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勇者パーティーを追放されそうなので、先に内部分裂させることにしました

作者: 黒咲かぐら
掲載日:2026/09/14

 手袋を忘れたことに気づいたのは、宿の階段を半分まで上ったところだった。


 右手にはある。左手がない。


 今日の討伐で裂けたわけではない。食堂で外して、椅子の背にでも掛けたのだろう。明朝まで放っておけば、給仕が拾ってくれるかもしれない。だが、革を手になじませるには時間がかかる。取りに戻った方が早い。


 階段を下り、食堂へ続く廊下を曲がったところで、俺は足を止めた。


 閉まった扉の向こうから、自分の名前が聞こえた。


「次の遠征が終わったら、ラウルには抜けてもらう」


 レオンの声だった。


 聞き間違えようのない、よく通る声だ。洞窟でも森でも、あいつの指示だけは嫌というほど聞こえる。


「前衛を増やすなら、仕方ないんじゃない?」


 続いたのはミレナだった。


「しかし、急すぎないか」


 ガルドの低い声がする。


「急じゃない。前から考えていた。魔王軍との戦いはこれから厳しくなる。敵を見つけるだけの斥候より、一体でも多く倒せる人間が必要だ」


「敵を見つけるだけ、ね」


「言い方は悪かった。でも、間違ってはいないだろ」


 誰もすぐには答えなかった。


 セラの声は、まだ聞こえていない。


「嫌いになったわけじゃない。あいつにも、もっと向いている場所がある。俺たちが魔王を倒すためには――」


 椅子を引く音がした。


 俺は扉から離れた。


 最後まで聞こうとして、誰かと鉢合わせするのはまずい。音を立てずに階段を上り、そのまま自分の部屋へ戻った。


 左の手袋は諦めた。


 寝台に腰を下ろし、今日までの報酬を頭の中で計算する。まだ精算されていない依頼が二件。共同で購入した荷馬車の持ち分。俺が立て替えた保存食の代金。前回、セラが倒れた後に断った治療依頼の件もある。


 レオンは俺を嫌っているわけではない。それはたぶん本当だ。


 直接戦闘だけを比べれば、俺は強くない。魔法も使えなければ、オーガを一撃で倒せる剣も持っていない。足跡を読み、罠を探し、野営地を決める。そういう仕事は必要だが、代わりがいない仕事でもない。


