第2話「ディベート編~新たな戦い~」
MBAプログラムにおいて、ランチタイムは単なる食事の時間ではない。ここはソーシャルネットワーキングの場であり、ビジネスランチの実践の場でもある。ここで交わされるアイスブレイキングトークや、アメリカドラマのような小粋な会話は、クラス内の序列や人間関係の駆け引きをも決めかねない、ある意味「戦場」ともいえる場所だ。
カフェテリアには、多くのクラスメイトたちがテーブルを囲み、笑い合いながらランチを楽しんでいる。その中でも、ジョンのテーブルには人気者のクラスメイトたちが集まり、賑やかな雰囲気に包まれていた。
しかし、竜神崎にとって、この場所はこれまで関係のない場でしかなかった。彼はいつも一人でランチを取り、友達など必要ないと心に決めていた。しかし、今日だけは少し違う。
竜神崎がジョンたちを横目に通り過ぎようとしたとき、ジョンが軽く呼び止める。数人のクラスメイトがその様子に気づき、怪訝そうな表情を浮かべた。
「ヘイ、サムライボーイ。今日は俺の友達と一緒にランチを食べようぜ」とジョンが爽やかに声をかける。
竜神崎は一瞬ためらうものの、ジョンの誘いに応えるように小さく頷き、ゆっくりと席に座る。こうして、竜神崎は初めての「ビジネスランチ」に足を踏み入れることとなったのだった。
ジョンの友達に囲まれ、少し居心地の悪そうにしている竜神崎。テーブルにいるクラスメイトたちは、異国から来た彼に興味津々のようだ。
「君、静かだね。ジャパンってのはみんなそんな感じなのかい?」と少し皮肉めいた口調でクラスメイトの一人が言う。
その少し馬鹿にしたような声に、竜神崎の目が一瞬鋭くなる。心の中で、彼は決意を新たにした。
武士たるもの、己の誇りをもって言葉を紡ぐべし…深呼吸をし、堂々とした声で自己紹介を始める。
「拙者、竜神崎。武士の道を持ってこの異国の地に参じた次第である!」
その堂々たる自己紹介に、テーブル全体が一瞬静まり返る。クラスメイトたちは目を見合わせ、困惑した表情を浮かべている。
「え…そ、そうだね。まあ、リラックスしなよ」と気まずそうに言うクラスメイトもいれば、彼の奇妙な自己紹介に少し笑いを浮かべる者もいた。
竜神崎は一瞬恥ずかしそうに俯いたが、ジョンが笑顔で助け舟を出す。
「ヘイヘイ、こいつの話もっと聞いてみようぜ!なぁ、サムライボーイ、この前の信長の話をしてくれよ。」
驚いたように顔を上げた竜神崎は、ジョンの言葉に後押しされるように、再び話し始めた。「…拙者の主君、信長公は、戦乱の世を治めようとした偉大なる殿であった。拙者はその密書を京へ届ける途中、道中で賊に襲われ、命を落としかけたが…」
次第に、竜神崎の話に引き込まれていくクラスメイトたち。その真剣な語り口と、まるで物語のような話に、彼らの視線は彼に釘付けになる。
「へぇ…それでどうなったんだ?」と興味を持ち始めたクラスメイトが問いかける。
竜神崎の語る昔話は、彼の武士道に対する誇りと強い信念が伝わってくるものだった。話が進むにつれ、テーブルに集まったクラスメイトたちはすっかり彼の「サムライの物語」に引き込まれていったのである。
竜神崎が熱く信長の話を語っているその時、テーブルの反対側から冷たい声が響いた。
「はぁ?バッカじゃないの!?そんなファンタジー、誰も信じるわけないでしょ?」
リンジーが冷ややかな目で竜神崎を見つめている。
彼女の視線は、まるで竜神崎の熱い語りを一蹴するかのようだ。
「それに、自分で自害とか?バカみたい。普通は逃げるでしょ?そんな負け戦、戦う価値なんてないじゃない」
皮肉を込めて言い放った。
その言葉に、竜神崎の表情が一瞬で険しく変わる。目が鋭くなり、拳を強く握りしめる。激怒した彼は、低い声で言葉を返した。
「これ以上、我が殿を愚弄することは許さん!武士たるもの、殿のために命を捧げる覚悟があるのだ!」
しかし、リンジーは勝ち誇ったように肩をすくめ、皮肉な笑みを浮かべて返す。
「あっそう。それで?許さなかったらどうするの?切ってみる?そのペンで。」
