勇者パーティーを追放されそうなので、先に内部分裂させることにしました
手袋を忘れたことに気づいたのは、宿の階段を半分まで上ったところだった。
右手にはある。左手がない。
今日の討伐で裂けたわけではない。食堂で外して、椅子の背にでも掛けたのだろう。明朝まで放っておけば、給仕が拾ってくれるかもしれない。だが、革を手になじませるには時間がかかる。取りに戻った方が早い。
階段を下り、食堂へ続く廊下を曲がったところで、俺は足を止めた。
閉まった扉の向こうから、自分の名前が聞こえた。
「次の遠征が終わったら、ラウルには抜けてもらう」
レオンの声だった。
聞き間違えようのない、よく通る声だ。洞窟でも森でも、あいつの指示だけは嫌というほど聞こえる。
「前衛を増やすなら、仕方ないんじゃない?」
続いたのはミレナだった。
「しかし、急すぎないか」
ガルドの低い声がする。
「急じゃない。前から考えていた。魔王軍との戦いはこれから厳しくなる。敵を見つけるだけの斥候より、一体でも多く倒せる人間が必要だ」
「敵を見つけるだけ、ね」
「言い方は悪かった。でも、間違ってはいないだろ」
誰もすぐには答えなかった。
セラの声は、まだ聞こえていない。
「嫌いになったわけじゃない。あいつにも、もっと向いている場所がある。俺たちが魔王を倒すためには――」
椅子を引く音がした。
俺は扉から離れた。
最後まで聞こうとして、誰かと鉢合わせするのはまずい。音を立てずに階段を上り、そのまま自分の部屋へ戻った。
左の手袋は諦めた。
寝台に腰を下ろし、今日までの報酬を頭の中で計算する。まだ精算されていない依頼が二件。共同で購入した荷馬車の持ち分。俺が立て替えた保存食の代金。前回、セラが倒れた後に断った治療依頼の件もある。
レオンは俺を嫌っているわけではない。それはたぶん本当だ。
直接戦闘だけを比べれば、俺は強くない。魔法も使えなければ、オーガを一撃で倒せる剣も持っていない。足跡を読み、罠を探し、野営地を決める。そういう仕事は必要だが、代わりがいない仕事でもない。
だから、抜けろと言われること自体は受け入れられる。
だが、次の遠征まで俺を使い、帰ってきたところで突然切るつもりらしい。未精算の金も、依頼中の責任も、レオンの口一つで決まる状態で。
俺を切るのは自由だ。
なら、俺も自分だけが損をしないように動く。
机の引き出しから紙を出し、仲間の名前を三つ書いた。
ミレナ。ガルド。セラ。
誰が俺の追放に賛成しているのか。
あの四人の利害は、本当に一致しているのか。
調べる時間は、次の遠征までしかなかった。
◇
翌朝の食卓は、いつもどおりだった。
「昨日の角猪、最後の一撃を見たか?」
レオンがパンをちぎりながら、自分の剣筋を身ぶり付きで再現する。
「見ていたから、横へ避けたんだ。危うく俺まで斬られるところだった」
ガルドが笑い、セラが小さくため息をつく。
「笑い事ではありません。ガルドの肩にも傷が増えていました」
「かすり傷だ」
「治すのは私です」
「セラにかかれば、あれくらい傷のうちに入らないだろ」
レオンの言葉に、セラも最後には笑った。
ミレナは眠そうな顔で茶を飲んでいる。俺と目が合うと、わずかに視線をそらした。
仲が悪いわけではない。
昨夜、扉の向こうで俺を切る話をしていたことを除けば、気心の知れた五人の朝だった。
この五人で旅を始めて、もう二年になる。
俺が加わったのは、四人が最初の斥候を失った後だった。死んだわけではない。レオンの進む速さについていけず、自分から抜けたのだと聞いている。
加入した初日、俺は焚き火へ近づきすぎたミレナの外套を踏んで消した。礼を言う代わりに、彼女は翌朝から火のそばに座らなくなった。
ガルドは俺の名を三日間覚えず、ずっと「斥候」と呼んでいた。四日目、崩れた吊り橋から俺が落ちかけたとき、腕をつかんで名前を呼んだ。それからは一度も間違えていない。
セラは食べられる野草と毒草の区別がつかない。俺が教えても覚えず、摘むたびに持ってくる。今朝も皿の横に、見覚えのない葉が三枚置かれていた。
