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ハードシップメークス  作者: 小走煌
1 はじまり
1/227

若月慧の葛藤と決意

 それは、まるでそよ風のように。

 まるで、嵐のように。

 私を叩き、私の頬を撫で。

 去っていった。

 駆けていった。

 それは――




 体育館の中で喧騒が続く。

 式が終了するや否や一斉にそれぞれの教室に引き上げる生徒達。

 その中に紛れ、少女は俯き加減に出口の行列に並んでいた。小柄で特徴のない見た目。人混みも相まって普段にも増して存在感が消えているその少女は、しかし必死に考えを巡らせていた。

 県立香椎東高校の入学式が今まさにこの体育館で執り行われ、若月慧は晴れて高校一年生となった。

 込み合う体育館の出口においても、ある者は早くも初対面の生徒と打ち解け、ある者は中学時代からの友人と式の感想を語り合っている。窮屈な状況ながら新一年生は、これからの学校生活への期待に胸を膨らませ、瞳を凛々と輝かせていた。

 そんな中にあって慧は迷いの色濃い表情で、床の木目に足を合わせて少しずつ歩を進めている。

 ――この状況……いかんすべきや。

 高校に入学するにあたり、慧はひとつの決意をしていた。

 中学時代、帰宅部だった慧には心の底から親友と呼べる存在がいなかった。各学年ごとである程度仲の良いクラスメートは出来るものの進級しクラスが離れるとやがて疎遠になり、最終的には親交が無くなってしまう、というのがこれまでの常であった。

 すぐ隣で二人組がなにやら喋っている。

 楽しそうな雰囲気を醸し出す二人を一瞥し、慧は思い出していた。かつてのクラスメートが新しい友人と親しげに団欒している様を見掛けたときの沈み行く気持ち。

 別に嫌い合っているわけではないはず。なのに何故あんな風に離れてしまうのだろう。

 あの気持ちがなんなのか、未だによく分かっていない。嫉妬なのか、それとも別の何か――けど、でも、もう「友達」が「友達だった」になるのは嫌だ。

 慧の視線が内面から外界にふと戻った時、例の仲良し二人組は既に遠くを歩いていた。列の渋滞もいくらか緩和されて歩きやすくなっている。

 ――今度こそ、ちゃんと。

 歩くペースを早めながら、慧は決意を新たにした。

 ――どうしよう。ほんとどうしよう……。

 しかし直後、慧はまた迷いに戻っていた。

 慧の決意とは高校で部活をやることである。何かしらの部に所属することで、学年が変わっても不変の付き合いを構築出来るに違いないと考えたからだ。

 しかし、肝心な「どの部活に入るか」という部分において今の今まで決めることが出来ず、新たにした決意むなしく現在進行形で悩んでいるという状況である。入学式においては校長先生の長い挨拶や生徒会長の新入生へのアドバイスもあったものの、ある一つの項目を除いて慧の耳には見事に届いていない。

「……やっぱり文芸部かな」

 仮にこれが会話にて発せられた言葉でも相手に聞き返されてしまっていたであろう程の音量で慧は呟いていた。直後、思念を声にしてしまっていたことに気付き、慌てて何事もなかったかのように繕う。その仕草は傍から見れば不審極まりないものであったかも知れないが、存在感の薄さが奏功し誰にも気を留められていない。そのことにとりあえず安堵してから、慧は入学式での「ある一つの項目」について再考した。

 部活動紹介。入学式にて唯一慧の耳に届いた項目である。慧はそこから各部活の情報を得て、選択を行っていた。

 まず、体育会系の部活は全てパス。自分が運動オンチであるという自覚が慧にはあるからだ。

 強いて言えば、体育祭で行われるリレーの度に「意外と足が速い」と賞賛されたことは思い出として残っているが、慧にとってそれは重要でなく、むしろ目立つことが恥ずかしいためその能力を疎ましく思ってさえいる。

 そうなると文化系の部活を選択することになるが、そこで慧は二つの部活に目をつけた。

 まず一つ目は吹奏楽部である。単にトランペットを吹いてみたいという好奇心はもとより、昔見た教育テレビのオーケストラ番組で格好良く演奏していたトランペット吹きへの憧れが慧の中にまだあったのだ。トランペットをマスターして晴れのコンサート会場に立つ姿を妄想し、思わず口元が緩む。

 しかしここが幾重もの目が光る公共の場であることを瞬時に思い出し、すぐに表情を元に戻す。

 そうこうしているうちに体は教室にたどり着き、ホームルームが始まる時間となっていた。慧は自らの席を探しだして着席し、もう一方の選択肢について思いを巡らせていた。

 文芸部。休み時間も好んで小説を読む程の読書家である慧にとっては正に夢のような響きである。しかし入学式ではその存在を知れたという程度で、文芸部というものがどういう活動をする部活か、説明がさっぱりし過ぎていて正直なところ分からなかった。

 しかしながら、慧はすっかり「文芸部」という響きが気に入っていた。まるでCDをジャケット買いする時のような、愛でたくなるようなオーラを放ち慧を惹き付けていた。

 それに、文芸部という以上、きっと自分と同じように読書好きな人間が集まっているに違いない。同じ趣味を持つ人間が集まるのならそこでの会話はきっと楽しいだろう。今読んでいる作品について語れる相手がいるかもしれない。慧は知らないうちに検討を止め、そうした妄想の世界に入っていた。


 ホームルームが終わると一日の日程が終了となる。本格的な授業は明日からとなる旨の説明がホームルーム中担任からなされたが、その間も慧はずっと自らが入る部活についての検討及び妄想に励んでいた。

 そうこうしているうちに一日の終了を告げる教師の挨拶が終了した。その直後、慧は部室棟へ向けて足を踏み出していた。

 普段なら慧にとって鬼門である自己紹介も、半ば虚ろなまま済ませた。これからの一年を過ごす上で大切であろう、クラスメートとの会話のタイミングも度々あったが、心ここにあらずの状態で受け流した。慧は部室棟に向かいながら、応対はちゃんとしておけば良かったと後悔した。

 でも、今日、これをすっきりさせる。クラスの人たちとは明日からまた新しい気持ちで話し掛ければ良い。部室のドアをノックすることが出来れば、それもきっと容易いはず。そう思い直した。

 ――いざ、文芸部へ。

 慧は終礼のタイミングで二択への回答を出していた。

 決め手は今の自分に備わっているスキルかどうか。選択肢が吹奏楽部の場合、成功すれば妄想を現実にすることが出来るが、そこまでの道のりはとても険しいことが予想出来た。どこかで音を上げるかもしれない。その点、文芸部は特にそうした努力は不要であろう。

 我ながら後ろ向きな理由だけど、これが自分の思考回路なんだから仕方ない。慧はため息をついたが、体は迷いなく部室棟に向かっていた。

 ここからわたしの高校生活が始まる。決心した慧は大きく息を吸い込んだ。

 その時、誰かの声がした。

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