第3話 気遣い
水を汲んで戻ると、イーリィアがキトンの体を撫でているところであった。
「あ、お帰りなさい」
二人は笑顔でベルフィリオを迎える。
「ただいま。随分と二人は仲良くなったんだな」
「イーリィアが撫でたいというから、特別に許したのにゃ。そしたらもう、気持ちよくて」
尻尾を太くして喜ぶキトンに、イーリィアも嬉しそうに笑う。
「実家にも猫ちゃんがいて、よく撫でていたんです。まさかダンジョンに来てからも、猫ちゃんに触れるなんて思わなかったわ」
「はうぅ、そこもなかなか……」
耳の根元をこしょこしょされ、キトンのグルグル音は更に大きくなる。
「キトンちゃん、とっても可愛いね」
すっかり普通の猫のようになったキトンを見て、呆れるやら喜ばしいやら。
(二人が仲良くなれて何よりだな)
ベルフィリオは、持っていた水筒をイーリィアの側に置く。
「落ち着いたらどうぞ。俺は飲んできたから」
「ありがとうございます」
ベルフィリオには特に飲食の必要はない。
それでもそう伝えたのは、自分が飲んでいないとイーリィアが遠慮するかもと、思ったからだ。
「おいしい」
ホッと息をつくイーリィアの表情はとてもあどけない。
こんなダンジョンなど似合わないような雰囲気だ。
「イーリィアの故郷は、とても自然豊かなんだよな。そんなところから、なぜこんな危険な場所に? ダンジョンなんて死と隣り合わせなのに、もっと稼げるような事があったんじゃないか?」
「私の故郷は田舎なので、お金を稼ぎたくともそ仕事がないんです。弟も妹もまだ小さくて働けないし、母も体が弱くて……皆がお腹いっぱいに食べられらるようにと街に来たのですが……」
イーリィアはぐっと唇を噛みしめる。
「一念発起して街に来て、ギルドで会った人達のパーティーに入れてもらったんですけど、足手まといになっちゃって……これでも故郷では動物を狩って、生計を立てていたんですよ。罠を張ったり、弓も練習して。けどそれじゃあ全然役に立てませんでした」
「そうか……いろいろな事情があるのだな」
イーリィアの話に同情しつつ、見捨てた者への怒りがわく。
事情を知っていたはずなのに、イーリィアを見殺しにしようとしたのだ。許せるわけがない。
その時イーリィアのお腹がくぅっと鳴いた。
「食料は、持っていないよな?」
「は、はい」
荷物を何も持っていないイーリィアが、食べ物を持っているはずはない。
ベルフィリオも食べる必要がないので何も持ってはいなかった。
(これは困ったな)
どうしたものかと考えていると、キトンがガサゴソと自分のリュックから何かを取り出す。
「ぼくのあげますにゃ、はいどうぞ」
「ありがとう」
出てきたのは、キトンの大好物の魚の煮干しだ。
イーリィアは美味しそうに食べるけれど、それだけでは足りないだろう。
(早めに何とかしないとな)
ベルフィリオはいいが、人間のイーリィアがどれだけ空腹に耐えられるのかわからない。
後で何とかするとして、ベルフィリオは今後についての話を切り出した。
「明日なんだが、イーリィアを街に送り届けようと思う。その後俺達はまた探索に来よう」
「それが良いと思いますにゃ。食べ物も荷物もないままでは、イーリィアも大変なのにゃ」
ベルフィリオの意見にキトンは頷くが、とうのイーリィアは申し訳なさそうに首を横に振る。
「私のせいでダンジョン探索を途中でやめてしまうなんて、申し訳ないです。絶対に迷惑をかけませんから、このまま先に進みましょう」
「迷惑とは思っていない。それよりもこのまま進む方が危険だ」
イーリィアは尚も食い下がる。
「私、罠に詳しいので絶対に役に立ちます。ベルフィリオさん達のお手伝いも出来ます、お願いですから、連れて行ってください」
「そう言われてもな……」
罠にかかっていたイーリィアを思い出すに、危ない気がするのだが。
「それに私、お金持ってなくて……このまま帰っても故郷に帰ることも出来ないんです。図々しいとは思うのですが、手伝わせてください」
「……なるほど」
ダンジョン探索にていくらか稼がないと、路銀もないという事らしい。
「主様、一緒に行ってもいいのではないですかにゃ。もう半分は過ぎましたし、恐らく急げば明日には最奥部につきますし。イーリィアのお腹がぺこぺこになる前に戻れば、何とかなりますにゃ」
キトンが援護射撃を出す。
「それにイーリィアのマッサージは気持ちいいのにゃ」
すっかりほだされたようで、キトンはイーリィアに身を寄せている。
(仕事の事を忘れているんじゃないだろうか?)