 だから、抜けろと言われること自体は受け入れられる。


 だが、次の遠征まで俺を使い、帰ってきたところで突然切るつもりらしい。未精算の金も、依頼中の責任も、レオンの口一つで決まる状態で。


 俺を切るのは自由だ。


 なら、俺も自分だけが損をしないように動く。


 机の引き出しから紙を出し、仲間の名前を三つ書いた。


 ミレナ。ガルド。セラ。


 誰が俺の追放に賛成しているのか。


 あの四人の利害は、本当に一致しているのか。


 調べる時間は、次の遠征までしかなかった。


     ◇


 翌朝の食卓は、いつもどおりだった。


「昨日の角猪、最後の一撃を見たか?」


 レオンがパンをちぎりながら、自分の剣筋を身ぶり付きで再現する。


「見ていたから、横へ避けたんだ。危うく俺まで斬られるところだった」


 ガルドが笑い、セラが小さくため息をつく。


「笑い事ではありません。ガルドの肩にも傷が増えていました」


「かすり傷だ」


「治すのは私です」


「セラにかかれば、あれくらい傷のうちに入らないだろ」


 レオンの言葉に、セラも最後には笑った。


 ミレナは眠そうな顔で茶を飲んでいる。俺と目が合うと、わずかに視線をそらした。


 仲が悪いわけではない。


 昨夜、扉の向こうで俺を切る話をしていたことを除けば、気心の知れた五人の朝だった。


 この五人で旅を始めて、もう二年になる。


 俺が加わったのは、四人が最初の斥候を失った後だった。死んだわけではない。レオンの進む速さについていけず、自分から抜けたのだと聞いている。


 加入した初日、俺は焚き火へ近づきすぎたミレナの外套を踏んで消した。礼を言う代わりに、彼女は翌朝から火のそばに座らなくなった。


 ガルドは俺の名を三日間覚えず、ずっと「斥候」と呼んでいた。四日目、崩れた吊り橋から俺が落ちかけたとき、腕をつかんで名前を呼んだ。それからは一度も間違えていない。


 セラは食べられる野草と毒草の区別がつかない。俺が教えても覚えず、摘むたびに持ってくる。今朝も皿の横に、見覚えのない葉が三枚置かれていた。


「これは食べられますか?」


「食べれば、昼まで腹が痛くなる」


「では、捨てます」


「薬にするなら使える。取っておけ」


 セラがうれしそうに布で包む。レオンが横からのぞき込み、自分も一枚摘んできたと言った。


「それはただの葉だ」


「似ているだろ」


「緑色というところだけはな」


 ミレナが吹き出し、ガルドが腹を抱えた。レオンも最後には笑った。


 こんな時間まで偽物だったとは思わない。


 俺を追放すると決めた後でも、四人にとって昨日までの旅が消えたわけではない。それが分かるから、余計に面倒だった。


「ラウル、遠征の準備はどうだ?」


「今日、足りない物を買う。予定どおりなら三日で戻れる」


「頼む。今度のオーガを片づけたら、いよいよ北へ進める」


「分かった」


 俺も普段と同じように答えた。


 朝食の後、買い出しに向かうミレナを追った。


「一緒に来るの?」


「回復薬の数を確認したい」


「昨日、確認したでしょう」


「精算方法も含めてだ」


 ミレナの歩みが一瞬だけ遅くなった。それでも何も聞かず、道具屋へ入る。


 彼女が魔力回復薬を選ぶ間、俺は帳簿を開いた。


「次から、これは共通経費でいいのか?」


「次から?」


「俺が抜けた後、誰が精算を引き継ぐか知らない。間違いが残らないよう確認している」


 ミレナの手が瓶の上で止まった。


「聞いたのね」


「途中までな」


「だったら、レオンと話せば?」


「決定が変わるとは思えない」


「それで私に文句を言いに来た?」


「文句じゃない。確認だ。お前の魔力回復薬は個人負担。レオンの剣の修理代は共通経費。今後もこれでいいんだな」


 帳簿を開いたまま差し出した。


 ミレナは眉を寄せ、指で数字を追った。


「勇者の剣は、魔王討伐に必要でしょう」


「お前の魔法は?」


「必要よ」


「だから聞いている」


 彼女は帳簿を俺へ押し返した。


「レオンがいなければ、私はここにいないわ」


 ミレナが唐突に言った。


 一年前、廃坑で魔力を使い切った彼女を、レオンは背負って地上まで運んだ。追ってきた魔物をガルドと俺が止め、セラが治療したが、最初に崩れかけた坑道へ戻ったのはレオンだった。


