49話エルラードの第三王子
49話<エルラードの第三王子>
ミカの姿を見つけると、嬉しくなって。
話しかけられると、ドキドキする。
そんな浮ついた気持ちに、態度が失礼なものになっていないかと違う意味でドキドキする。
そんな状態が続いて、もうどれほどになるだろう。
そんな私に気付いていながらも、あの約束をして以降、ミカは特になにもおっしゃらず、私を見守ってくださっている。
「王宮の内外。みんな、活力いっぱいで、以前よりもずっと、明るい雰囲気になりましたね」
「そうだね。アリシアがたくさん働いているのだから、当たり前の結果だと思うけれど」
微笑みながら、私を見つめてくださるミカこその力だというのに。
私は苦笑する。
「ミカはいつも優しくて、謙虚な方ですね。少しでも、ミカに近づきたいです」
「ふふ。僕にそんなことを言ってくれるのは、アリシアくらいだよ。勿論、アリシアだけでいいけれど」
褒められることを期待しない姿勢に、益々、感服してしまう。
「やっぱり、ミカは謙虚な方です」
「そう?でも、ごめんね。アリシアにだけは、謙虚にはなれないよ。たくさん褒めて、僕だけを見つめてほしい」
なんて、嬉しい言葉だろう。
私は、抱えた資料をきゅっと抱きしめた。
「もし、本当に、私でよろしいのでしたら、何度でも、ミカの功績に感謝し、お礼を言いたいです」
「そんな格式ばったのじゃなくて」
資料を抱える両腕のうち、右手をそっと取られる。
そして、そのまま、ミカは私の手を自身の頭にのせた。
「ご褒美が欲しいよ。良く頑張っていると撫でてくれる?」
「!!」
私ごときがミカの頭に触れて、さらには、撫でるなど!
恐縮すぎて、思わず、手を引く。
けれど、ミカの手は、私の手が少しも動くことを許さない。
じっと空色の瞳に見つめられる。
(ミカは時々、とても、頑固です)
私は諦めて、苦笑する。
「ミカは本当に変わっていらっしゃいます。でも、本当に喜んで頂けるというのなら。何度でも」
ミカの頭を、感謝と・・・そして、心の何処かにあるふわりと温かい気持ちを込めて。
優しく撫でる。
「気持ちいい」
ミカが甘える猫のように、目を細められる。
ミカが嬉しいと、私も嬉しい。
けれど、ドキドキする。
穏やかな気持ちと、ドキドキと。相対する気持ちが混ざりながらも。
私はミカの頭を、ふわりふわりと撫で続ける。
そのとき、ミカがぱっと瞳を開いた。
そして、私の手を握りしめながら、後ろを振り向く。
急な動きに、私が何かを問う前に、
「久しぶりだね。ミカエル兄さん。会えて嬉しいよ!」
「!!!」
飛び込んできた声に、体が飛び上がりそうになる。
(ミカの頭を撫でているなんて、他の方に見られたら)
声の方を見つめれば。
金髪碧眼のとてもとても綺麗な青年が、廊下の端から走ってくる。
「やあ、ミカエル兄さん」
ミカの真正面で止まった青年は、私よりも少し年上そうだ。
けれど、温和に微笑む顔は、天使を思わせるようにどこかあどけない。
(綺麗な方)
思わず見とれ・・そして、はっとする。
ミカを兄さんと呼ばれたということは。
(エルラードの第三王子殿下だわ!!)
私はあわてて、ミカより一歩下がり、頭を垂れようとした。
「アリシア。僕から離れてはダメだよ」
ミカの少し不機嫌そうな声とともに、体がぎゅっと抱き寄せられる。
「ミ、ミカ!」
いくら兄であるミカに許されているからといっても、他の殿下の前で礼儀を失する振る舞いをすることなんて出来ない。
私はミカにわかってほしくて、泣きそうになりながら、ミカを見つめた。
「・・・かわいすぎて、オカシクなりそう」
「!」
びっくりするぐらい、甘い瞳を向けられて、私は心臓が止まりそうになる。
恥ずかしくて、思わず、顔を伏せる。
けれど、
「ミカ。第三皇子殿下の御前ですので、どうか、お察しください。礼を失したくはないのです」
「・・・ごめんね。アリシア」
ミカの手が緩められる。
私は静かに、後ろに下がって、臣の礼を取った。
「どこかで動物の言語を習得中だったんじゃなかったっけ?」
「動物は言語を持たないんだよ。兄さん」
「そうなの」
「どうやら、私の言語バカは人類限定だったみたい」
「へえ」
「ふふ。相変わらず、関心の薄い人だなあ」
くすくすと笑う。
「兄さんには“バカ”がないんだと思っていたんだけど」
「リュイが言語を極める旅に出たのは10年ほど前だからね」
「幸せそうだね。兄さん」
「・・・」
沈黙。
(ミカは幸せではいらっしゃらない?)