「これは食べられますか?」
「食べれば、昼まで腹が痛くなる」
「では、捨てます」
「薬にするなら使える。取っておけ」
セラがうれしそうに布で包む。レオンが横からのぞき込み、自分も一枚摘んできたと言った。
「それはただの葉だ」
「似ているだろ」
「緑色というところだけはな」
ミレナが吹き出し、ガルドが腹を抱えた。レオンも最後には笑った。
こんな時間まで偽物だったとは思わない。
俺を追放すると決めた後でも、四人にとって昨日までの旅が消えたわけではない。それが分かるから、余計に面倒だった。
「ラウル、遠征の準備はどうだ?」
「今日、足りない物を買う。予定どおりなら三日で戻れる」
「頼む。今度のオーガを片づけたら、いよいよ北へ進める」
「分かった」
俺も普段と同じように答えた。
朝食の後、買い出しに向かうミレナを追った。
「一緒に来るの?」
「回復薬の数を確認したい」
「昨日、確認したでしょう」
「精算方法も含めてだ」
ミレナの歩みが一瞬だけ遅くなった。それでも何も聞かず、道具屋へ入る。
彼女が魔力回復薬を選ぶ間、俺は帳簿を開いた。
「次から、これは共通経費でいいのか?」
「次から?」
「俺が抜けた後、誰が精算を引き継ぐか知らない。間違いが残らないよう確認している」
ミレナの手が瓶の上で止まった。
「聞いたのね」
「途中までな」
「だったら、レオンと話せば?」
「決定が変わるとは思えない」
「それで私に文句を言いに来た?」
「文句じゃない。確認だ。お前の魔力回復薬は個人負担。レオンの剣の修理代は共通経費。今後もこれでいいんだな」
帳簿を開いたまま差し出した。
ミレナは眉を寄せ、指で数字を追った。
「勇者の剣は、魔王討伐に必要でしょう」
「お前の魔法は?」
「必要よ」
「だから聞いている」
彼女は帳簿を俺へ押し返した。
「レオンがいなければ、私はここにいないわ」
ミレナが唐突に言った。
一年前、廃坑で魔力を使い切った彼女を、レオンは背負って地上まで運んだ。追ってきた魔物をガルドと俺が止め、セラが治療したが、最初に崩れかけた坑道へ戻ったのはレオンだった。
「あのとき、あの人は自分の剣を捨てて私を運んだ。その剣を買い直す費用を、私も払った。おかしいとは思わなかった」
「命を救われた分としては、もう十分払ったんじゃないか」
「恩を金額にするの?」
「俺ならする。返し終わる日がない借りは、借りじゃなくて首輪だ」
ミレナは露骨に顔をしかめた。
「あなた、本当に嫌な言い方をするわね」
「知っている」
「でも、レオンはそんなつもりで助けたんじゃない」
「レオンが恩を着せるために助けたとは思っていない」
おそらく、ミレナが薬代を負担していることも深く考えていない。悪意があれば拒めるが、善意から始まった関係では、どこまで返せば対等なのか分からない。
「私が使う薬よ。私が払うのはおかしくない」
「そうか」
「何よ、その言い方」
「この方法を、俺が抜けた後も続ける」
「待って」
ミレナはもう一度帳簿を取った。
半年分を合計すれば、小さな家を借りられるほどの額になる。レオンの剣の修理費も高いが、それは五等分されている。ミレナは自分の薬代に加え、その五分の一も払ってきた。
「こんなに使っていた?」
「三か月前、火竜と戦ったときが多い。レオンが二本飲ませた」
「あのときは必要だったわ」
「必要かどうかは聞いていない。経費を誰が負担するかだ」
道具屋の主人がこちらを見た。ミレナは声を落とした。
「これと、あなたの追放は別の話よ」
「そうだな」
「止めてほしいとは言わないの?」
「お前は賛成したんだろ。頼んでも無駄だ」
言い返そうとした唇が閉じる。
俺は必要な薬の数だけ帳簿へ書き、店を出た。
追放への賛成を撤回させるつもりはない。ミレナが損をしていようと、それを受け入れているなら本人の自由だ。
ただし、自分がどんな条件を受け入れているのかは、分からせておく。