竜神崎は言葉を詰まらせ、悔しそうに「ぐぬぬ…」と唸る。その姿を見て、リンジーは余裕たっぷりの表情で見下ろすように笑う。
その時、ジョンが軽く手を挙げて二人の間に割って入った。
「ヘイ、リンジー。ここはビジネススクールだぜ?戦場じゃねえんだ。戦うと言ったら…一つだけだ。」
「何…?」
竜神崎は困惑しながらジョンの方を見た。
ジョンはニヤリと笑い、
「ディベートさ、サムライボーイ。ここでは口の上手い奴が強いんだよ!」と答える。
竜神崎は息をのみ、
「でぃべーと、とは…?」
とさらに尋ねた。
「議論で相手を論破すること…まあ、簡単に言やぁ口喧嘩だな」
ジョンは説明しながらリンジーを見やり、挑発的に微笑む。
「ヘイ、リンジー。このサムライとディベートで勝負するってのはどうだ?」
リンジーは微笑を浮かべ、「望むところよ!」と応じた。
竜神崎はその言葉を聞き、背筋を伸ばして気を引き締める。
「戦いならば、負けるわけにはいかぬ。リンジー殿!正々堂々と勝負いたそう!」
こうして、ビジネススクールでの初めての「ディベート」という新たな戦いに挑むことになった竜神崎は、心の中で静かに闘志を燃やすのだった。
挑徐々にカフェテリアの一角にクラスメイトたちが集まり始め、会場はディベートの緊張感に包まれていった。仲間たちの好奇心と期待、そして少しの不安が入り混じる視線が、竜神崎とリンジーの二人に注がれている。その中、背後から現れた教授が楽しげな口調で声を上げた。
「おっと、急遽ディベートの実演が始まるようだね。みんな、よく注目するように!」
その言葉を合図に、カフェテリアのざわめきは一層高まり、学生たちが半円を描いて見守るように集まる。竜神崎とリンジーが向かい合い、テーブルが即席のディベートステージとなった。
リンジーは冷静な笑みを浮かべ、挑発的な視線で竜神崎を見据える。一方の竜神崎も、鋭く真剣な眼差しでリンジーを見つめ返す。その表情には武士としての誇りを背負った決意があり、彼女に負けるわけにはいかないという強い意志が伝わってきた。
「さて、どちらがビジネスの世界で生き残れるか、見せてもらおうじゃない?」
リンジーは挑発的に笑みを浮かべた。
「サムライってやつの古臭い誇りが現代にどこまで通用するか、楽しみだわ。」
「武士の誇りをかけて、負けるわけにはいかぬ!」
竜神崎も決意を込めて言い返す。
「何を言おうと、この心を曲げることはできぬ!」
その一言に、リンジーは笑みを深めた。その自信に満ちた態度が周りの学生たちにも強烈に伝わっていく。
「これって、ただのディベートじゃないぞ」
クラスメイトの一人が興奮した小声で友人に囁いた。
「ビジネスランチの場で、あの二人がやり合うなんて…!」
「リンジーはやる気満々だな。でも、竜神崎も真剣だぞ」
別のクラスメイトが興味津々に見守る。
「この勝負、どうなるんだ?」
二人の間に火花が散り、周囲のクラスメイトたちは息を呑んで見守っている。周りではディベート用のノートを持ち出し、準備を整えようとする学生たちの姿が見える。ある者はリンジー側につき、彼女の論理的な議論スタイルを支持し、またある者は竜神崎の独自の哲学と熱意に共鳴し、彼にエールを送っていた。
「これぞ実践だ」
教授が満足げに微笑む。
「ビジネスはロジックとハートがぶつかり合う場でもある。さあ、ディベートの火蓋が切られたぞ!」
竜神崎とリンジーが向き合うカフェテリアの舞台は、今や観衆と共に独特の緊張感に包まれている。竜神崎は静かに深呼吸し、武士としての誇りを胸に、己の言葉でリンジーに挑む準備を整えていた。
MBAの戦いは、単なる勉学に留まらない。人脈作り、そしてディベートこそがこの世界での真の勝負を決めるものだ。今回のディベートテーマは「大企業VSベンチャー」。それはまさにビジネス界の「本能寺の変」。織田信長率いる伝統的な大企業と、明智光秀が率いる新進気鋭のベンチャー企業が、ビジネスの戦場で再び激突することとなる。
果たして、竜神崎率いる大企業「サムライホールディングス」は、リンジーが率いるベンチャー「リンテック」を打ち破ることができるのか…?
