5
下女たちは、陰がおそろしいのか、食事を上げて早々に出ていった。
広い、食事をとるためだけの室内は、三人しかいない。
父もいつもはいるのだが、今日だけはいないようだ。下女たちとおなじく、陰がおそろしいのだろう。
「ふむ。まあ、こんなものかのう」
眼前に広がる朝食は、いつもと同じものだった。
葩のことばと裏腹に、表情は明るい。
「いただきます」
りんとした、涼しい声が聞こえる。朔の声だ。
葩もあわてたように箸をつけた。
「葩。いただきますを言わなければ」
「む。い、いただきます……」
恥ずかしそうに、か細い声でつぶやく葩はその見た目とおなじように、いとけない。
ふっと、思わず笑ったのは芙蓉だった。
「笑うでない。不愉快じゃ!」
「ごめん。まさか、陰がいただきますを言うなんて思いもしなかったから」
「芙蓉。生きているものを頂くことは、俺たちにとっても必要なことだ。だから、いただきます、と言いなさいと言ったのは母上だった」
「母上か……。おまえたちの母上はどんなひとだったんだ?」
葩がせわしなく動かしていた手がぴたりと止まる。
芙蓉はなにかまずいことを言ったのかと思い、口を開こうとしたとき、彼女は、先ほどの芙蓉とおなじように、ふっと微笑んだ。
「母上は、われらを生み出してくださった、現世のかた。われらはヒトを喰わんと言ったな。それはわれらの母上が人間だったからかもしれぬ」
「そっか。人間だったんだな。だから、おまえたちはそんなにも優しんだろう」
「俺たちがやさしい?」
「だって朔、言っただろ? 生きているものを頂く、って。そう思うことはとても尊いことだよ。この星国も近代化がすすんで、そう思うひとたちもすくなくなった」
「……それはとても、かなしいことだな」
朔はことり、と箸を机の上においた。
すべて平らげてしまったらしい。先に食べたとはいえ、驚異的な速さだ。
ふと見ると、葩もあと少しで食べ終わってしまう。
芙蓉はまだ半分しか食べていないというのに。
「そうだ、もうじき夏がくる。その格好では暑いだろう? 浴衣を買いに行こう。今から仕立てれば、夏には間に合うだろうから」
「浴衣じゃと? くるしゅうない!」
葩は目を赤い瞳をきらきらとさせて、椅子から立ち上がった。
やはり彼女はどれほどの年月を重ねても、「女の子」なのだろう。
「朔も行くだろう? 俺の友達の家が、反物を扱っているんだ」
「いいのか? まだ、俺たちが来て一日もたっていない。言い方は悪いが、お金がないのでは……」
「ああ、それは父上の話。俺の貯金があるから。そんな高いものは買えないけど。あ、内緒だぞ。貯金があることは」
「あ、ああ……」
朔はどこか申し訳なさそうに、肩をすぼめた。
葩は葩で、早く行こうと言わんばかりに広い部屋をうろうろとしている。
陰も陰で、夏は暑いのだろう。
こんな狩衣の姿では、今でさえ暑いはずだ。
「本当は、用意しておけばよかったんだけど」
「芙蓉。きみは俺たちのことを気遣いすぎでは? 俺たちは一年……いや、半年くらいでこの家を出るだろう。最初に言ったとおり、俺たちは福をもたらすが、長く置けば害ももたらす」
「そんなの関係ないよ。俺はね。父上はどうか知らないけど」
芙蓉は自分には本当に関係ない、とでもいうかのように卵焼きに箸をつけた。
「それに……そんなの、あんまりじゃないか」
「芙蓉……」
憂いをおびた表情に、朔は自分の内側から、得体のしれない何かがにじみ出たことに気づいた。
これは何なのだろうと思惟していると、芙蓉のかすかな笑い声に、はっと顔をあげる。
「そんなに難しいことじゃないだろ? 今までだって、悲しかったんじゃないのか?」
「俺たちにとっては、とても難しいことだ。悲しいとか、そう思うひまもなかった。思うひまもなく、捨てられてきたから」
「……そっか。ごめんな。意地悪なことを言った」
「いや、いいんだ。芙蓉は、今までのあるじたちと違うから、どこか……馴染めていないのかもしれない」
芙蓉はそっと微笑んで、席を立った。
葩もそれに気づいたのか、ぱっと顔を明るくさせて、駆け寄ってくる。
早く反物屋に行きたいのだろう。
物音に気付いたのか、下女たちが皿を下げるためにおびえた様子で扉を開けてきた。
「し、失礼いたします。お下げいたします」
そのなかに、ひときわ目立つ、金色の――タンポポのような色の髪の少女。
紫の矢絣の着物を着た少女の名は、ライラと言った。
外つ国からやってきた少女だ。
「ライラ。久しぶりだね。帰ってきたんだ」
「はい。芙蓉さま! それに陰のかたがた。お初にお目にかかります。わたし、ライラと申します」
「ライラ……。異国の響きだ」
星国では見られない、金色の髪の毛。それに、青空のようなうつくしい瞳の色。
朔は驚いた様子で、彼女を見据えた。
「はい。わたしは、星国からずっと西にいったところにある場所で生まれました。そして、旦那様に拾われ、こちらでお世話をさせていただいています」
すこし聞きなれない音程。それが彼女が外の国の少女であることを決定づけられていた。
下女のなかでも一番位の高い、50代のお局が、きっとライラをにらんだ。
それを軽く受け流すライラは、慣れているのだろう。肩をすこしだけ竦めて、葩の食器を下げていく。
「ここには、いろいろなものがあるな。外の国のちいさきものまでいる」
「うん。あの壺の中には、金魚の霊がいるんだよ」
「もうよいであろう! 反物を早くわれに見せよ!」
あの壺、とは隣に国から買い付けてきた立派な壺だ。
ときおり、水がはねる音がする、と噂がたっているので、捨てられそうになったことがある。
葩は業を煮やしたのか、芙蓉の着物の袖をつかんだ。
「分かった分かった。じゃあ朔、行こうか。そろそろあいつの店も開くから」
「ああ」