レオンと交渉するとき、使える人間が一人でも多い方がいい。
◇
ガルドは宿の裏庭で盾を磨いていた。
縁のへこんだ大盾には、何度も修理した跡がある。本人の身体も似たようなものだった。
「少しいいか」
「昨日のことなら聞くな」
「戦闘の確認だ」
俺が紙を広げると、ガルドは露骨に嫌そうな顔をした。
「俺が抜けた後、レオンが合図より先に突撃したら、お前たちはどう動く」
「ついていけばいい」
「退路を確認する前でも?」
「あいつは待てと言って待つ男じゃない」
「敵が想定より多かった場合は」
「俺が止める」
「お前が負傷した場合は?」
「しつこいぞ」
「後任へ残す注意書きだ」
ガルドの手が止まった。
俺は過去の依頼記録を読み上げた。
二か月前。レオンを追うために盾を捨て、左肩を負傷。
一か月前。退路を確保するため、右脚を負傷。
前回。飛び出したレオンをかばい、肋骨にひび。
「俺の傷を数えて、何が楽しい」
「後任へ残す記録に、どこまで書くべきか確認している」
「違うだろ」
ガルドが盾を地面に置いた。
「俺を使って、レオンを困らせたいのか?」
鈍い男ではない。レオンと幼い頃から組んでいるだけあって、人の機嫌にはよく気づく。
「困らせるのが目的じゃない」
「なら何だ」
「俺が一人で悪者にされないためだ」
「ミレナにも何か言ったな」
「帳簿を見せた」
「セラにも話すつもりか」
「必要なら」
ガルドは鼻から息を吐いた。
「レオンのやり方に不満はある。だが、それを利用しようとしているお前も気に入らない」
そこまでは予想していなかった。
ガルドは俺の追放に強く反対できなかった。ならば、自分の不満を指摘されればこちらに傾く。そう踏んでいた。
「否定しないのか」
「否定する理由がない。俺は自分が助かるために、お前の不満を使おうとしている」
「そういうところだ」
「悪かったな」
「謝ってもいないだろ」
「謝るつもりがないからな」
ガルドが盾を持ち上げた。
「この話は終わりだ。俺はお前に協力しない。レオンとは十歳の頃から一緒だ。今さら何を言われても、あいつに背を向けるつもりはない」
「分かった」
俺は紙を畳んだ。
「ただ、後任には伝えておけ」
立ち去ろうとした俺へ、ガルドが言った。
「レオンより先に、退路を見つけておけとな」
振り返ったときには、ガルドはもう盾を磨いていた。
俺は部屋へ戻り、注意書きの最後にその言葉を加えた。
ガルドをこちらへ引き込む計算は外れた。だが、本人の口から不満を言わせるところまではできた。
その夜、井戸へ水をくみに出ると、裏庭から木剣のぶつかる音が聞こえた。
レオンとガルドが手合わせをしていた。
子供の頃から続けている習慣らしい。ガルドが大きな身体に似合わない素早さで踏み込み、レオンが笑いながら受け流す。何度か打ち合った末、レオンの木剣がガルドの肩を打った。
「今日は鈍いな」
「長旅の後だ。お前が元気すぎる」
「昔は朝までやっても平気だっただろ」
「十年前の話をするな」
二人は笑っていた。
やがてレオンが宿へ戻り、ガルドだけが残った。俺は井戸の陰から出た。
「見ていたのか」
「水をくみに来ただけだ」
「なら、さっさとくめ」
ガルドは木剣を片づけようとして、顔をゆがめた。レオンに打たれた肩ではない。肋骨を傷めた側だ。
「医者には何と言われた」
「お前には関係ない」
「そうだな」
水桶を井戸へ落とす。滑車の音が、静かな庭に響いた。
「レオンは、昔からああだった」
ガルドが背後で言った。
「危ない場所へ真っ先に飛び込む。俺が追いつくまで、一度も後ろを見ない。それでも昔は追いつけた」
「今は勇者と普通の戦士だ」
「普通と言うな。俺だって、その辺の冒険者には負けん」
「レオンには?」
返事はなかった。
引き上げた桶から水をくむ。
「俺に話しても、味方にはならないぞ」
「知っている」
「あいつは俺を置いていくつもりもない」
「置いていくつもりがないから、なおさらだ」
レオンはガルドを捨てないだろう。
ただし、自分が走る速さを緩めることもしない。