ベルフィリオはキトンの能天気な様子に心配になる。
「仕方ない、ただし無理はしないように」
「はい、ありがとうございます!」
二人の懇願に負けてしまうあたり、ベルフィリオも甘いところがある。
その後ベルフィリオは、用意していた寝袋をイーリィアに譲り、見張りを申し出る。
「こんなの、申し訳なさすぎて眠れません」
「良いのにゃ、主様は体力あるから徹夜しても大丈夫にゃ。それよりも今度はブラシ描けてほしいのにゃ。主様のは強すぎて痛いのにゃ」
遠慮していたイーリィアではあるが、キトンにも促され、部屋に戻っていく。
「キトン、イーリィアを頼んだぞ」
キトンに命じ、ベルフィリオはイーリィアの食べものを探しにと駆け出した。
(さて、どこで調達するか)
ダンジョン内で食べ物を見つけるのは、至難な事だ。
他の人間から奪うか、それか魔物肉を調理するかしかない。
「魔物肉は……あまり、現実的ではないな」
このダンジョンはアンデッド系が多い為、獣肉は手に入りづらい。
となれば人から奪うか、交渉して譲ってもらうことになる。
「狙いは、イーリィアを見捨てた者達だな」
あれならば殺して奪っても胸は痛まないと、ベルフィリオは笑う。
先程進んでいた道の更に奥を目指してかけていった。
「鬱陶しい」
放たれる矢も、迫りくる壁も、ベルフィリオは魔法で全てを凍らせてから進んでいく。
足を止めることなく一本道を突き進み、先を行くイーリィアの元仲間たちを追いかけた。
「構造上、そろそろ追い付くはずだ」
恐らく、次のセーフティスペースで休んでいるはずだと狙いをつける。
あの時間であれ以上進もうとするのは、無謀だからだ。
「イーリィアよりはダンジョンに手馴れているようだったからな、そんな常識など知っているはずだろう」
そうして進んでいく内に、何やら血の匂いが漂ってきた。
「まさか、な」
角を曲がって見たその光景に、ベルフィリオはただ目を細めるばかりだ。
ゾンビたちが複数の死体に群がり、死肉を貪り食っていた。
恐らく罠にかかったのだろう、壁には赤い血の跡が広がっており、その近くにちぎれた肉片が落ちている。
落ちている装備品や食べ残された遺髪から、イーリィアと共にいた者たちだと分かった。
「まぁ因果応報という事だろう……イーリィアを見捨てたのだからな」
特にかわいそうとは思わない。
ベルフィリオは剣を抜いてゾンビたちを切り捨てていく。
可哀想だと思った為ではない、このままではゾンビが邪魔で、荷物が探せないからだ。
下級の魔物など相手にもならない為に、特に苦な作業ではない。
「さてと、荷物はどこだ」
静かになった現場を見回せば、遠くに収納バックらしきものが落ちているのを見つけた。
そちらに足を進めると、床に穴が開いているのに気づく。
デジャヴュを感じつつ中をのぞくと、そこには串刺しになった人間が見えた。
イーリィアを罵倒していた女だ。
「報いはもう受けていたか」
「た、助けて」
死んでいると思ったのだが、どうやら急所が外れていたようだ。
ベルフィリオの声に気づいた女は、血にまみれた手を伸ばす。
「お願い、助けて……まだ、死にたくないの」
「どの口がそんな事を」
ベルフィリオはせせら笑う。
「イーリィアを見捨てたくせに、よく言えたものだな。その姿も因果応報だろう」
「イーリィア? もしかして、生きているの?」
「あぁ。彼女は俺が助けた。けれどお前は駄目だ」
「ま、待って」
冷たく言い放ち、その場を離れようとするベルフィリオに、縋るように女は声を張り上げる。
「悪かったわ、イーリィアに謝る。だから、助けて」
「謝る? 今更何を?」
鼻で笑い、もがく女を見下ろした。
「彼女がどんなに怖かったか、お前にわかるのか。見知らぬ土地、慣れないダンジョンで、信じる仲間に見捨てられて…さぞ、彼女は絶望しただろう。それなのに、自分は助けられると思っているのか? つくづくおめでたい生き物だ」
「お願い、なんでもするから」
必死に声を上げているが、聞く気はない。
「知らん。そのままのたれ死ね」
ベルフィリオは落ちている荷物を拾い上げて中身を確認し、その場から立ち去る。
(明日は別のルートを通ろう。イーリィアがこの光景を見たら、ショックを受けるかもしれないからな)
かつてのとはいえ、仲間の死を見せるのはどうかと、ベルフィリオは考える。
後ろからのうめき声は、いつの間にか途絶えていた。