「あのとき、あの人は自分の剣を捨てて私を運んだ。その剣を買い直す費用を、私も払った。おかしいとは思わなかった」


「命を救われた分としては、もう十分払ったんじゃないか」


「恩を金額にするの?」


「俺ならする。返し終わる日がない借りは、借りじゃなくて首輪だ」


 ミレナは露骨に顔をしかめた。


「あなた、本当に嫌な言い方をするわね」


「知っている」


「でも、レオンはそんなつもりで助けたんじゃない」


「レオンが恩を着せるために助けたとは思っていない」


 おそらく、ミレナが薬代を負担していることも深く考えていない。悪意があれば拒めるが、善意から始まった関係では、どこまで返せば対等なのか分からない。


「私が使う薬よ。私が払うのはおかしくない」


「そうか」


「何よ、その言い方」


「この方法を、俺が抜けた後も続ける」


「待って」


 ミレナはもう一度帳簿を取った。


 半年分を合計すれば、小さな家を借りられるほどの額になる。レオンの剣の修理費も高いが、それは五等分されている。ミレナは自分の薬代に加え、その五分の一も払ってきた。


「こんなに使っていた?」


「三か月前、火竜と戦ったときが多い。レオンが二本飲ませた」


「あのときは必要だったわ」


「必要かどうかは聞いていない。経費を誰が負担するかだ」


 道具屋の主人がこちらを見た。ミレナは声を落とした。


「これと、あなたの追放は別の話よ」


「そうだな」


「止めてほしいとは言わないの?」


「お前は賛成したんだろ。頼んでも無駄だ」


 言い返そうとした唇が閉じる。


 俺は必要な薬の数だけ帳簿へ書き、店を出た。


 追放への賛成を撤回させるつもりはない。ミレナが損をしていようと、それを受け入れているなら本人の自由だ。


 ただし、自分がどんな条件を受け入れているのかは、分からせておく。


 レオンと交渉するとき、使える人間が一人でも多い方がいい。


     ◇


 ガルドは宿の裏庭で盾を磨いていた。


 縁のへこんだ大盾には、何度も修理した跡がある。本人の身体も似たようなものだった。


「少しいいか」


「昨日のことなら聞くな」


「戦闘の確認だ」


 俺が紙を広げると、ガルドは露骨に嫌そうな顔をした。


「俺が抜けた後、レオンが合図より先に突撃したら、お前たちはどう動く」


「ついていけばいい」


「退路を確認する前でも?」


「あいつは待てと言って待つ男じゃない」


「敵が想定より多かった場合は」


「俺が止める」


「お前が負傷した場合は?」


「しつこいぞ」


「後任へ残す注意書きだ」


 ガルドの手が止まった。


 俺は過去の依頼記録を読み上げた。


 二か月前。レオンを追うために盾を捨て、左肩を負傷。


 一か月前。退路を確保するため、右脚を負傷。


 前回。飛び出したレオンをかばい、肋骨にひび。


「俺の傷を数えて、何が楽しい」


「後任へ残す記録に、どこまで書くべきか確認している」


「違うだろ」


 ガルドが盾を地面に置いた。


「俺を使って、レオンを困らせたいのか?」


 鈍い男ではない。レオンと幼い頃から組んでいるだけあって、人の機嫌にはよく気づく。


「困らせるのが目的じゃない」


「なら何だ」


「俺が一人で悪者にされないためだ」


「ミレナにも何か言ったな」


「帳簿を見せた」


「セラにも話すつもりか」


「必要なら」


 ガルドは鼻から息を吐いた。


「レオンのやり方に不満はある。だが、それを利用しようとしているお前も気に入らない」


 そこまでは予想していなかった。


 ガルドは俺の追放に強く反対できなかった。ならば、自分の不満を指摘されればこちらに傾く。そう踏んでいた。


「否定しないのか」


「否定する理由がない。俺は自分が助かるために、お前の不満を使おうとしている」


「そういうところだ」


「悪かったな」


「謝ってもいないだろ」


「謝るつもりがないからな」


 ガルドが盾を持ち上げた。


「この話は終わりだ。俺はお前に協力しない。レオンとは十歳の頃から一緒だ。今さら何を言われても、あいつに背を向けるつもりはない」


「分かった」


 俺は紙を畳んだ。


「ただ、後任には伝えておけ」


 立ち去ろうとした俺へ、ガルドが言った。


「レオンより先に、退路を見つけておけとな」


 振り返ったときには、ガルドはもう盾を磨いていた。


 俺は部屋へ戻り、注意書きの最後にその言葉を加えた。


 ガルドをこちらへ引き込む計算は外れた。だが、本人の口から不満を言わせるところまではできた。


 その夜、井戸へ水をくみに出ると、裏庭から木剣のぶつかる音が聞こえた。


 レオンとガルドが手合わせをしていた。


 子供の頃から続けている習慣らしい。ガルドが大きな身体に似合わない素早さで踏み込み、レオンが笑いながら受け流す。何度か打ち合った末、レオンの木剣がガルドの肩を打った。


