。自信を持って良い。二つの感情が慧の中でせめぎ合う間に、ピッチャーは二球目を投じてきた。

 さっきより甘い。今度は引かない。刹那、横向きのバットと直進で来るボールが交錯し、グラウンドへと転がった。

 それはフェアゾーンを転がったかと思いきや、少しずつあらぬ方向へと曲がっていく。やがてボールの止まったその先は、ファールゾーンだった。

「ああ、惜しい!」

 香椎東ベンチから次々と声がする。慧は思わず、見たくなかったベンチを見た。そこに怒っているような人はいなかった。

 怒られていない。そこに慧は少し安堵したが、ただ、残念だった。だって、これを決めていればコトは丸く収まったのだから。

 ごめんなさい、ごめんなさい。心の中で謝罪を繰り返し、やっとの思いで捺のサインを見た。

 ベルト、胸、手の甲。次々と繰り出されるサインが意味しているものは、ノーサインだった。

 バントではない。こうなったら思いっきり振るだけ。ピッチャーが投球を開始する。鼓動はまたも高まる。慧はバットを握る手に力を込めた。

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