ある侍女のつぶやき
<ある侍女の呟き>
良家の貴族令嬢は、王宮の侍女として、花嫁修業もかねて城にお勤めするのが、通例。
アルネカ伯爵を父に持つ私も、そうですわ。
ですから、今、目の前で、黒い髪の女が、同じ部屋にいて、私があれと同じ空気を吸っているのだというだけで、気持ち悪くて、不快で仕方がありません。
(ああ。キモチワルイ。見るのも嫌だわ)
本当なら、ここから去ってしまいたい。
けれど、わざわざ招集に従ったのは、これが、現在我が国を掌握している、エルラードの王子殿下が認めている存在だから。
不快を買えば、どうされることか、と賢い私たちは判断したのです。
(けれど、この程度であれば)
内心、くすりと笑みを漏らしてしまいます。
それに、どうやら、周りの侍女の皆さんも同じことを考えているようで、その口元には勝利の笑みがうっすらと浮かんでいます。
(ええ。そうね。この程度の小汚い小娘。どうせ、色の珍しさからペット扱いでもされているのでしょう。
けれど、物珍しさで気を引いても、飽きられるのは早くてよ?)
「皆さんは、今朝、城中で花が咲いたのをご存知ですね?」
何を言うかと思えば。
(やはり、家柄のない、学のない女)
愉快でたまりませんわ。
「皆さんは、その花をどうすればいいと思いますか?」
(まあ!身の程も知らず、私たちに、その程度のことを聞くとは!)
「あーら、集まらせておいて、何をおっしゃるかと思えば。
指針も決まっていないのに、“下”の者にご相談ですか?流石は、黒髪の御使い様」
おほほほほ。
侍女の中でも位の高い、ファビウス侯爵令嬢のソフィア様のお言葉に、私たちは思わず、その通りだと声を立てて笑ってしまいます。
けれど。
にこり。
黒髪の女は、澄んだ瞳で静かに微笑みました。
(な、何なの。この女)
一瞬、怯んでしまいました!
「何を笑って・・・!」
動揺したソフィア様も、声をあげられるけれど、
「何も思いつかれないのですか?」
言われた言葉に、心臓が止まりそうになりました。
『っ!!!』
この女の、言葉は。目は。
一体、何だというの。
よくわからないけれど、何故か、とても、自分が小さな存在に思えて・・・いいえ!!
そんなことはありえませんわ!!
私は、この身の程知らずをにらみつけてやりました。
「聞こえませんでしたか?」
皆様も同じように、にらんでいらっしゃるというのに、何故か、この女。
どこか嬉しそうに見えるほど、純粋に私たちに問い返すのです。
この距離で、聞こえないはずがないでしょう!!
バカにするのも大概になさい!
「きっ、聞こえましたわ!!それよりも・・・たかが、下働きが偉そうに何を!!」
もう一人の高位侍女、モンシニ侯爵令嬢のマドロン様が、叫ばれる。
けれど、黒髪の女は、その黒い瞳で、じっとマドロン様を見つめる。
マドロン様の、息を飲む音が聞こえました。
対照的に、とても落ち着いた様子の黒髪の女は、私たちをじっと見つめて、
「皆さん、もう、イスターシュはなくなるも同然です。このままでいいんですか?」
息を飲む。
私たちが見ないようにしていた―――けれど、“事実”ですから。
「ご存知の通り、エルラードの皆さんはとても紳士的で、上品です。けれど、だからこそ、実力社会でもあります。皆さんはこのままでは、侍女の地位も危ういかもしれません」
(ああ!ああ!なんということでしょう!)
怒りを超えて、焦りが心を支配していく。
そう。
本当はわかっているのです。
この女のように、私たちはエルラードに繋がりがあるわけではありません。
本当は・・・今では、この女の方が、私たちよりも“上”なのですわ!!
(私たちを。今まで、蔑んできた私たちを、一体どうしようというの?!)
心の中で絶叫した時。
にこり。
黒髪の女が笑った。
それも。
邪気の一切ない、“ただの”笑顔で。
(・・・こんな笑顔って、あるのですね)
呆然と、そんなことを思ったとき、
「だから、私にぶつかってみてください」
黒髪の女の声は、澄んでいて、よく響いた。
「私は幸運にも、エルラードの方に、皆さんの行動を評価する地位を頂きました。私はそれを“正当”に実行するつもりです」
(それは、つまり)
「それはつまり、私たちの働きを、きちんと上に報告してくださる、ということでしょうか」
ぽつりと零した私の問いに、黒髪の女が、こくりと頷く。
「私はご存知の通り、貧しい出自です。高価なものの価値などわかりませんから、賄賂に流されることはありえません。私がただ欲するのは、“この国と、友国エルラード”にとって価値のある行動です。――――皆さんは、王宮に関するプロでしょう?その実力を、見せてください」
その途端、
「私、一つ提案があります」
「私も!」
「私もよ!」
私たちは声を出しておりました。
何故でしょう。
ですが、試されていることを、強く感じたからかもしれません。
勿論、侍女として長年仕えた私たちのプライドを刺激された、というのもあるでしょう。
私たちは競うように、互いの案を聞き、改善案を出したり、または、脈絡なく、けれど、良案を思いつけば、それを口にしていました。
黒髪の女は、それをまっすぐな瞳で静かに受け入れていました。
時には、褒めることさえあります。
そうなると、私たちは、どんどん、口から案を出していました。
けれど、ふと、調子に乗って、誰かの欠点を口にするだけの方がいました。
すると、黒い瞳が無言で、じっと、瞳の奥を見つめてくるのです。
(あれは、怖いですわ)
まるで、価値のない己の内をばらされてしまいそう!