「今日は鈍いな」


「長旅の後だ。お前が元気すぎる」


「昔は朝までやっても平気だっただろ」


「十年前の話をするな」


 二人は笑っていた。


 やがてレオンが宿へ戻り、ガルドだけが残った。俺は井戸の陰から出た。


「見ていたのか」


「水をくみに来ただけだ」


「なら、さっさとくめ」


 ガルドは木剣を片づけようとして、顔をゆがめた。レオンに打たれた肩ではない。肋骨を傷めた側だ。


「医者には何と言われた」


「お前には関係ない」


「そうだな」


 水桶を井戸へ落とす。滑車の音が、静かな庭に響いた。


「レオンは、昔からああだった」


 ガルドが背後で言った。


「危ない場所へ真っ先に飛び込む。俺が追いつくまで、一度も後ろを見ない。それでも昔は追いつけた」


「今は勇者と普通の戦士だ」


「普通と言うな。俺だって、その辺の冒険者には負けん」


「レオンには?」


 返事はなかった。


 引き上げた桶から水をくむ。


「俺に話しても、味方にはならないぞ」


「知っている」


「あいつは俺を置いていくつもりもない」


「置いていくつもりがないから、なおさらだ」


 レオンはガルドを捨てないだろう。


 ただし、自分が走る速さを緩めることもしない。


 ガルドが追いつけなくなる可能性だけを、あいつは考えない。


     ◇


 ギルドに提出された予定表には、見覚えのない村が三つ並んでいた。


 俺が組んだ遠征経路から、どの村も外れている。帰還後にすべて回れば、余計に四日はかかる。


「これは誰が受けた?」


 受付の職員へ尋ねると、レオンの署名が入った書類を見せられた。


「勇者様から、討伐の帰りに治療してくださると」


「治療する本人の署名は?」


「勇者パーティーとしてのお申し出でしたので」


 予定表を写させてもらい、セラが滞在している教会へ向かった。


 礼拝堂の奥で、セラは子供の擦り傷を治していた。治癒の光が消えるまで待ち、写しを渡す。


「この村の治療は、いつ決まったんですか?」


「三日前らしい」


「私は聞いていません」


「なら、ここにそう書いて署名してくれ」


 セラが顔を上げる。


「なぜですか」


「前回、お前が倒れた後に俺が断った二件だ。レオンは、俺が勝手に断ったと説明している。このまま追放されたら、俺の記録にだけ残る」


 彼女の顔から、心配そうな色が消えた。


「私のために持ってきたのではないのですね」


「俺が自分を守るためだ」


「正直ですね」


「後で違うと言われないようにな」


 セラは予定表に目を戻した。


 三つの村。百人を超える患者。遠征から戻った翌朝に出発。休養日の記載はない。


「困っている人を助けるのは、当然のことです」


「そうか」


「レオンも、そう思って約束したのでしょう」


「だろうな」


「どうして何も言わないんですか」


「お前が引き受けるなら、俺には関係ない」


 セラは少し迷ってから、自分が聞いていなかったことを書き、署名した。


 俺は紙を受け取る。


「もう一つだけ。前回お前が倒れたときの治療費は、共通経費に入っていない」


「私の治療ですから」


「俺もそう処理した。レオンに言われてな」


「レオンが?」


「確認したかっただけだ。じゃあな」


 呼び止める声はなかった。


 扉を閉める直前、礼拝堂から子供の声が聞こえた。


「聖女様、明日もいる?」


「ええ。明日もいますよ」


「あさっては?」


「あさっては……」


 答えが途切れた。


 遠征の出発日は、あさってだ。


 セラは聖女ではない。地方教会で治癒術を学んだ、二級の僧侶にすぎない。それでも無償で傷を治してくれる人間を、町の者はそう呼ぶ。


 レオンが初めてセラを誘ったときも、同じ呼び方をしたらしい。


『君の力があれば、救えない人はいなくなる』


 セラはその言葉を信じた。


 レオンも嘘をついたわけではない。傷ついた者を見れば助け、金のない村から報酬を取らない。自分の食事を子供へ渡すこともある。


 ただ、治癒術を使うのはセラだった。


 救う人数を決めるのはレオンで、疲れるのはセラだ。


 それを二人とも、これまで不思議に思わなかった。


 教会を出ると、夕方の鐘が鳴った。


 ミレナは自分の負担額を知った。ガルドは傷の数を口にされた。セラは、自分の知らない予定を見た。


 俺は何も作っていない。


 もとからあったものを、見える場所に置いただけだ。


     ◇


 二日後、俺たちは武装オーガの討伐へ出た。


 出発前の確認で、俺は五人分の荷物を床へ並べた。


 保存食、縄、油、傷薬、ミレナの魔力回復薬。いつもならレオンは途中で飽き、剣の手入れを始める。だが、この日は最後まで黙って見ていた。


「回復薬が一本少なくない?」


 ミレナがすぐに気づいた。


「予算内では、これが限界だ」


「必要になったら?」


「追加で買うなら、誰が払うか決めてくれ」


 レオンは何も言わなかった。


 ガルドが自分の荷物へ傷薬を一本加えた。セラは遠征後の予定について尋ねなかった。


 俺は経路を書いた紙をレオンへ渡す。


「街道を外れた場合、帰還は一日遅れる」


「分かった」


「セラの治療予定には間に合わない」


「討伐を予定どおり終わらせればいい」


 レオンは紙を折って胸元へ入れた。