ガルドが追いつけなくなる可能性だけを、あいつは考えない。
◇
ギルドに提出された予定表には、見覚えのない村が三つ並んでいた。
俺が組んだ遠征経路から、どの村も外れている。帰還後にすべて回れば、余計に四日はかかる。
「これは誰が受けた?」
受付の職員へ尋ねると、レオンの署名が入った書類を見せられた。
「勇者様から、討伐の帰りに治療してくださると」
「治療する本人の署名は?」
「勇者パーティーとしてのお申し出でしたので」
予定表を写させてもらい、セラが滞在している教会へ向かった。
礼拝堂の奥で、セラは子供の擦り傷を治していた。治癒の光が消えるまで待ち、写しを渡す。
「この村の治療は、いつ決まったんですか?」
「三日前らしい」
「私は聞いていません」
「なら、ここにそう書いて署名してくれ」
セラが顔を上げる。
「なぜですか」
「前回、お前が倒れた後に俺が断った二件だ。レオンは、俺が勝手に断ったと説明している。このまま追放されたら、俺の記録にだけ残る」
彼女の顔から、心配そうな色が消えた。
「私のために持ってきたのではないのですね」
「俺が自分を守るためだ」
「正直ですね」
「後で違うと言われないようにな」
セラは予定表に目を戻した。
三つの村。百人を超える患者。遠征から戻った翌朝に出発。休養日の記載はない。
「困っている人を助けるのは、当然のことです」
「そうか」
「レオンも、そう思って約束したのでしょう」
「だろうな」
「どうして何も言わないんですか」
「お前が引き受けるなら、俺には関係ない」
セラは少し迷ってから、自分が聞いていなかったことを書き、署名した。
俺は紙を受け取る。
「もう一つだけ。前回お前が倒れたときの治療費は、共通経費に入っていない」
「私の治療ですから」
「俺もそう処理した。レオンに言われてな」
「レオンが?」
「確認したかっただけだ。じゃあな」
呼び止める声はなかった。
扉を閉める直前、礼拝堂から子供の声が聞こえた。
「聖女様、明日もいる?」
「ええ。明日もいますよ」
「あさっては?」
「あさっては……」
答えが途切れた。
遠征の出発日は、あさってだ。
セラは聖女ではない。地方教会で治癒術を学んだ、二級の僧侶にすぎない。それでも無償で傷を治してくれる人間を、町の者はそう呼ぶ。
レオンが初めてセラを誘ったときも、同じ呼び方をしたらしい。
『君の力があれば、救えない人はいなくなる』
セラはその言葉を信じた。
レオンも嘘をついたわけではない。傷ついた者を見れば助け、金のない村から報酬を取らない。自分の食事を子供へ渡すこともある。
ただ、治癒術を使うのはセラだった。
救う人数を決めるのはレオンで、疲れるのはセラだ。
それを二人とも、これまで不思議に思わなかった。
教会を出ると、夕方の鐘が鳴った。
ミレナは自分の負担額を知った。ガルドは傷の数を口にされた。セラは、自分の知らない予定を見た。
俺は何も作っていない。
もとからあったものを、見える場所に置いただけだ。
◇
二日後、俺たちは武装オーガの討伐へ出た。
出発前の確認で、俺は五人分の荷物を床へ並べた。
保存食、縄、油、傷薬、ミレナの魔力回復薬。いつもならレオンは途中で飽き、剣の手入れを始める。だが、この日は最後まで黙って見ていた。
「回復薬が一本少なくない?」
ミレナがすぐに気づいた。
「予算内では、これが限界だ」
「必要になったら?」
「追加で買うなら、誰が払うか決めてくれ」
レオンは何も言わなかった。
ガルドが自分の荷物へ傷薬を一本加えた。セラは遠征後の予定について尋ねなかった。
俺は経路を書いた紙をレオンへ渡す。
「街道を外れた場合、帰還は一日遅れる」
「分かった」
「セラの治療予定には間に合わない」
「討伐を予定どおり終わらせればいい」
レオンは紙を折って胸元へ入れた。
聞いていないわけではない。理解できないわけでもない。
自分たちならできると信じている。その中に、誰かができないと言う可能性だけが入っていなかった。