途端、私たちは欠点だけを言い募るのを止めました。
けれど、欠点に解決策をつけた発言をすると、逆に、褒めるような目になるのです。
私たちはあらゆる視点から発言しました。案を出すことだけに集中したのです。
そうして、短いけれど、充足した時間が経ちました。
「素晴らしい案が出ましたね」
(ふふん。私たちにかかれば、この程度。簡単なことですわ)
皆、同じ気持ちのようで、おほほと笑いあう。
「はい。さすがです。だから、次は私の番ですね」
その言葉に、私たちは先ほどよりも強気になりました。
だって、そうでしょう?
私たちは、このように素晴らしい案を出したのです。
この国に仕えてきた侍女として、さすがとしか、いいようのない案ですわ。
その私たちに、この方は一体、何が出来ると言うのかしら?
「ええ。私たちの案を実行に移してくださるのでしょう?“上”でいらっしゃるのだから、その采配。
期待していますわよ?」
「あらあ?でも、誰に何をおっしゃればいいかなんて、わかるのかしら?」
「あら。そう言えばそうね。だって」
「ええ。そうねえ。だって」
クスクスと笑いあいます。
それなのに。
「ご心配ありがとうございます。ですが、心配ありません」
きっぱりと言い切ったその瞳は、キラキラと輝いていて・・・なんだか、蔑んでいる私たちの方が・・・愚かな気さえさせるような。
(いいえ・・・そんなはずないわ。
まさか、これが、“のまれる”ということだなんて)
そんなこと、あるはずありません。
「庭師は全部で30名ですが、庭師の長、ルタさんに全員を集めるよう、言いましょう。
地方に詳しいのは、最近、地方から帰ってこられた、カイユさん。
彼を中心に、地方伯を集め、話を聞いてもらいましょう。」
『!!!』
「ど、どうして、庭師長のルタに、アルバンティー卿の名前まで!!」
ソフィア様が叫ばれました。
そこで、黒髪の女は、苦笑しました。
見たことがないほどの、深い想いを抱えた瞳をしながら。
「今まで、人とお話しする機会があまりありませんでしたから。
つい、嬉しくて。覚えてしまったんです」
『・・・』
・・・・・・人と話す機会がなくて、嬉しくて覚えた?
それは一体、どういうことですの?
そんな疑問を形にする前に、けれど。
私たちは、言葉ではなくて、体でわかってしまったのです。
(だって、瞳が)
瞳が物語るのです。
あの、黒くて、気味の悪いだけのはずの、瞳が。
深い深い孤独を。
(――――――――)
「とにかく。皆さんの意見を、“正当”に評価し、実行するということに間違いはありませんから。
今の素晴らしい案の実行はお任せください。皆さんには、城に花を飾ることをお願いします。それから」
素直に、言葉が胸に響いてきます。
この女を。
私たちの言葉を聞き、それを正当に評価したいと言う、この女を。
恐ろしいほどの情報力を、孤独ゆえに習得したという、この女を。
私たちは、何故か。
どうしてか。
――――――嫌いではなくなっているのです。
それよりも、むしろ。
「・・・なんでしょう?」
マドロン様が、どこか、何かと葛藤したご様子で、そう問われました。
すると、
「“たかがそのくらいのことで、かつてのように一日をかけるなんて、それでは生き残れないと思いますわ”というお言葉。
覚えていらっしゃいますか?」
ヴィルジニー様が息を飲まれる。
「ええ!もちろんですわ!」
バカにしないでとおっしゃるような、けれど、自負した力強さを持つ表情に、黒髪の女は、満足げにこくりと頷きます。
「素晴らしいお言葉だと思います。
皆さんは、城内の事情に関しては、他国のエルラードの方より秀でていると信じております。
ですから、余っていると思われる人力、物や、逆に不足していると思われることがあれば、また、おっしゃってください。共に、この国と、友国のために、努めましょう」
まっすぐな瞳。
ストン、と何かが落ちました。
共に?
あなたのような、下働きの女と私たちが?
あなたを蔑んできた、私たちが?
―――――――あなたを蔑んできたにもかかわらず、私たちが?
(眠れる器、だったのかもしれませんわね)
この魑魅魍魎の世界でも。
このような器もあったというのでしょうか。
「お任せください」
私たちは、力強く、頷き返しました。
この城で、私たちを正しく評価してくださるのが、この黒髪の御使いだけだから、という打算ゆえか。
それとも・・・・。
いいえ。
それは、もう少し、時が経ってから判じてもいいでしょう。
だって。
(私の第六感が言うのですもの)
多くの人が、それを知るときは近い、と。
(あなたは、きっと。エルラード以外の者も、魅了するのでしょう)
その、魔性の目を持って。
(やはり、その目は恐ろしいですわ)
だって、人の何かを変えてしまうのですから。
そして、それを心地よいかもしれないと思わせてしまうのですから。