 聞いていないわけではない。理解できないわけでもない。


 自分たちならできると信じている。その中に、誰かができないと言う可能性だけが入っていなかった。


 宿を出るとき、レオンはいつものように全員へ声をかけた。


「帰ったら、うまいものを食おう。北へ進む前の祝いだ」


 ガルドは笑い、ミレナは店を自分で選ぶと言い、セラは酒を飲みすぎないよう注意した。


 俺も誘われているのかは分からなかった。


 誰も、そのことには触れなかった。


 街道を半日進んだところで、折れた枝と深い足跡を見つけた。足跡は三体分。うち一体は右脚を引きずっている。


「この先の林にいる」


 俺が告げると、レオンはすぐに剣を抜いた。


「ガルドが正面。俺が右から入る。ミレナは逃げ道を焼け。セラは後ろで待機。ラウルは左を見張れ」


 迷いのない指示だった。


 林へ入ると、読みどおり三体のオーガが獲物を分けていた。最初の一体が棍棒を振り上げる。ガルドが盾で受け、地面を滑った。


 レオンがその脇を抜ける。


「今だ、ミレナ!」


 炎が走り、二体目の足を止めた。俺は茂みから回ろうとした三体目の膝へ矢を射る。浅い。倒せはしないが、振り向かせるには十分だった。


 レオンの剣が一体目の首を斬り、ガルドが二体目を盾で押さえ込む。ミレナの氷槍が胸を貫いた。


 三体目の棍棒が俺へ向く。


「伏せろ!」


 レオンの声で地面へ転がる。頭上を剣が通り過ぎ、オーガの腕を斬り落とした。


 最後はガルドが足を払い、レオンが仕留めた。


「三体。ラウルの読みどおりだな」


 ガルドが盾を下ろす。


「いや」


 俺は周囲を見た。


 ミレナの炎に背を焼かれたオーガが一体、木々の間を逃げていく。戦っていた三体とは別だ。


「四体目がいた」


「追うぞ」


 レオンが走り出す。


「待て。奥に別の足跡がある」


「あいつを逃がせば村が襲われる!」


「一体の足跡じゃない。少なくともあと三体いる」


「だから今、まとめて倒す!」


 レオンの判断にも理屈はあった。ここで逃がせば、オーガは仲間を連れて街道へ戻るかもしれない。


 だが、森の奥は狭く、ガルドの大盾を振り回せない。ミレナは今の戦いで大きな魔法を二度使った。俺たちを自分たちに有利な場所へ誘っている可能性もある。


「いつもどおり、ついてこい!」


 レオンがガルドへ叫んだ。


 ガルドは一歩踏み出した。すぐに止まり、脇腹を押さえる。


「隊列を組み直せ、レオン」


「そんな時間はない!」


「この先では盾を振れない」


「お前ならできる!」


「できるかどうかを決めるのは俺だ!」


 林にガルドの声が響いた。


 レオンが信じられないものを見る顔で振り返る。


「ミレナ、援護しろ」


「追うなら回復薬が必要よ」


「使えばいい」


「誰の金で?」


「今はそんな話をしている場合じゃないだろ」


「私には今する話なの」


 セラも杖を握ったまま言った。


「この先で負傷者が増えれば、帰還後の治療はできません」


「治療の約束は後で考える。まずは村を守るんだ」


「その約束をしたのは、私ではありません」


 三人の視線が、レオンに集まった。


「昨日まで何も言わなかっただろ!」


 誰も答えなかった。


 そのとおりだったからだ。


 レオンの目が俺へ向く。


「ラウル。お前、何をした?」


「足跡を見せただけだ」


 俺はしゃがみ、落ち葉を払った。


 逃げたオーガの足跡とは別に、奥からこちらへ近づき、途中で引き返した跡がある。重なり方から見て三体以上。先ほどから聞こえる枝の音も、逃げた一体のものだけではない。


「追えば挟まれる。西へ回れば、風下から近づける」


「時間がかかる」


「村へ向かう足跡はない。あいつは仲間のところへ戻っている」


 レオンは森の奥をにらんだ。


 やがて剣を鞘へ戻す。


「西へ回る」


 そこから先の指示は正確だった。


 レオンは感情を戦いへ持ち込まなかった。俺たちは風下から回り、岩陰に潜んでいた四体のオーガを見つけた。


 ガルドが狭い場所を避けて二体を引きつけ、ミレナが足場を凍らせる。セラがガルドの古傷を癒やし、俺が逃げ道を塞ぐ罠を切った。


 最後にレオンが敵の頭を斬り落とした。


 誰か一人が欠けていれば、無傷では終わらなかった。


 俺たちは強かった。


 だからこそ、帰り道の沈黙が長かった。


     ◇


 街へ戻った夜、レオンは俺たちを宿の食堂へ集めた。


 あの日と同じ、一番奥の丸机だった。


 俺の左手には新しい手袋がある。古い手袋は結局、見つからなかった。


 レオンは立ったまま俺を見た。


「ラウル。お前には、このパーティーを抜けてもらう」


 ミレナは机を見つめている。ガルドは腕を組み、セラは杖を壁へ立てかけた。


「理由を聞いてもいいか」


「これから魔王軍との戦いは厳しくなる。直接戦える仲間が必要だ。それに、お前は俺の指示に異論を挟みすぎる。今日も追撃を止め、三人を迷わせた」


「後任は?」


「候補には声をかけてある」


「そうか。分かった」


 俺は鞄から紙の束を出した。


 レオンが目を瞬く。


「何だ、それは」


「精算書と契約解除の書類だ。未払いの報酬が二件。荷馬車の持ち分。立て替えた保存食代。無料治療を俺が勝手に断ったという記録の訂正。今日の遠征で、命令違反の処分を残さないこと。この五つを確認してくれ」