宿を出るとき、レオンはいつものように全員へ声をかけた。
「帰ったら、うまいものを食おう。北へ進む前の祝いだ」
ガルドは笑い、ミレナは店を自分で選ぶと言い、セラは酒を飲みすぎないよう注意した。
俺も誘われているのかは分からなかった。
誰も、そのことには触れなかった。
街道を半日進んだところで、折れた枝と深い足跡を見つけた。足跡は三体分。うち一体は右脚を引きずっている。
「この先の林にいる」
俺が告げると、レオンはすぐに剣を抜いた。
「ガルドが正面。俺が右から入る。ミレナは逃げ道を焼け。セラは後ろで待機。ラウルは左を見張れ」
迷いのない指示だった。
林へ入ると、読みどおり三体のオーガが獲物を分けていた。最初の一体が棍棒を振り上げる。ガルドが盾で受け、地面を滑った。
レオンがその脇を抜ける。
「今だ、ミレナ!」
炎が走り、二体目の足を止めた。俺は茂みから回ろうとした三体目の膝へ矢を射る。浅い。倒せはしないが、振り向かせるには十分だった。
レオンの剣が一体目の首を斬り、ガルドが二体目を盾で押さえ込む。ミレナの氷槍が胸を貫いた。
三体目の棍棒が俺へ向く。
「伏せろ!」
レオンの声で地面へ転がる。頭上を剣が通り過ぎ、オーガの腕を斬り落とした。
最後はガルドが足を払い、レオンが仕留めた。
「三体。ラウルの読みどおりだな」
ガルドが盾を下ろす。
「いや」
俺は周囲を見た。
ミレナの炎に背を焼かれたオーガが一体、木々の間を逃げていく。戦っていた三体とは別だ。
「四体目がいた」
「追うぞ」
レオンが走り出す。
「待て。奥に別の足跡がある」
「あいつを逃がせば村が襲われる!」
「一体の足跡じゃない。少なくともあと三体いる」
「だから今、まとめて倒す!」
レオンの判断にも理屈はあった。ここで逃がせば、オーガは仲間を連れて街道へ戻るかもしれない。
だが、森の奥は狭く、ガルドの大盾を振り回せない。ミレナは今の戦いで大きな魔法を二度使った。俺たちを自分たちに有利な場所へ誘っている可能性もある。
「いつもどおり、ついてこい!」
レオンがガルドへ叫んだ。
ガルドは一歩踏み出した。すぐに止まり、脇腹を押さえる。
「隊列を組み直せ、レオン」
「そんな時間はない!」
「この先では盾を振れない」
「お前ならできる!」
「できるかどうかを決めるのは俺だ!」
林にガルドの声が響いた。
レオンが信じられないものを見る顔で振り返る。
「ミレナ、援護しろ」
「追うなら回復薬が必要よ」
「使えばいい」
「誰の金で?」
「今はそんな話をしている場合じゃないだろ」
「私には今する話なの」
セラも杖を握ったまま言った。
「この先で負傷者が増えれば、帰還後の治療はできません」
「治療の約束は後で考える。まずは村を守るんだ」
「その約束をしたのは、私ではありません」
三人の視線が、レオンに集まった。
「昨日まで何も言わなかっただろ!」
誰も答えなかった。
そのとおりだったからだ。
レオンの目が俺へ向く。
「ラウル。お前、何をした?」
「足跡を見せただけだ」
俺はしゃがみ、落ち葉を払った。
逃げたオーガの足跡とは別に、奥からこちらへ近づき、途中で引き返した跡がある。重なり方から見て三体以上。先ほどから聞こえる枝の音も、逃げた一体のものだけではない。
「追えば挟まれる。西へ回れば、風下から近づける」
「時間がかかる」
「村へ向かう足跡はない。あいつは仲間のところへ戻っている」
レオンは森の奥をにらんだ。
やがて剣を鞘へ戻す。
「西へ回る」
そこから先の指示は正確だった。
レオンは感情を戦いへ持ち込まなかった。俺たちは風下から回り、岩陰に潜んでいた四体のオーガを見つけた。
ガルドが狭い場所を避けて二体を引きつけ、ミレナが足場を凍らせる。セラがガルドの古傷を癒やし、俺が逃げ道を塞ぐ罠を切った。
最後にレオンが敵の頭を斬り落とした。
誰か一人が欠けていれば、無傷では終わらなかった。
俺たちは強かった。
だからこそ、帰り道の沈黙が長かった。
◇
