2 ブロッコリーと前代未聞のお菓子
光が収まったら、彼に抱きしめられたまま、知らない場所にいた。
大きなカギは見当たらない。小さい方のカギは手に握っている。
「ここは……?」
あたりは薄暗い。シンプルなカーテンが光をさえぎっていて、その周りから明るい陽光が差しこんできている。
周囲を警戒しながら、フォンがカーテンを引き開けた。一気に明るくなる。
外には2階建ての建物が見えるが、テオプラストス王国では見たことがない雰囲気だ。なんとなく無機質に見える。
今いる場所は狭くて、雑然としている。実家のお花摘みスペースくらいしかない。ゴミ置き場だろうか。ローテーブルのようなものがあったり、黒い大きな板が立てられたりしている。
黒い板が置かれた棚の上にある、白い立方体の箱が目に入った。何か書かれた紙が貼られている。
そう思った次の瞬間には、床に落ちている巨大なブロッコリーに気を取られる。
(ブロッコリー? ブロッコリーですの??)
黒ずんで見えるけれど、そういう品種もあったはずだ。正体を確かめるために近づいて、触ってみると、手が中にスポッと入った。もじゃっとした感じに驚いて手を引っこめる。
「アリサ! 下がって!」
特別な名前ではなく一般的な呼び方で呼ばれたのは、自分たち以外に人がいると認識したからだろう。
反射的に後ろに飛びのくと、フォンの剣がブロッコリーの根元に突きつけられた。
ブロッコリーがもそっと動いて、土色の毛布から人の手が生えてくる。すぐに降参を示すかのようなポーズになった。
「頼むから休みの日くらいは静かに寝かせてくれ。って、おいおい、ずいぶん派手な強盗だな」
「強盗?」「ですの?」
フォンと自分の声が重なった。
そんな人がどこにいるのかとキョロキョロ見回してみたけれど、自分たちとブロッコリーしかいない。
ブロッコリーがフォンの剣に気をつけながら上半身を起こしてくる。どうやら人間の頭だったようだ。巨大ブロッコリーにしか見えなくてびっくりだ。
「あー、日本語分かるんだな。あんたらどこの国からだ?」
「ニホンゴ、ですの?」
「僕はテオプラストス王国王太子、フォン・S・テオプラストス。彼女は僕の婚約者だよ」
「テオプラストス王国? 聞いたことがないな。ああ、なんかのマンガのコスプレか?」
「コスプレ……?」
大体の言葉はわかるのに単語を知らない、そんな感じだ。
「カギの説明書きに、行き先の言語を理解できるようになるってあったから、話せてるのはそういうことかな」
「よくわからんが、話が通じてるなら何よりだ。で、強盗じゃないなら、なんで俺の部屋に?」
「偶然ここに扉が開いたってことだろうね」
「『見たことも食べたこともないような、おいしいお菓子がたくさんある世界』に来たはずなのですわ」
「お菓子……? ああ、確かに数えきれないほどあるな」
「本当ですの?!」
「アリサ。知らない男を信用して近づいちゃダメだよ」
フォンに抱きよせられる。
ブロッコリーがため息をついた。
「お菓子を食べたら帰るのか?」
「そのつもりですわ」
「なんかあったか……?」
起き上がったブロッコリーが棚をあさる。
「あー、コレなんかどうだ?」
「まあ! それはお菓子ですの?」
紙箱に愛らしい動物の絵が描かれている。
「懐かしくなって買ったんだが。食べるタイミングを逃してるから食べていいぞ」
ペリペリと紙箱が開けられ、中から銀色の袋が出てくる。
「あの、そんな高級そうな包装のものをいただいてもよろしいのでしょうか。あなたは奴隷なのですわよね?」
「奴隷?」
「こんなに狭い部屋に閉じこめられて、みすぼらしい服しかなく、髪もとかせないのですわよね……?」
ブロッコリーが目を瞬いて、それから笑い声を響かせた。
「奴隷! 奴隷か! 言い得て妙だな。確かに社会の奴隷なのかもしれない。
が、これでも中学教師っていうマトモな職について、マトモに給料をもらって、一人暮らしにしては平均的な家に住んでるんだがな。服はまあ、休日の室内着ならこんなもんだろ。頭はどうがんばって洗ってもこうなるんだ。言うな」
「えっと、それはつまり……」
「今時王侯貴族でもパーティでしか着なさそうなドレスのお嬢様からしたら奴隷に見えるんだろうが、この国ではこれが普通だ。特に生活に困っている方でもない」
「そうでしたのね。それは申し訳ありませんでしたわ」
気遣ったつもりが、めちゃくちゃ失礼なことを言っていたようだ。
「で、どうするんだ?」
封を開けて差し出されたお菓子をひとつ取り出す。
ビスケットの仲間だろうか。角が丸くなった伸びたような四角に、かわいらしい動物の絵が描かれている。袋の中には同じようなものがたくさん入っていて、ひとつひとつ動物の動きが違うようだ。
「まあ! これを全部描かれているなんて、すごく手がこんでいますわね」
「印刷だけどなー」
フォンもひとつ手にして、訝しそうに眺める。
「印刷……? 食べられるものなの?」
「食用色素だろうから問題ないんじゃないか?」
「毒味して見せてくれる?」
「毒味っておい、信用ないな。まあ信用される関係じゃないが、怪しいのは俺じゃなくてそっちだからな」
文句を言いつつも、ブロッコリーが何個かつかんで口に入れた。こ気味いい音がする。問題なさそうだ。
手にしたひとつを口に入れてみる。サクッと軽い食感のあとに、濃厚なチョコレートの甘さが広がった。
「〜〜〜〜〜っ!!!!!」
言葉にならない。なんだこれは。すごくおいしい。
「すごいね。本当に、『見たことも食べたこともないような、おいしいお菓子』だ」
「そうかい。満足してもらえたなら何よりだ。じゃあ帰ってくれ。俺は寝直す」
ブロッコリーが気だるそうにあくびをした。
「あのっ! こんなに貴重なお菓子を食べさせていただいてありがとうございます。足りるかわからないのですが、こちらで残りも譲ってくださいませ!」
手持ちの中から金貨を1枚出して机に置いた。
「は……?」
「やはり足りないでしょうか。そうですわよね。こんな貴重なもの……」
あと何枚出せばいいだろうか。そう思っていたら、意外な言葉が続いた。
「いやいやいや、もし本物の金だとしたら、オーバーもいいところだぞ! いいか? コレはガキが小遣いで買える菓子なんだ。で、金相場は……、グラム2万円弱ってとこか? 金貨1枚で2、30グラムはあるだろ? 3千個くらい買えるんじゃないか?」
手のひらサイズの板のようなものを指先で触りながら、ブロッコリーが目を丸くした。
目を丸くしたいのはこっちだ。
「まあ! すごい世界ですわね。あの、この世界には、このようなおいしいお菓子が『たくさん』ありますの??」
尋ねたら、ブロッコリーが目を泳がせてしばらく考えてから、深々とため息をついた。
「俺は門司矢 繁。そいつを換金するのと、その金を使うぶんくらいは付きあってやるから、気が済んだら帰れよ」
ブロッコリーでモジャな門司矢先生とエンカウントしました。
門司矢先生は私の短編『話せない2人と帰れない帰り道』(#マーブルクラフト 別作品)にも登場します。
もしご興味があればぜひ。