「待て。もう用意していたのか」


「今朝、ギルドに書式をもらった」


 今朝という言葉に、レオンの表情が変わった。


「知っていたんだな」


「食堂の外で聞いた」


「だったら、なぜ俺に言わなかった」


「言えば考え直したか?」


「それは……」


「精算の話をしよう」


 レオンは乱暴に椅子へ座り、書類をめくった。


「未払い分は払う。荷馬車も、お前の持ち分を金で返す。保存食代もだ。ただし、今日の報酬は減らす」


「理由は」


「リーダーの命令に従わず、討伐を遅らせた」


「待ち伏せを避けた」


「結果がよかったからといって、命令違反がなくなるわけじゃない。パーティーには規律が必要だ」


 レオンには報酬の配分を調整する権限がある。討伐そのものには成功しているため、ギルドが口を出す可能性も低い。


 想定はしていた。それでも、本人が減額を口にするまでは反論材料にならない。


「いくら減らす」


「半分だ」


「多すぎる」


「今日、お前がやったことを考えれば当然だ」


「当然ではないわ」


 ミレナが口を挟んだ。


 レオンだけでなく、俺も彼女を見た。


 ミレナは自分の帳簿と、空になった薬瓶を机に置く。


「最初の戦闘で大きな魔法を二回使った。あのまま追っていたら、最低でも回復薬が三本必要だった。ラウルの経路を使ったから一本で済んだわ」


「金の話じゃない」


「報酬を減らす話でしょう。なら、金の話よ」


 ガルドも腕をほどいた。


「追撃を止めたのは俺だ」


「ラウルに言われたからだろ」


「違う。俺が狭い場所では戦えないと判断した。処分するなら、俺の報酬も減らせ」


「ガルドまで何を言っている」


「事実を言っている」


 セラが負傷者の記録を開く。


「あの時点で、私の魔力は半分を下回っていました。追撃していれば、全員を治療できなかった可能性があります」


「だが、最終的には倒せた」


「ラウルが示した道を使ったからです」


 三人とも俺を見なかった。


 俺を助けているのではない。自分の見た事実を言っているだけだ。


 レオンは三人を順に見た後、精算書の減額部分へ線を引いた。


「分かった。全額払う。それでいいんだろ」


「助かる」


 俺は書類を受け取った。


 これで金は守った。契約解除もレオン側の判断として残る。セラの署名があるため、無料治療の件も俺だけの責任にはならない。


 追放は予定どおり成立した。


 残る問題は一つだった。


「それで、パーティーはどうするんだ?」


「どうするって?」


「俺の後任を入れたら、それで続けられるのか」


「当然だ」


「なら、先に話しておくわ」


 ミレナが帳簿をレオンの前へ滑らせた。


「次から魔力回復薬と魔道具の修理費も共通経費にして。報酬の配分は、依頼ごとに全員で確認する」


「急に何だ」


「半年でこれだけ払っている。あなたの剣は共通経費なのに、私の道具だけ個人負担なのは納得できない」


「勇者の剣は魔王を倒すために必要な共有財産だ。魔道具はお前自身の技能を補う物だろ」


「私の魔法は、パーティーの戦力ではないの?」


「そういう意味じゃない。仲間なんだから、細かい金の話は後にしよう」


「細かいと思っているのは、払っていないからよ」


 ミレナが帳簿を閉じた。


「条件を変えないなら、専属契約は更新しない」


「ミレナ、お前までラウルに何を吹き込まれた」


「数字を見せられただけ」


「同じことだろ!」


 レオンが机を叩いた。


 ガルドが眉をひそめる。


「俺もしばらく休む」


「お前は何の話だ」


「肋骨が治っていない。医者には二週間休めと言われていた」


「危険を承知で一緒に勇者を目指したはずだ。今までも乗り越えてきただろ」


「危険を承知したことと、お前が危険を増やすことは同じじゃない」