街へ戻った夜、レオンは俺たちを宿の食堂へ集めた。
あの日と同じ、一番奥の丸机だった。
俺の左手には新しい手袋がある。古い手袋は結局、見つからなかった。
レオンは立ったまま俺を見た。
「ラウル。お前には、このパーティーを抜けてもらう」
ミレナは机を見つめている。ガルドは腕を組み、セラは杖を壁へ立てかけた。
「理由を聞いてもいいか」
「これから魔王軍との戦いは厳しくなる。直接戦える仲間が必要だ。それに、お前は俺の指示に異論を挟みすぎる。今日も追撃を止め、三人を迷わせた」
「後任は?」
「候補には声をかけてある」
「そうか。分かった」
俺は鞄から紙の束を出した。
レオンが目を瞬く。
「何だ、それは」
「精算書と契約解除の書類だ。未払いの報酬が二件。荷馬車の持ち分。立て替えた保存食代。無料治療を俺が勝手に断ったという記録の訂正。今日の遠征で、命令違反の処分を残さないこと。この五つを確認してくれ」
「待て。もう用意していたのか」
「今朝、ギルドに書式をもらった」
今朝という言葉に、レオンの表情が変わった。
「知っていたんだな」
「食堂の外で聞いた」
「だったら、なぜ俺に言わなかった」
「言えば考え直したか?」
「それは……」
「精算の話をしよう」
レオンは乱暴に椅子へ座り、書類をめくった。
「未払い分は払う。荷馬車も、お前の持ち分を金で返す。保存食代もだ。ただし、今日の報酬は減らす」
「理由は」
「リーダーの命令に従わず、討伐を遅らせた」
「待ち伏せを避けた」
「結果がよかったからといって、命令違反がなくなるわけじゃない。パーティーには規律が必要だ」
レオンには報酬の配分を調整する権限がある。討伐そのものには成功しているため、ギルドが口を出す可能性も低い。
想定はしていた。それでも、本人が減額を口にするまでは反論材料にならない。
「いくら減らす」
「半分だ」
「多すぎる」
「今日、お前がやったことを考えれば当然だ」
「当然ではないわ」
ミレナが口を挟んだ。
レオンだけでなく、俺も彼女を見た。
ミレナは自分の帳簿と、空になった薬瓶を机に置く。
「最初の戦闘で大きな魔法を二回使った。あのまま追っていたら、最低でも回復薬が三本必要だった。ラウルの経路を使ったから一本で済んだわ」
「金の話じゃない」
「報酬を減らす話でしょう。なら、金の話よ」
ガルドも腕をほどいた。
「追撃を止めたのは俺だ」
「ラウルに言われたからだろ」
「違う。俺が狭い場所では戦えないと判断した。処分するなら、俺の報酬も減らせ」
「ガルドまで何を言っている」
「事実を言っている」
セラが負傷者の記録を開く。
「あの時点で、私の魔力は半分を下回っていました。追撃していれば、全員を治療できなかった可能性があります」
「だが、最終的には倒せた」
「ラウルが示した道を使ったからです」
三人とも俺を見なかった。
俺を助けているのではない。自分の見た事実を言っているだけだ。
レオンは三人を順に見た後、精算書の減額部分へ線を引いた。
「分かった。全額払う。それでいいんだろ」
「助かる」
俺は書類を受け取った。
これで金は守った。契約解除もレオン側の判断として残る。セラの署名があるため、無料治療の件も俺だけの責任にはならない。
追放は予定どおり成立した。
残る問題は一つだった。
「それで、パーティーはどうするんだ?」
「どうするって?」
「俺の後任を入れたら、それで続けられるのか」
「当然だ」
「なら、先に話しておくわ」
ミレナが帳簿をレオンの前へ滑らせた。
「次から魔力回復薬と魔道具の修理費も共通経費にして。報酬の配分は、依頼ごとに全員で確認する」
「急に何だ」
「半年でこれだけ払っている。あなたの剣は共通経費なのに、私の道具だけ個人負担なのは納得できない」
「勇者の剣は魔王を倒すために必要な共有財産だ。魔道具はお前自身の技能を補う物だろ」
「私の魔法は、パーティーの戦力ではないの?」
「そういう意味じゃない。仲間なんだから、細かい金の話は後にしよう」