ズキンと、胸の奥が痛んだ。
(当たり前だわ。アリシアバカなんて、笑ってしまうくらい小さなことにミカの労力がとられるなんて。幸せなはずない)
化学や言語、爆発だって。どれも、使い方によっては、とてもとてもこの世界にとって有意義なものだ。
ミカだって、本当は。
もっと、素敵なことに興味をひかれたかったに決まっている。
(私、バカだわ。こんなことに、今さら気づくなんて)
「この後はどうするつもりなの」
「ん?」
「人間の言語には限りがあるでしょう」
「・・・」
リュイ様が息を飲むのがわかった。
「ははっ、さっすが!」
リュイ様がおかしそうに笑う。
ミカの今の言葉が、そんなにおもしろかったのだろうか?
「本当に、さすがは兄さんだね。でも、ご心配なく。僕のバカは少しイレギュラーなんだ」
「どういうこと」
「色々あってね。ちゃんとハマっていることがあるからご心配なく」
「そう」
「ということで、僕はしばらく、エルラードの自分の城に滞在することにしたから。よかったら、遊びに来てよ」
「気が向いたらね」
「うん。じゃあね」
リュイ様がそのまま、私の横を通り抜けて行かれる。
きちんと頭を下げたまま、私はリュイ様が去っていかれるのを待った。
「アリシア」
ぎゅっと抱きしめられる。
「!」
「顔を上げて」
頭上から聞こえる声があまりにも、切ないから。
私はそっと顔を上げた。
「本当はアリシアが頭を下げる必要なんてないのに、ごめんね」
私は首を横に振る。
「そんな恐れ多いことをおっしゃらないでください」
「本当のことだよ。でもね」
「?」
「なんとなく、リュイに貴女を見せたくなかったんだ」
「それは・・・勿論、そうだと」
当たり前のことだから、笑って答えようとしたのに。
愚かな唇が、微かに震えてしまう。
私の容姿は、人に見せられるようなものではない。
分かっていることなのに、ミカにそう思われていると思うと、
(苦しい)
こみ上げる感情を封じるように、唇をきゅっと噛みしめる。
「アリシア。また、余計な心配をしているでしょう」
唇を、ふいに、ミカが撫でる。
「い、いいえ」
「嘘をついても可愛いけれど、それはダメな嘘だよ。アリシア。傷つかないで。貴女の黒い髪も目も、アリシアを作る全てのパーツが、素敵に決まっているでしょう。問題はリュイだ」
「いいえ。良いのです。リュイ様を不快な気持ちにさせるわけには」
「それも違う」
「え」
「・・・」
「ミカ?あっ」
ミカが無言のまま、私をぎゅっと抱きしめる。
ミカの胸に、顔を埋める。
「アリシア。わからないけれど、不安なんだ」
「!」
ミカが不安を口にされるなんて。
「どうされたのですか」
「わからない。でも、最近、不安なことが多くて。リュイを見ていたら、また、不安になった」
「?」
私は首を傾げる。
どうして、ご家族と会って、不安に思うのだろう。
「・・・」
私を抱きしめるミカの腕の力が強まる。
それは、ミカの不安を表しているようだ。
(ミカ)
私は両腕を伸ばして、ミカを抱きしめた。
一瞬、ミカが息を飲むのがわかる。
やはり、失礼すぎる。
私は慌てて、手を放そうとした。
けれど、彼は縋るようにさらに私を強く抱きしめる。
私に触れるのが、不快なわけではないのだと、ほっとする。
(どうか、ミカの不安が少しでも休まりますように)
そう願い、私は緩めかけた手を戻し、ミカを抱きしめ続けた。