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ハードシップメークス  作者: 小走煌
1 はじまり
10/227

よりみち

登場人物


若月慧(わかつきけい)

高校一年生。文芸部へ入部する決意を固めたものの、野球部へ入部させられてしまう。


林直子(はやしなおこ)

高校二年生。基本的にテンションが高い。


伊勢崎華凛(いせさきかりん)

高校一年生。慧を野球部に誘う。周囲の視線を奪う容姿の持ち主であり中学時代は名のある選手だったらしい。


天宮捺(あまみやなつ)

高校二年生。野球部部長。楽天的な性格。


近藤千春(こんどうちはる)

高校二年生。野球部副部長。生徒会副会長。


おじちゃん

新宮スポーツ店の店長。仁科という名前らしい。

「……あら?」

 何かに気付いたように、ふと捺が足を止めた。

「直子、いないじゃない」

 捺につられて足を止めた千春と華凛はその言葉を聞いて、急いで辺りを見回す。

「本当ですね。私とした事が、まるで気付きませんでした……」

 直子の監視役であるという意識があったのか、千春が肩を落とす。

「まあ、直子のことだしどうせ迷子にでもなってるんでしょう。慧も見えないし、ふたりで合流出来てるんじゃないかしら」

「そうですね……」

 気にする素振りのない捺と気を取り直した千春は再び順路を走り出す。無言でその後ろについていく華凛は、ふと後ろを振り向いた。そこには住宅街が拡がるばかりで、人の気配は無かった。

「……慧」

 しばし後ろを振り返っていた華凛はまた前を向き直し、先輩二人についていくために走り出した。


「せ、せんぱい……なんでここに……」

 慧は驚きの色を隠せない。直子は既に遥か先へ行っているものだと思っていたからだ。しかし直子から発せられた回答は意外なものだった。

「いや、道に迷ってね! 何回やっても途中でわけわかんなくなるんだよねー」

 直子は興奮気味に語り出す。

「冬にも何回かやってんだけどね、これ。皆がゆっくりしてるところをガーッ! って突っ切ったら迷うっていうね。今日も見事にそのパターン」

 落ち込む気配がまるで無いその態度は、どこか人を楽しくさせる成分を持っていた。慧はその勢いにつられて笑顔になる。

「まーだいぶ最初の方に戻っちゃったし、いいでしょ今日は。仕方ないね!」

「え、えっ……? いい、って……?」

「いやもう今からじゃ絶対追い付けないしさ。行ってもけっこう時間かかるし。先に帰って待ってよ」

「そ、そう、ですか……」

 今からロードワークを再開しても到底時間がかかるというのは慧も完全に同意するところだったが、かと言っていざ先に学校に戻るとなると、先程自身も行おうとした行為とは言え気が引ける思いがあった。そんなことをあっさりと実行に移せる直子に、慧は自分に無いものを感じていた。

「ここなら道も分かるしね。んじゃさっさと戻っちゃうか……あっ」

 歩きかけた直子が何かを思い出したように立ち止まる。

「そういや……ケイちゃん、道具なんにも持ってないんだよね?」

「えっ……は、はい……」

 道具、とは恐らく野球道具を指すのだろうとなんとなくで判断した慧は、確認を取らず反射的に返事をする。

「それもお下がりのジャージでしょ? あたしがよく着替え忘れてくるからチハルが毎日部室に置いてるのよね」

「そ、そうなんですね……」

「でもまあジャージは自分のがあるからいいのか……でも道具がないのはダメだよな……」

 直子がひとりで何やら思案を始める。

「……よし。ちょっと行こ!」

 そう言うなり直子は慧の腕を掴みぐんぐん進み出した。

 ――えっ、えっ……?

 テンポの早い直子の行動に困惑する慧。

「あ、あの……いったいどこへ……?」

「近くに顔なじみのおじちゃんがやってる店があるんだ。小さいけどけっこう良い物揃ってるよ!」

「そ、そうですか……」

「ケイちゃん、野球やるなら道具はこだわってかないとダメだよ。まあそれは野球に限らないけどね」

「は、はあ……」

「やっぱいい物使うとやる気が違うからね! 周りの反応も違うし」

「そう、なんですね……」

 直子は道具についての持論を熱く展開する。基本的には物に執着の無い慧にとってはあまり理解出来ない感覚だったが、それでも直子の言わんとすることは伝わってきた気がした。それは直子が持つ言葉の力がそうさせるのか慧が流されやすい事に起因するのか、そこまでは分からなかった。