「細かいと思っているのは、払っていないからよ」
ミレナが帳簿を閉じた。
「条件を変えないなら、専属契約は更新しない」
「ミレナ、お前までラウルに何を吹き込まれた」
「数字を見せられただけ」
「同じことだろ!」
レオンが机を叩いた。
ガルドが眉をひそめる。
「俺もしばらく休む」
「お前は何の話だ」
「肋骨が治っていない。医者には二週間休めと言われていた」
「危険を承知で一緒に勇者を目指したはずだ。今までも乗り越えてきただろ」
「危険を承知したことと、お前が危険を増やすことは同じじゃない」
「今日だって、俺の判断で全員無事に――」
「ラウルの判断だ」
ガルドの声は静かだった。
「お前が西へ回ると決めた。その後の指示も正しかった。だが、最初に止めたのはラウルだ。それを命令違反にして報酬を減らそうとした」
「リーダーの判断に従えないパーティーが、強敵に勝てると思うのか」
「だから休む。俺はもう、お前が走るたびに追いかけられない」
レオンの顔から怒りが消えた。
「ガルド。俺たちは子供の頃から――」
「だから今まで言えなかった」
ガルドはそれだけ言って、脇腹へ手を当てた。
セラも杖を手元へ引き寄せる。
「私は、遠征後の無料治療へ行きません」
「それは駄目だ。もう約束した」
「私には相談していません」
「俺たちが断ったら、治療を受けられない人が出るんだぞ」
「助けたいのは、あなたです」
「俺たち全員だ」
「いいえ。決めているのは、いつもあなただけです」
「勇者として、見捨てるわけにはいかない」
「それなら、まず私に頼んでください。私が何人治せるのか聞いてください。倒れるまで使って、後から治療費を私の報酬から引かないでください」
「俺は、お前なら分かってくれると――」
「分かってくれると思ったのではありません。断らないと思ったのでしょう」
レオンは黙った。
ミレナは金の扱いを任せ、ガルドは傷を黙り、セラは善意の使い道を委ねてきた。
俺は三人が口にできなかったことを、見える場所に出した。
だが、この場で踏みつけているのは俺ではない。
レオン自身だった。
「ラウル」
名前を呼ばれた。
「何だ」
「俺たちの仲を壊して、満足したか?」
ガルドが俺を見る。ミレナも、セラも見ている。
ここで、そんなつもりはなかったと言えば楽だった。
帳簿を見せたのも、傷を数えたのも、予定表を渡したのも、ただの引き継ぎだった。そう言い張ることはできる。
しかし、それは嘘になる。
「壊したかったわけじゃない」
「なら、なぜだ」
「壊れるなら、俺が追い出された後より前の方が都合がよかった」
レオンが息をのむ。
「お前……」
「お前たち四人の利害が一致したままなら、俺一人が悪かったことにされる。報酬を減らされても、依頼の失敗を押しつけられても、証言する奴はいない。だから、三人が黙っていたことを利用した」
「認めるのか」
「ここで嘘をつく必要もない」
「最低だな」
「そうかもしれない」
ガルドが椅子を引いた。
「俺も、こいつのやり方は好きじゃない」
レオンの目に、わずかな期待が戻る。
ガルドは続けた。
「だが、こいつについていくわけでもない。俺は俺の身体を守ると決めた。傷が治っても、今のままなら戻らない」
ミレナも立ち上がる。
「私もラウルとは組まない。専属をやめて、自分で契約相手を選ぶ」
「私も教会へ戻ります」
セラが言った。
「治療をやめるわけではありません。自分ができる範囲を、自分で決めます」
「三人とも、こいつに騙されているんだ!」
「ラウルに決めてもらったんじゃない」
ミレナが帳簿を抱えた。
「俺が決めた」
ガルドが盾を背負う。
「私も、自分で決めました」
セラが杖を取る。
三人とも、俺の隣には来なかった。
俺も誘わなかった。
精算書を鞄へしまい、席を立つ。
「待て、ラウル」
「追放したのはお前だ」
「こんな終わり方でいいのか」
「どういう終わり方なら、よかったんだ」
俺は扉に手をかけたまま尋ねた。
