なんだかんだ影響がある
「あ、あの……」
知らず、慧は梓に声を掛けてしまっていた。
準備の手を止めた梓は、こちらをちらりと見るが何も言わない。どうやら慧の次の言葉を待っているようだった。
「あ、えっと……」
慧は後悔した。梓に対する不穏な感じがそのまま声に出てしまっただけで、具体的に聞きたいことなどない。むしろ、梓から感じる違和感の正体が掴めていないため何を聞けば良いのかも分からないのだ。
呼んだことそのものを「何でもないです。すみません」と否定して準備に戻れればそれが綺麗かも知れない。しかし、慧にとってそれは難しいことだった。ならもういっそ何も偽らず、不安をそのまま聞いてしまえば楽だ。
一瞬の間でそこまで思考した慧は、思い切って尋ねることにした。
「どこか、具合が悪いんですか?」
慧にとっての精一杯の努力を、梓はキョトンとした顔で受け取めた。
そして数秒後。
「……普通」
相変わらずの少ない口数だが、返ってきた声色は確かに普段と変わらない梓であることを示していた。
「そ、そうでしたか。すいません、変なこと聞いちゃって……」
慧は即座に頭を下げ、そそくさと残りの準備を進める。
ただの雰囲気の違いで妙に勘ぐってしまった自分が恥ずかしい。梓の内心は読めないが、変な人間だと思われていたら嫌だ。それに、三年生にとって大事な時期に心を乱す要因になるわけにはいかない。
慧は余計な心配をしたことを悔い、急いで準備を終え逃げるように部室を後にした。
つい二週間ほど前のシーンを今再び鮮明に思い出した慧は、伏せていた視線を思わず天に向けた。
つい先日、梓は風邪を引いてしまった。
その容態は芳しくなく、今日の試合についてはピッチャーとしての出場は難しいと捺に判断された。しかしギリギリの人数ゆえ、梓にはどうにかして出場して貰わねばならない。そこで梓は今日、ライトのポジションで出場することとなった。
思い返せば、あの時既に調子を悪くしていたに違いない。そう考えるとあの違和感が符号するのだ。
「捺、やっぱこの布陣はやめようぜ。まともに試合になるかどうかも怪しいよ……」
そして慧の隣で独り言を呟く直子は、梓の代わりに先発投手として緊急登板することになってしまった。相当緊張しているのだろう。背中を丸めているその様は、普段の直子とはまるで別人だ。
その二人を見比べ、慧は自分自身の状況を再確認した。
このポジション変更の煽りを受け、慧はこの試合、センターで出場することとなったのだ。
あの時必死になって梓に迫っていればこの事態は防げたかも知れない。いきなりセンターなど出来るはずがない。緊張感が一気に身体を支配する。
悔やんでも悔やみ切れず、また視線を伏せる。
「それでは、香椎東高校対久留米国際高校の試合を始めます。礼!」
そんな慧をよそに、球審の宣告がグラウンド全体に響き渡る。
とうとう試合が始まってしまった。