7
「朔は無地にしたんだな」
「ああ。藍染めが一番きれいに見える、って言っていたから」
「そっか。じゃあ、それ、仕立ててもらおう」
となりにいたミチルは、「まいど」と笑った。
「じゃあ、それ預かる。できるのは……そうだな。半月くらいだと思うが」
「分かった。連絡くれれば取りに行くよ」
「おう。じゃ、今日は客もすくねぇし、奥寄ってけよ。冷たい茶くらい出すからよ」
「ありがとう。せっかくだしお邪魔するよ」
ミチルはどこか満足気にうなずいて、三人を連れだって奥の部屋へ向かった。
そこは、打掛や大振袖が衣紋掛けにかけられている。
色とりどりの着物たちを見ると、どこか異世界に迷い込んだような気がした。
「……母上のお屋敷によく似ておる」
ぽつりとつぶやいた葩は、懐かしそうにその着物たちを見渡している。
「芙蓉」
葩が、芙蓉の名を呼ぶ。
その赤い目が、じっとこちらを見つめている。
夕陽のような色。
芙蓉はただ、そのことばの先を待った。
「そなたの家に福をもたらすことはよい。決まっておったことじゃ。だが、そなたは見るに……」
「分かっているよ。葩。俺に、誰かが呪詛をかけている。それはおまえたちではどうしようもできないんだろう?」
茶を淹れにいっているミチルはここにはいない。
分かっていた。
だいぶ前から。
芙蓉には、誰かは分からないが呪詛がかけられている。
死んだものの怨念とはまた違う。
いきているものの仕業だ。
それを祓うことは並大抵の呪術師ではできない。
そもそも、近代化に特化した貿易商の息子に、呪詛がかかっているなど父親は認めないだろう。
この花咲く柳の時代。
呪術師も隅においやられ、そのおかげで祓ってもらおうにも大金がいる。
けれど、芙蓉はそれをしない。
「だいぶ前」なのだ。おそらく芙蓉がまだ幼いころから、呪詛はかかっている。
それでもこれまで生きてこれたのは、土着神――紫苑や白藍のおかげだ。
犯人さがしもしない。
どうでもよかったのだ。生きていようがいまいが。
「やはり、そうか。芙蓉。きみは……いくら土着神たちが守護をしていても、限界がある」
「ああ、まあね。その限界の先が俺の寿命ってことだろう」
なんともない、とでも言うようなことば。
実際、芙蓉はそう思っている。
だが朔は、その白いまつげの影をほおに落とした。
「まだ馴染めない……。今までのあるじたちは、みな一様に自分を優先してきた。人間とは、そういうものだと思っていた……」
「人間っていっても、ひとくくりにはできないよ。俺みたいな働きもしないドラ息子もいるしな」
はは、と軽くわらう芙蓉を見て、朔はくちびるをそっと閉じた。
その直後、がらりと無遠慮に襖がひらいた。
「茶ぁ、持ってきたぞ。あ? なに突っ立ってんだ。座れよ」
「ああ、ごめんごめん。この着物がいつも通り、あまりにも立派で」
「そうだろ。これは売りもんじゃねぇが、俺のひい婆さんの花嫁衣裳だ」
ひのきの木でできた机の上に、がらすでできた湯呑を置く。
氷が浮かんでいた。
からん、とやさしい音がする。
「隣の茶屋からもらったんだ。渋みもあるが、甘みもつよい」
「うん、おいしい。氷が入っているのに、味が強い」
にっと笑ったミチルは、ふいにまじまじと芙蓉の顔を見据えた。
そして、眉をかすかに寄せる。
「おまえ、痩せたんじゃないか」
「そうでもないと思うけど。夏もはじまるし、梅雨の真っただ中だし。すこし食欲が落ちているからかな」
「そうか。まあ、夏はこれからだ。夏バテするなよ」
「うん」
それから、1時間ほどたっただろうか。
そろそろ暇をしようかという所で、鶴子の声が聞こえた。
あいかわらず、よく通る声だ。
「分かったよ、うるせぇなあ!」
「じゃあ、俺たちはこれで。連絡待ってるよ」
「おう。新しい針子が来たんだ。そいつがまたいい腕でな。そいつに頼むからよ」
「楽しみにしてるよ」
玄関まで見送ってもらったあと、ふう、と葩が息をついた。
「どうした? 葩」
「いや。別段、どうということもない。ああいう、うつくしきものを見ると、どこか心が弾んでな」
「そっか。よかったな、葩」
「う、うむ」
笑いかけた芙蓉に、葩はどこかぎこちなくうなずいた。
まるで、慣れていないものを必死につかむように。
「そうだ。油揚げも買わないとな」
途中で揚げ物屋に寄って、油揚げを4枚買った。
白藍のぶんだ。
いつ帰ってくるか分からない、と言っていたが、油揚げのにおいにつられてすぐに帰ってくるかもしれない。
あの土着神は、現金な狐だから。
「ただいま。紫苑」
「おかえりなさいませ! 芙蓉さま。あっ!」
手に持った油揚げを見つけると、ぱっと枯茶色の瞳がきらきらと輝く。
袋を紫苑にわたすと、長い髪の毛がゆらゆらと揺れた。
「うれしいです。白藍さんのぶんもあるのですね。きっと、すぐに帰ってきます」
「うん、そうだろうね」
「そういえば、自己紹介していなかった。俺は朔。こちらは葩。ほんのしばらくの間だけど、よろしく」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
「そなた、仮にも土着神なのだろう? なぜそんなに腰が低いのだ?」
えっ、と紫苑はくちびるを抑えた。
それから、恥ずかしそうに肩をすくめる。
「わたし、まだ土着神になって50年もたっていないのです。だから……」
「そうか。われらよりも年下であったか」
納得したようにうなずいている葩は、何かにきづいたように顔をあげた。
軫高瀬――芙蓉の父親が立っていた――。