「次の遠征から戻って、皆で酒を飲む。その後で俺に抜けろと言う。俺は驚いて、理由を尋ねる。お前は魔王を倒すためだと説明する。最後には握手でもして、別々の道で頑張ろうと言うのか」
「俺は、お前を敵にしたかったわけじゃない」
「俺もだ」
「だったら――」
「だから困っているんだろ。俺がお前を恨んで暴れたなら、全部俺のせいにできた」
レオンが口を閉じた。
あいつは本当に、きれいに別れられると思っていたのかもしれない。自分が正しい理由を説明すれば、俺も分かってくれる。ガルドもミレナもセラも、これまでどおり自分の隣にいる。
そこには悪意も企みもない。
俺が明日からどこで働くのか。未払いの報酬がなければ、何日暮らせるのか。勇者パーティーを追い出された斥候を、ほかの冒険者がどう見るのか。
そういうことを、考えていなかっただけだ。
「ラウル。お前なら、また別の場所でやれる」
「そうだな」
「俺は、お前の腕を否定したわけじゃない」
「敵を見つけるだけの斥候だと思っているが?」
レオンの顔がこわばる。
あの夜、俺が扉の外にいたとは知らなかった。聞かせるつもりのなかった言葉だろう。
「あれは言い方が悪かった」
「分かっている。だから、別に謝らなくていい」
「なら、何を言えばいい」
「もう何も言わなくていい。必要な話は終わった」
俺は返事を待たず、扉を開けた。
よくはない。
だが、俺だけが何も知らずに放り出されるよりは、ずっとましだった。
食堂を出る直前に振り返る。
レオンは大きな丸机の前に、一人で立っていた。
俺を追放する側だったはずの男は、誰からも選ばれなかった。
◇
勇者パーティーを抜けて五日後、俺は商隊の護衛契約へ署名した。
報酬は以前の七割。魔王を倒す栄誉も、国王からの褒賞もない。
代わりに仕事内容、経費、判断の権限、失敗した場合の責任が紙に書かれている。斥候が危険と判断した道を、商隊主が進ませた場合の責任まで明記されていた。
「細かいところまで読むんですね」
商隊主が苦笑する。
「読まずに署名して、痛い目を見た」
「では、今回は大丈夫そうですか」
「今のところは」
署名を終えたところで、ギルドの受付から小さな包みを渡された。
差出人の名はない。
中には古い方位磁針が入っていた。縁に細かな傷があり、裏側には子供が削ったような歪んだ文字で、ガルドと刻まれている。
紙が一枚、折り畳まれていた。
『お前のやり方は好きじゃない。だが、あのままでよかったとも思わない』
「元のお仲間からですか?」
商隊主が尋ねた。
「仲間じゃない。今はもう、仕事相手ですらない」
俺は紙を元の形に折った。
方位磁針と一緒に、鞄の一番取り出しやすい場所へしまう。
ガルドは治療所で身体を休めながら、新人に盾の構え方を教えているらしい。ミレナは三つのパーティーと個別に契約し、薬代を報酬とは別に請求している。セラは教会へ戻り、一日に治療する人数と休養日を自分で決めた。
レオンは新しい仲間を募集した。
最初の面談では、俺に仲間をそそのかされたと説明したらしい。
何を言われたのかと応募者に尋ねられ、帳簿を見せられた、傷の数を確認された、予定表を渡されたと答えた。
その応募者は契約しなかった。
俺が知っているのは、そこまでだ。
判断するための材料は、あいつにも見せた。
問題は、知らなかったことではない。知ろうとしなかったことだ。
いつかあいつが、その違いに気づくことはあるかもしれない。
俺が待つ理由はなかった。
「ラウルさん、そろそろ出ます」
商隊主に呼ばれ、外へ出る。
荷馬車が六台。護衛が四人。行き先は国境近くの交易都市だ。
商隊主が広げた地図には、北へ向かう道が二本あった。一つは近いが、雨で崖が崩れやすい山道。もう一つは二日余計にかかるが、見通しのいい街道だ。
「どちらの道を使います?」
「俺が決めていいのか?」
「斥候はあなたでしょう」
俺は鞄から方位磁針を出した。
針が震え、やがて北を指す。
「そうか」
地図の上で、遠回りの街道を指でなぞった。
「なら、安全な道から行こう」




