温かいシチュー
私がお手伝いを始めて、10日が経った。
イスターシュの腐敗した国政は根深く、
レオンたちはその掌握と改正に走り回っている。
ミカ様は。
とてもお忙しいはずなのに、そうとは思わせない穏やかな微笑みをたたえ、
よく私のもとを訪れて激励してくださる。
ミカ様のご期待に、少しでも恥じないようにと頑張っているのだけれど。
もっともっと頑張らなければ、いけないと思う。
そうして。
十日目の夜も更けた頃。
「お疲れ様」
「ミーシェ!」
配給を続けていた私のもとにやってきたのはミーシェだ。
今は丁度、誰もいない。
私は配給所から飛び出し、彼女の下へかけた。
「ミーシェ!」
「ふふ。久しぶり!アリシア!」
駆けてきた私を、ミーシェがぎゅっと抱きしめてくれる。
「!」
「あら。体を固くしちゃって可愛い反応!
アリシア、親友同士が久しぶりの再会を喜ぶのだもの。ハグは当然よ!」
「そうなの?ふふ。でも、確かにとても嬉しいから。とても良い慣習ね」
「うんうん。いい笑顔。楽しくやってるみたいでなによりだわ」
「ええ。皆さん、とてもよくしてくださるの。兵士の方たちも話をしてくださったりするのよ」
「あら。それはよかったわね!
(まあ、あの変態王子にとってはえらいこっちゃでしょうけど。おほほ。いい気味♡)」
「ミーシェ?何か言った?」
「いやいや。良い傾向だなって思っただけ。
それより、いつもこんなに遅いの?
もう夜も遅いし、夕飯の時間も過ぎたからピークも済んだんでしょう?
城には貴女用の部屋もあるんだし、一緒に戻らない?」
「ありがとう。
でも、騎士様や兵士の皆さんは、皆夜中も交代で働いていらっしゃるし。
それに、私に出来ることはこれくらいだから」
本当はもっと大変な調理場の方を手伝いけれど、皆に断られてしまった。
「アリシア。貴女が朝からずっと働いているっていうのは、噂になってるわよ。
配給の仕事は体力勝負でしょう。大丈夫なの?」
ミーシェの言葉に私は苦笑するしかない。
だって、本当はもっと大変な仕事があることを私は知っている。
こんなの、本当に楽な仕事なのだ。
それなのに、皆に感謝されて。
「これが大変だなんて言ったら、申し訳ないわ。
とても楽しくて良いお仕事だもの。
私にはもったいないくらいだわ。
だから、このくらいさせてほしいの」
「アリシア・・・仕方ないわね。貴女は意外と頑固なんだもの」
ふふっと笑うミーシェ。
私も笑い返す。
「でも、無理しちゃだめよ」
「ありがとう」
「どういたしまして。っと、それじゃあ私は行くわね」
ミーシェの視線がふと反れる。
その先にはミーシェを待っているような風の、男女の姿。
きっと、彼女の部下なのだろう。
「うん。ミーシェこそ無理はしないでね」
「わかった」
にこっと笑みを返し、ミーシェはそのまま城の方へと歩いて行く。
その背を見送りながら、
(きっと、ミーシェには他にもたくさんの仕事が。
出来ること、ミーシェにしかできないことがあるんだ)
彼女の堂々とした後ろ姿を見送りながら私は焦燥にかられる。
何が出来るだろう。
何をすればいいのだろう。
(せめて私にもミーシェのように特別な知識があれば)
黒髪の御使い。
ありがとう。
私には過ぎた言葉に、少しは報いることができたのではないだろうか。
でも、私がしていることはただの配給だ。
作ったわけでも、運んだわけでも、何でもない。
(ううん。駄目ね。出来ることを一生懸命やるって決めたでしょう)
物思いにふけっていると。
「すみません。遅くなってしまったのですが、今でも食事ができますか」
兵士の方が申し訳なさそうにやってきた。
けれど、とてもお腹がすいているのだろう。
