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彼女の安らぐ瞬間

作者: a-sechs
掲載日:2013/03/10

ドサッ…。


静寂と月明かりに包まれた部屋に人の座り込む音が響く。

ボロボロの木戸に背をもたれていたのは、髪を束ねた若い細身の女だった。

荒めの呼吸をしばしの間、彼女は繰り返す。

そして、薄い唇の間から緊張を解くように長くゆっくりと息を吐きだした。


普段よりも重みを増した左手を少し持ち上げて、手の甲に目をやった。

白くて長い指とは対照的に赤く膨れ、皮膚は所々擦り剥けて滲んだ血が乾燥していた。

彼女の目がかすかに細くなる。


徐に立ち上がり、たすき掛けに背負っていたバックパックを外す。

傷だらけの古びた椅子に腰掛け、引き出しの付いた机を前にした。

狭く薄暗い部屋にあるのは、椅子と机とベッド、小さい戸棚だけだ。

どれも綺麗とは言いがたい。


彼女は腰から自動拳銃を、右脇からナイフを、取り出した。

机の上に置かれた二つの武器。

人に傷を負わせ、時に死を与えて、身を守るための、彼女の大切な身体の一部。

武器があれば勝てるというわけではない。

だが、武器がなければ、死の可能性は確実に高くなる。


銃をそっと手に取り、弾倉と弾丸を抜いて、滑らかな手つきで分解し始める。

軋む引き出しを開けて布切れと油を取り出し、青白い月光を頼りに部品を磨き、手入れをしていく。

今日もこの銃で数人を撃ち、血を流させた。恐らく命を奪われた者もいただろう。

長らく彼女を守ってきた存在だった。


手入れが終わると手早く組み立て、スライドを引いて空の薬室を一目する。そして、その銃口を部屋の隅に置かれた砂の詰まった木箱へと向けた。

スライドを引いて撃鉄を起こし、構え、トリガーを引いて撃鉄を倒す。

その一連の動作を彼女は速さを変えて幾度か繰り返した。

問題はないようだった。

彼女の目が引き出しの中へと向けられる。残り少ない弾薬に眉をひそめた後、それらを取り出して弾倉に補充し始める。


―――早く弾と弾倉を手に入れないと…。


勝手に動いていく手を見つめながら、彼女はそう心の中で静かに呟いた。

どのルートで入手するかを淡々と思考する。


最後に弾丸を詰め終えた弾倉を銃に装填し、スライドを引いて弾を薬室に送り込む。

安全装置を掛けるのも忘れない。銃が静かに机の上に戻される。


油で汚れた手を丁寧に拭いた後、ナイフも刃が汚れていないか欠けていないか念のため確認していく。

日中の戦闘で使うことはなかった。ナイフを抜く暇がなかった。

肉弾戦に素早く持ち込んだ方が良い。そういう状況だった。

何よりナイフも消耗品だ。切れ味が保証されるのも最初の一撃だけ。

後の斬撃に確実性は薄くなる。多用はできない。

彼女の過去の経験が、華奢に見える姿とは裏腹に接近戦や格闘戦を体術で対応することを多くさせていた。


彼女の僅かな武装の点検が終わりを告げる。

次は自分の身体、左手の処置だった。処置といっても今の程度ではすることはほとんどなかった。

バックパックから水筒を探り、飲水をかける。ベッドの布を裂いて、巻き付ける。

たったのそれだけだった。


反対の方の右手を見つめ、数回開閉する。何も異常はない。

あるのは銃をきつく握りしめた故の疲労感だけだ。


ふと思う。


一体今までいくつの数の人間をこの手で傷つけ、殺めてきたのだろう、と―――。


その自問に彼女は目をつむって首を振った。


わからない。

覚えているはずがない。考えても無駄なことだった。

廃墟や廃屋を点々とし、追って追われて、攻めて逃げて、撃って撃たれての日々を繰り返してきた。

それをもう、どのくらい続けているのか。


わからない。

何が彼女を動かすのか。

それすら曖昧となっていた。


痕跡もなくなった組織への忠誠か、恩義か。

亡き者となった上官への尊敬か、哀悼か。

職務を共にした仲間への手向けか、虚しさか。

一人生き残った者の責務か、宿命か。

自分を無に返した世界への復讐か、憤怒か。


今の彼女にはもうわからなかった。

だが、彼女は目を開ける。

それでも、彼女は動き続ける。

光を宿した瞳で前を見据えた。

混沌とした意思と明白な意志をもって。

組織から課せられた彼女の最後の任務を完遂するために。


椅子から立ち上がり、部屋を見回す。

とても静かで、静けさ以外を感じられなかった。


“休息も任務のうちだ”


最早聞くことができない声が頭の中に響く。


彼女は後ろ髪を縛っていた紐を解いた。

癖もつかない柔らかな髪の毛先が彼女の両肩に触れる。

ゆったりとした足取りで窓際に近づき、外を見渡した。

明かりがぽつぽつと灯った薄暗い町並みを眺め、そして、視線は自然と上へ持ち上げられた。


月が、輝いていた。

闇の中で唯一つ浮かび上がり、他の星の光を消してしまうほど明るい、自分を照らす真ん丸な存在。


―――綺麗。


満ちた月を見遣る目元が優しく緩む。大きな瞳に柔らかな輝きが映り込む。

その綻んだ表情が彼女の整った顔立ちを最も引き立たせる。



それが、彼女が孤高の工作員から一人の女性へと変わる瞬間だった。



あまり深く考えず読み手の自由に、という発想であえて詳細をぼかして描きました。

国も場所も年代も。武器も服装も装備も。彼女の過去も任務も年齢も。そして、名前すらも。

もし、読んで想像を掻き立てられて頂けたのなら、作者としては幸いです。

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