薔薇園の女神
王宮で飾るためのバラは城の敷地内にある庭園で育てられている。
城から少し離れたところにあるため、庭師以外はほとんど人は訪れない。
今は庭師たちも庭園の整備にあたっているのだろう。
栽培所には誰もいない。
私は今を盛りに咲く花やあと少しで満開を迎えるだろう花などを選別しながら摘んでいく。
「っ」
気をつけてもバラの棘はするどいし、棘を抜く作業はどうしても手に傷を作ってしまう。
「また、ミーシェを心配させてしまうわ」
「私も心配だわ」
「!」
聞こえた声に、私はびくっと肩を揺らした。
慌てて後ろを振り返る。
「え・・・」
そこには女神様が立っていた。
日の光を浴びてキラキラと輝く金色の髪。
青い瞳は空のように澄み渡り、切れ長の瞳は妖艶。
ゆったりとしていて、布が幾重にも巻かれた異国の衣裳、カプチェを来ている。
「貴女は・・・」
かすれた声で呟けば、女神のような女性はふわりと微笑んだ。
彼女は音も立てずに私のそばまで近寄ると座り込んでいた私に視線を合わせるように腰を下ろし、そっと私の唇に長い指をあてる。
「しいっ。その質問はまた今度」
諭すように言われて、私は思わずこくこくと首を横に振る。
そんな私に女性は満足そうにふわりと微笑む。
そして、私の両手を取る。
「だ、だめっ」
思わず手を引いた。
だって、こんなにも綺麗な人に私の血がついてしまったら。
拒絶した私に女性は悲しそうに眉を寄せる。
「私のことが嫌い?」
「違います!あの、ただ、私の手、汚れていますし、私なんかに障ったら貴女まで」
「・・・」
女性は静かに私を見つめる。
「すみません」
いたたまれなくなって謝る私に。
「あと少しだから」
「え」
目の前に女性の顔が迫る。
けれど、途中で女性はぴたりと動きを止め、そして、あっけにとられていた私の両手を掴むと
「あ」
止める間もなく女性の唇が私の手へと落ちていた。
「やめてくださっ」
止めようとしたのに、
「きゃあっ」
女性の舌が私の手を舐める。
ぞくっ
背筋が震えた。
「どうして」
事態についていけない。
それなのに、女性の生暖かい舌が私の手を、まるで癒すように傷口を優しく丁寧に舐めていく。
(どうして)
皆、触れることさえ嫌がる異形の身なのに。
パニックになって、何も考えられない。
身をよじっても、手を引いても、何故か彼女の手から逃れられない。
(どうしたらいいの?!)
もう本当に泣きそうになったとき。
くちゅ
水音を残して、ようやく唇が離される。
私は泣きそうな目で彼女を見た。
でも、女性は感情の読めない眼で私をじっと見つめると、すっと立ち上がる。
そして、
「バラは摘まなくてもいいから。いいわね」
逆らえないような強い瞳でそう言われ、思わずこくりと頷いてしまう。
「いい子」
女性は満足そうに微笑む。
そして、
「もう少しだよ」
そう言って名残惜しむようにそっと私の頬を撫でると、そのまま優雅な足取りで去って行ってしまった。
後に残されたのはむせ返るようなバラの香りと。
信じられないほどの早鐘を打つ胸の鼓動の音だけ。