甦る悪夢に立ち向かう
『久留米国際高校』の名は香椎東高校女子野球部にとって出来れば見たくないものだろう、と慧は感じている。
一年前のあの日、あれよあれよと終了したあの試合。それは慧にとってまるで必死に勉強したテストが拍子抜けするほど簡単だった時のような、アッサリと流れた時間であった。しかし他の皆にとっては恐らくそうではなかったはずだ。試合後の、淡々とした後片付けの中に確かにあった重苦しい空気がそれを物語っている。
だから慧は心配した。この名前を見た皆がどんな心持ちでいるのか。もしかしたら一年前のように落ち込んでしまうのではないだろうか。
そう考えていた時。
「おっ、ちょうど良いリベンジの機会じゃないの」
慧が心の中で固めたイメージを正面から叩き割るような、底抜けに陽気な声が部室に響いた。あっけらかんとしたその声は、チームのムードメーカーとも呼ぶべき直子が発したものだった。
「ああ。今年は逆に一泡吹かせてやろうぜ。ギタギタにすれば一気に弾みがつくなあ!」
「それは少々乱暴な表現ですが……いずれにしても、相手にとって不足はありませんね」
直子の声に乗せられたのか、清が、そして千春が気勢をあげる。ふと皆を見回せば、沈んだ顔をしている部員は一人もいないことに気付いた。
ひりつくような緊迫の気配はもはや部室から完全に取り除かれた。誰もがあの日のリベンジに燃えているのだ。そんな空気に慧は、知らず感心していた。
気持ちが入っていれば物事に対してこんなにも熱を持つことが出来るのか。自分は試合というだけで、言い知れぬ不安が絶えず襲ってくるというのに。今だって、気力満ちるこの場に自分はいて良いのか分からなくなっているのに。
「……さて」
瞬間、横から割り込んだ声が混濁の道へ向かいかけた慧の思考を止める。意気上がる部室をクールダウンさせるかのように、捺が皆に呼び掛けた。
「そうと決まれば練習しましょう。試合までの時間は限られているから」
皆は捺の声に従い、はやる気持ちを抑えられないと言わんばかりに手際良く練習着に着替え、次々と部室を飛び出した。その波に遅れないよう慧も準備を始める。
「ん……?」
ふと、慧は小さく声を漏らしてしまった。そこには意識しなければ気付かない、微かな違和感があった。
これは一体何だろう――慧は思わず準備の手を止め、もがくように周囲を見回した。引っ掛かりがあるような気がするのだが、それが何なのか分からない。部室からは一人、また一人と人がグラウンドへと去っていき、残るは梓と慧のみになった。
梓は自分から会話を始めるようなタイプではない。このままでは微妙な沈黙が続いてしまう。準備を急がなくては――そう思った瞬間、慧は気付いた。
梓の元気がない。普段から大人しい彼女だが、その陰の面はいつもより少しだけ大きくなっている気がする。そしてそれは、慧が感じた少しの違和感と一致しているようだった。