彼の視線は並ぶ料理にまっしぐらだ。
(ふふ、本当にお腹が減っていらっしゃるのね)
「勿論です。夜遅くまでお疲れ様です。すぐにご用意しますね」
他の給仕係には休んでもらっている。
ミーシェが言うとおり、夜も更けた頃というのは、訪れる人がまばらなのだ。
私一人で十分対応できる。
「パンが冷めてしまっているので、鉄板で焼いても構いませんか?」
私の問いに兵士は嬉しそうに笑った。
「勿論です。うわあ。嬉しいなあ。
実は朝から何も食べてないんですよね。
だから、こうやって、食事にありつけるだけでも嬉しいのに、
温かい物が食べれるなんて・・・本気で嬉しいです」
「朝からですか」
「はい。私は、もともと、王都の外れに臨時に立てた孤児院の警護を任されたんですが。
とにかく孤児の数が多くて。
それも、町で見つかるたびに、こちらに連れてこられるから、数は増える一方です。
そのせいで、警備にあたっていたはずの私たち兵までが、子供たちの世話をすることになったんですよ。
子供の世話なんてしたことのない男ばかりで、現場はパニック状態ですよ」
「孤児・・・」
「はい。って、こんなこと、女性にお聞かせする話じゃ」
ご飯に目がいっていた兵士が苦笑しながら顔を上げた。
そのとき。
「あ、あなたは!!!」
「?」
「く、黒髪の」
言いかけた言葉に私はびくっと肩を震わせた。
気持ち悪い。
そう続いたら。
けれど、私の勝手な恐怖心に対し、兵士の方は恐縮した様子で言葉をつづけた。
「す、すみませんでした。貴女様が給仕係をされているなんて。
えっと、夜でちょうど闇に黒髪がまじっていて気づかな・・・って、何言ってるんだ。俺は」
焦る兵士さん。
異形に対する嫌悪感があるわけではなく、
ただ、突然の黒髪の御使い、にびっくりしているだけなのだとわかる。
そのあたふたとした様子がとても好感がもてて、
「ふふ」
「え」
思わず笑ってしまった私を、兵士さんがびっくりした顔で見つめる。
「すみません。笑ってしまって」
「い、いえ」
「あの。私のこと気持ち悪くないですか」
夜も更けて人があまりいなかったせいか。
それとも、この兵士さんがなんだか気さくな感じがしたからだろうか。
この人なら聞いても正直に答えてくれるような気がして、思わず尋ねてしまっていた。
「まっ、まさか!!」
兵士さんはぶんぶんと首が取れそうなほど激しく首を横に振る。
その答えに私は心がふわりと温かくなる。
「ありがとうございます」
「え?いえ。お礼を言われるようなことは」
きょとんとする兵士さんに、私は微笑んだ。
「!」
兵士さんがびくっと肩を震わせる。
どうしたのだろう?
「どうかなさったんですか」
「い、いえ!」
またぶんぶんと首を激しく横に振る。
その顔は少し赤くなっている気がする。
と、丁度パンが香ばしい香りを放ちだした。
パンをお皿に取り、同時に焼いていたハムや野菜も盛り付ける。
最後にシチューを碗に注ぐ。
「お待たせしました」
「うわあ!豪華だ!」
「夜中まで頑張ってくださっているから、ちょっとおまけしました」
「!ありがとうございます!」
「こちらこそ、遅くまでありがとうございます。
あちらに食事スペースがありますから、ゆっくり召し上がってくださいね」
「!」
私の言葉に、兵士さんは瞠目し、そして、それまでのハイテンションから真剣な表情へと変わる。
「あなたはやっぱり黒髪の御使いですね」
「え?」
ふわりと微笑むと、
「それじゃあ、本当にありがとうございました!これで、明日も頑張れそうです!」
そう言うと両手に料理を持ちながら器用に駆けて行った。
その元気な姿に思わず微笑んだ。