「今日だって、俺の判断で全員無事に――」


「ラウルの判断だ」


 ガルドの声は静かだった。


「お前が西へ回ると決めた。その後の指示も正しかった。だが、最初に止めたのはラウルだ。それを命令違反にして報酬を減らそうとした」


「リーダーの判断に従えないパーティーが、強敵に勝てると思うのか」


「だから休む。俺はもう、お前が走るたびに追いかけられない」


 レオンの顔から怒りが消えた。


「ガルド。俺たちは子供の頃から――」


「だから今まで言えなかった」


 ガルドはそれだけ言って、脇腹へ手を当てた。


 セラも杖を手元へ引き寄せる。


「私は、遠征後の無料治療へ行きません」


「それは駄目だ。もう約束した」


「私には相談していません」


「俺たちが断ったら、治療を受けられない人が出るんだぞ」


「助けたいのは、あなたです」


「俺たち全員だ」


「いいえ。決めているのは、いつもあなただけです」


「勇者として、見捨てるわけにはいかない」


「それなら、まず私に頼んでください。私が何人治せるのか聞いてください。倒れるまで使って、後から治療費を私の報酬から引かないでください」


「俺は、お前なら分かってくれると――」


「分かってくれると思ったのではありません。断らないと思ったのでしょう」


 レオンは黙った。


 ミレナは金の扱いを任せ、ガルドは傷を黙り、セラは善意の使い道を委ねてきた。


 俺は三人が口にできなかったことを、見える場所に出した。


 だが、この場で踏みつけているのは俺ではない。


 レオン自身だった。


「ラウル」


 名前を呼ばれた。


「何だ」


「俺たちの仲を壊して、満足したか?」


 ガルドが俺を見る。ミレナも、セラも見ている。


 ここで、そんなつもりはなかったと言えば楽だった。


 帳簿を見せたのも、傷を数えたのも、予定表を渡したのも、ただの引き継ぎだった。そう言い張ることはできる。


 しかし、それは嘘になる。


「壊したかったわけじゃない」


「なら、なぜだ」


「壊れるなら、俺が追い出された後より前の方が都合がよかった」


 レオンが息をのむ。


「お前……」


「お前たち四人の利害が一致したままなら、俺一人が悪かったことにされる。報酬を減らされても、依頼の失敗を押しつけられても、証言する奴はいない。だから、三人が黙っていたことを利用した」


「認めるのか」


「ここで嘘をつく必要もない」


「最低だな」


「そうかもしれない」


 ガルドが椅子を引いた。


「俺も、こいつのやり方は好きじゃない」


 レオンの目に、わずかな期待が戻る。


 ガルドは続けた。


「だが、こいつについていくわけでもない。俺は俺の身体を守ると決めた。傷が治っても、今のままなら戻らない」


 ミレナも立ち上がる。


「私もラウルとは組まない。専属をやめて、自分で契約相手を選ぶ」


「私も教会へ戻ります」


 セラが言った。


「治療をやめるわけではありません。自分ができる範囲を、自分で決めます」


「三人とも、こいつに騙されているんだ!」


「ラウルに決めてもらったんじゃない」


 ミレナが帳簿を抱えた。


「俺が決めた」


 ガルドが盾を背負う。


「私も、自分で決めました」


 セラが杖を取る。


 三人とも、俺の隣には来なかった。


 俺も誘わなかった。


 精算書を鞄へしまい、席を立つ。


「待て、ラウル」


「追放したのはお前だ」


「こんな終わり方でいいのか」


「どういう終わり方なら、よかったんだ」


 俺は扉に手をかけたまま尋ねた。


「次の遠征から戻って、皆で酒を飲む。その後で俺に抜けろと言う。俺は驚いて、理由を尋ねる。お前は魔王を倒すためだと説明する。最後には握手でもして、別々の道で頑張ろうと言うのか」