「よし、ちょっと走るか!」

「え、えっ……?」

「もうけっこう回復してるでしょ? だいじょうぶ、ちゃんとペース合わせるからさ」

「あっ……たしかに……」

 突然の提案に困惑する慧だったが、疲れ果てていた先程とは違い多少体が軽くなっていることに気付いた。

「よし。じゃ、ゴー!」

 言うなり直子が駆け出す。慧は慌ててそれについていく。

 合わせる、と言ってくれた直子のスピードはしかし慧のそれよりだいぶ速く、ぐんぐん差をつける。慧は必死に食い下がるが、あまりのペースに回復した体力はあっさり尽き、しまいには音を上げた。

「せっ……せんぱい……はやい……っ!」

「ん?」

 声に気付いた直子が足を止める。慧が自分よりも随分後ろにいることにもそこで気付いた。

「あれー、そんな後ろにいたの?ごめんごめん」

 悪気なく直子が謝罪の言葉を述べる。

「ぜんぜん……あわせて、くれな……かった、じゃ……ない、ですか……」

 喉と胸のあたりに感じる不快感と荒くなる呼吸をどうにか押さえつけながら直子に反論の言葉を投げる。

「ああいや、ごめんごめ! こんくらいのペースで良いかなと思ってさ」

「……それじゃだめ、でした……」

「そっか、ちょっとやり過ぎたみたいね~」

 悪びれる様子なく直子が舌を出す。

「……ま、でも、そのおかげでもう見えてきたよ。あそこ」

 そう言って道の曲がり角を指差す。そこには『新宮スポーツ店』の看板が立てられていた。

「ちゃんと開いてるかが不安だけど……」

 そう言いながら直子は店に駆け寄る。

「……よかった、大丈夫みたい!」

 シャッターが降りていないことを確認し、慧に向かって手招きをする。慧が遅れて到着するや否や入り口を開け、ずいと店内に入り込む。玄関に付属していた鐘がカランカランと鳴った。慧は直子の後ろにつき中に入る。

 店内は若干薄暗く、野球、サッカー、バスケットやバレーといった各種スポーツの道具がところ狭しと棚に並んでいた。独特の匂いを鼻に感じながら慧はあまり広いとは言えない店内を見渡した。

「おや、なおちゃん。ひさしぶりだね」

 入店の音を聞きつけ店奥のカウンターからひょっこり顔を出してきたのは、恐らく還暦は超えていると思われる見た目をした人物だった。しかし、その喋り口や足取りからはそれを感じさせないほど若々しさが滲んでいた。

