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作者: 中邑あつし

 今日もまた、嘘をついた。


 いつから、それが当たり前になったのだろう。


 自分が嫌いだった。だから、自分のことを好きになる人など現れないと思った。傷付くのが怖くて、人を愛しても、自分に嘘をついた。それは愛じゃないと。だが結局、叶わぬ想いに独り涙に濡れ、誰より傷付いていた。


 些細なことでがむしゃらになった。必死に生きていた。何でも卒なく熟す人が羨ましかった。ただ自分は、不器用でがむしゃらに生きていくことしか出来なかった。


 自分が嫌いだった。そのくせ、情けないほど自己愛に執着していた。傷付くのを恐れ、そして自分に甘えた。自分に逃げていた。


 変えようと思った。自分のことを愛してもらえるように。自分の愛した人が、望む自分であるように。

 偽るつもりはなかった。自分を変えたかっただけだ。自分に自信が持てるように。自分を好きになれるように。


 だけど、今日もまた、嘘をついた。


 いつしか、それが当たり前になっていた。


 重ねた嘘は、理想の自分を創り上げた。自分の愛した人は、他の誰でもない、自分を愛してくれた。

 その愛が、自分から離れていくのが怖かった。もっと自分を見て欲しくなった。


 だから、今日もまた、嘘を重ねた。


 この世界で最も愛する人は、皮肉にも、創り上げられた嘘の自分を愛した。それが、自分の求めた形だった。自分の求めた理想だった。


 だけど、どうしてだろう。ずっと(から)に浸るような切なさが取れない。いくら言葉を重ねても、いくら身体を重ねても。愛しあっているというのに、束の(ほつ)れていくような寂しさが拭えない。


 その人を誰よりも愛していた。だから、その人の望む服を着飾った。言葉を着飾った。自分を着飾り、心を着飾った。

 自分の愛した人は、一体誰を愛しているのだろう。自分は一体、誰なのだろう。今となってはもう、本当の自分が分からない。自分の顔が分からない。自分の心が……、分からない。


 だから、今日もまた、嘘をついた。


 自分が嫌いだった。だけど今の自分は、その好嫌(こうけん)の感情すら感知出来ない。自分が自分でなくなっていく。どれが本当の自分で、どれが嘘の自分なのだろう。

 今日ついた嘘は判る。だけど、積み重ねた嘘が判らない。今日の嘘も、いずれ積み重ねた嘘になるのだろう。



 誰か、本当の自分を教えてください。

 そして、本当の顔を罵ってください。本当の心を叱咤してください。

 本当は、誰よりも愛していた、本当の自分を見付けてください。

 傷付いてもいい。がむしゃらだった、本当の自分を蔑んでください。



 それが、生きていくということなのです。




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― 新着の感想 ―
[良い点] とても詩的な文章ですね。 生きていく事と綴じる所がとても素敵でした。 [気になる点] 自分にとって、生きるという事はこうではない。 そんな事を思いました。 私的な事ですみません。 [一言]…
2012/01/08 23:55 退会済み
管理
[一言] 誰の心にも届く様な、普遍的なテーマだと思いました。 現実の自分を嫌悪し、理想の自分を追い求めていく姿は多くの人間に見られる物だと思います。そして現実と理想のギャップに苦しみ、悶々とする。私…
2012/01/05 06:19 退会済み
管理
[良い点] 主人公の真摯なところが、しんしんと伝わってきました。 [一言] かけがえのない存在が出来たら 自分に大きな嘘をついても、その存在を護る為に何でも出来るようになります。 痛みは誰も癒してく…
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