「俺は、お前を敵にしたかったわけじゃない」


「俺もだ」


「だったら――」


「だから困っているんだろ。俺がお前を恨んで暴れたなら、全部俺のせいにできた」


 レオンが口を閉じた。


 あいつは本当に、きれいに別れられると思っていたのかもしれない。自分が正しい理由を説明すれば、俺も分かってくれる。ガルドもミレナもセラも、これまでどおり自分の隣にいる。


 そこには悪意も企みもない。


 俺が明日からどこで働くのか。未払いの報酬がなければ、何日暮らせるのか。勇者パーティーを追い出された斥候を、ほかの冒険者がどう見るのか。


 そういうことを、考えていなかっただけだ。


「ラウル。お前なら、また別の場所でやれる」


「そうだな」


「俺は、お前の腕を否定したわけじゃない」


「敵を見つけるだけの斥候だと思っているが?」


 レオンの顔がこわばる。


 あの夜、俺が扉の外にいたとは知らなかった。聞かせるつもりのなかった言葉だろう。


「あれは言い方が悪かった」


「分かっている。だから、別に謝らなくていい」


「なら、何を言えばいい」


「もう何も言わなくていい。必要な話は終わった」


 俺は返事を待たず、扉を開けた。


 よくはない。


 だが、俺だけが何も知らずに放り出されるよりは、ずっとましだった。


 食堂を出る直前に振り返る。


 レオンは大きな丸机の前に、一人で立っていた。


 俺を追放する側だったはずの男は、誰からも選ばれなかった。


     ◇


 勇者パーティーを抜けて五日後、俺は商隊の護衛契約へ署名した。


 報酬は以前の七割。魔王を倒す栄誉も、国王からの褒賞もない。


 代わりに仕事内容、経費、判断の権限、失敗した場合の責任が紙に書かれている。斥候が危険と判断した道を、商隊主が進ませた場合の責任まで明記されていた。


「細かいところまで読むんですね」


 商隊主が苦笑する。


「読まずに署名して、痛い目を見た」


「では、今回は大丈夫そうですか」


「今のところは」


 署名を終えたところで、ギルドの受付から小さな包みを渡された。


 差出人の名はない。


 中には古い方位磁針が入っていた。縁に細かな傷があり、裏側には子供が削ったような歪んだ文字で、ガルドと刻まれている。


 紙が一枚、折り畳まれていた。


『お前のやり方は好きじゃない。だが、あのままでよかったとも思わない』


「元のお仲間からですか?」


 商隊主が尋ねた。


「仲間じゃない。今はもう、仕事相手ですらない」


 俺は紙を元の形に折った。


 方位磁針と一緒に、鞄の一番取り出しやすい場所へしまう。


 ガルドは治療所で身体を休めながら、新人に盾の構え方を教えているらしい。ミレナは三つのパーティーと個別に契約し、薬代を報酬とは別に請求している。セラは教会へ戻り、一日に治療する人数と休養日を自分で決めた。


 レオンは新しい仲間を募集した。


 最初の面談では、俺に仲間をそそのかされたと説明したらしい。


 何を言われたのかと応募者に尋ねられ、帳簿を見せられた、傷の数を確認された、予定表を渡されたと答えた。


 その応募者は契約しなかった。


 俺が知っているのは、そこまでだ。


 判断するための材料は、あいつにも見せた。


 問題は、知らなかったことではない。知ろうとしなかったことだ。


 いつかあいつが、その違いに気づくことはあるかもしれない。


 俺が待つ理由はなかった。


「ラウルさん、そろそろ出ます」


 商隊主に呼ばれ、外へ出る。


 荷馬車が六台。護衛が四人。行き先は国境近くの交易都市だ。


 商隊主が広げた地図には、北へ向かう道が二本あった。一つは近いが、雨で崖が崩れやすい山道。もう一つは二日余計にかかるが、見通しのいい街道だ。


「どちらの道を使います?」


「俺が決めていいのか?」


「斥候はあなたでしょう」


 俺は鞄から方位磁針を出した。


 針が震え、やがて北を指す。


「そうか」


 地図の上で、遠回りの街道を指でなぞった。


「なら、安全な道から行こう」



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