「おじちゃん元気してたー?」

「そりゃもう。まだまだ現役のつもりやもんね」

「頼もしいね」

 直子とその人物は親しげに会話をする。

「ケイちゃん、紹介しとくよ。こちら店主の仁科さん。うちら野球部はごひいきにしてもらってるんだ」

「学生がそんな言い方したらいかんよ」

「ごめんなさーい」

「ふむ……ところでなおちゃん、そちらの娘は?」

「今年の新入部員!」

「わ、若月慧、です……」

「ほう、新入部員が入ったか。よかったねえ」

 新入部員、というフレーズを聞き、その人物は嬉しそうに微笑んだ。

「店主の仁科です。ケイちゃんか。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします……」

「未経験者だから道具なにもないんだ、ちょっと見繕ってやってほしいなって」

 慧が挨拶を済ませると同時に直子が本題に入る。

「ほう……そうかそうか、野球に興味を持ってくれるのは嬉しいねえ」

 ――完全に成り行きなんだけどな……。

 とは口に出せず慧が愛想笑いをしていると、店主は野球道具が並べられている棚を漁り出した。

「グローブやスパイクもいるかね?」

「グラブはいいや、先輩のお下がりがあるから……スパイクはほしいな!」

「あいよ」

 直子の注文を聞き取ると、店主は店奥に一度引っ込んだ。暫くして大荷物を手に店内に再び姿を現す。

「まあ、こんなもんでいいかね」

 店主が慧の前に荷物を広げる。

「これが練習着一式、でこっちがスパイク。で、鞄ね」

 ひとつひとつを慧に見せる。慧には練習着が白い作業着に見え、スパイクはずっしり重く感じた。

「おー、さすがおじちゃん!」

「ちゃんとなおちゃんのこだわりに合わせてあるからね。どれもそれなりだよ」

「うん、さすがだよ。これならあんまり素人っぽく見えないね!」

 これらの道具が良いものか悪いものか慧には全く分かっていなかったが、喜ぶ直子を見てとりあえず良いものなのだと理解した。

「ありがとうおじちゃん。支払いはいつもみたいに部費でね!」

「そうかい。なら覚えとくよ」

 店主はメモを取り出し何かを記載する。

「ケイちゃん」

「は、はい……?」

 メモへの記載を行いながら店主は慧を呼び止めた。虚をつかれた慧は驚いて返事をする。

「野球は覚えだしたら楽しくなるからね。がんばるんだよ」

「……は、はい」

 店主に激励の一言を貰う。慧は素直に喜ぶことは出来なかったが、自らを気遣ってくれた、ということはなんとなく嬉しく感じた。


「よーし、一着!」

 捺が両手を上げ、バンザイのポーズで校門を駆け抜ける。

「くっ……!」

 続いてゴールインしたのは千春。華凛は二人にやや遅れてのゴールとなった。

「相変わらずやりますね、捺……」

「まあざっとこんなもんかしらね。千春こそやるじゃない」

 呼吸を整えながら互いの健闘を讃え合う様子を、華凛は息を切らしながら見ていた。

「お疲れ様」

「……ありがとうございます」

 華凛は元気であるように振る舞ったが、疲労の色はやはり隠せなかった。額には汗が迸る。

「けっこうバテた?」

「……そうですね。長距離を走るのは久し振りでしたから」

「まあ、完走出来たなら問題はなさそうね」

「……はい」

 華凛は返事をし、呼吸を整える。この僅かな時間で早くも普段のような涼しげな様子を取り戻しつつあった。

「あとはストレッチしてふたりを待ってようかしらね」

 そう言いながら捺は、校門から拡がる一本道を見やった。華凛も同じように目で追うが、そこにはまだ直子と慧の姿は見えなかった。


「いやよかったよかった。これで金曜の練習もバッチリね!」

 直子は満足げに帰り道を歩く。

「き、金曜に何かあるんですか……?」

「ほら、外の練習のときは学校のジャージ着てるけど、金曜はグラウンド使えるでしょ?その時はちゃんと練習着を着るわけ」

「ああ、そうなんですね……」

「や~そこに間に合ってよかったよ。ひとりだけジャージだと格好つかないしね」

「……」

 皆が白い練習着を着てグラウンドに立つ姿を想像し、そこに自分がいることのミスマッチぶりに慧は顔が赤くなった。

 肩にかけた鞄が歩く度に背中に触れてくる。こんな道具を持っていると本格的に野球部の一員として見られることになる。実力のまるで伴っていない慧は、これほどの羞恥はないとまた顔を赤くした。

 ――けど、新しい道具って、なんだかいいな。

 不安な気持ちは脇に置き、触れてくる鞄の感触、新品の手触りにしばし慧は浸ることにした。

「あっ、あんたたち!」

 しかし、聞き覚えのある声によってあっさりと現実に引き戻された。

 見れば、いつの間にか校門前にかなり近づいており、そこには捺の姿があった。

「や、やあ……早かったね」

 直子が右斜め下に視線を逸らしながら右手を上げる。

「直子、またあんた迷ったでしょ」

「い、いやだって道複雑だしさあ!」

「やっぱり迷ってたのね……」

「へへっ、すいませーん」

 直子の返事に捺が呆れたように溜め息をつく。直後、慧の肩に掛かっている物に目を留めた。

「あら、それどうしたの?」

「ケイちゃん道具持ってないって言うからさ、あたしが揃えたの!」

 捺の問い掛けに直子が即座に反応した。

「そう。金曜はグラウンド使うし、ちょうど良いわね」

「でしょ?」

 直子が天狗鼻になろうとした次の瞬間、捺の後ろから声がした。

「ちょ、ちょっと待ってください……!」

 直子の背筋が伸びる。捺の後ろには千春の姿があった。その後ろには華凛も控えている。

「あなたそれ、新宮スポーツで……?」

「う、うん。そうそう」

「ということは……部費から落とすようにしたということですか?」

「え、えーと……」

 千春に何やら問い詰められ、直子は冷や汗をかいて後ずさる。

「……は、はい」

「やっぱり!」

 直子が首肯したその時、間髪いれず千春の怒号が飛んだ。

「部費を使う時は事前に相談すると日頃から言ってあるでしょう!」

「す、すいません……」

 烈火のごとく怒る千春にさしもの直子も圧倒されているようだ。何の言葉も挟めず借りてきた猫のようになっている。

「部費は限られているのですから! 計画的に使わなければならないのですよ!」

「……すいません……」

「全く……まあ、若月さんの道具を揃えるため、であれば良しというところですか」

 鬼の形相で直子に詰め寄った千春だが、理由を加味し追及を止める。伸びきっていた直子の背筋が緩んだ。

「ま、ケイちゃんの道具が揃ったことだし、金曜は全員揃うし、これから楽しみだね!」

 直子はとたんに調子よく捺と千春の肩を叩き出した。

「……ところで」

 肩に乗った手を掴み、捺は直子を見据えた。

「アンタ道に迷ったってことは……」

「は、はい……」

「ちゃんと距離走ってないわね?」

「……すいません」

 本日何度目かの背筋が伸びきった直子の姿を見て、当の捺を含む全員から思わず笑みがこぼれた。慧も笑わずにはいられなかった。

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