竜神崎とリンジーは向かい合い、テーブルを挟んでディベートの準備を整える。視線を交わす二人の間には、火花が散るような緊張感が漂っていた。
「さぁ、どちらがビジネスの世界で生き残れるか、見せてもらおうじゃない!」
リンジーが挑発的に言う。
「武士道精神をもって、勝負に挑むのみ。戦いに敗れることは許されぬ…!」
竜神崎も真剣な表情で応じた。
竜神崎が一歩前に出て、堂々と語り始める。
「信長公率いるサムライホールディングスは、圧倒的な資金力と人海戦術をもって、明智の小さなベンチャーを圧倒する。大量の資本を使い、市場を独占し、競合を排除するのが我が戦略でござる!」
彼のスライドには「織田信長:大企業」と大きく表示され、グラフで資金力や市場シェアの大きさが示される。大企業としての強みが視覚的に強調される中、竜神崎はさらに自信満々に続ける。
「ベンチャーごときがこの財力に勝てるわけがない!我らが資本力の前では、ひとたび動けば市場全体が支配できるのだ!」
その言葉に場の空気がピリッと緊張する。しかし、リンジーは余裕の表情で笑みを浮かべ、反撃の準備を整えていた。
「確かに、資金力では勝負にならないわね。でもね、ベンチャーにはベンチャーの強みがあるのよ」
リンジーが冷静に反論を始め、スライドを切り替えると、「明智光秀:ベンチャー」と表示され、ニッチな市場を瞬時に捉え、スピーディな意思決定ができる図が映し出される。クラスメイトたちも、その鋭い視点に感心した様子を見せる。
「私たちはニッチな市場を素早く捉え、柔軟な意思決定でどんどん進んでいくの。あなたがその『密書』を走って送っている間に、私たちはすでに次の一手を打っているのよ!」
リンジーの言葉に、竜神崎は一瞬息を呑む。周りのクラスメイトたちもざわめき始め、彼女の言葉の鋭さに引き込まれていく。
「リンジーの言うことも一理あるな!市場のニッチニーズに迅速に対応するのは、今の時代、かなり重要だよな」
クラスメイトの一人が興奮気味に声を上げる。
「でも、大企業の資本力で強引に市場を押さえられたら、ベンチャーはひとたまりもないんじゃないか?」
別のクラスメイトも意地悪そうに意見する。
竜神崎とリンジー、それぞれの意見に共感する声が聞こえ、ディベートの熱気は一層高まっていく。
「見事だ。これぞ、戦略のぶつかり合いだ」
教授が満足そうに頷きながら言う。
「みんな、この議論から何を学ぶか、よく考えながら聞くように!」
周囲の注目を浴びつつ、二人のディベートはますます白熱していく。竜神崎とリンジー、それぞれの信念をかけた戦いは、次第に深みを増し、熾烈さを増していく。
リンジーの巧みな資金調達戦略に対し、竜神崎は表情を引き締め、次の一手を練り始めた。
「このままでは押されてしまう…!だが、まだ手はある。信長公の戦略を思い出せ。銀行やサプライヤーに圧力をかけ、兵站を断てばよいのだ!」
一呼吸置き、竜神崎は堂々と宣言する。
「我がサムライホールディングスの影響力を使い、あらゆるステークホルダーに圧力をかけ、そちらの資金を断ち切る!これでどうだ!」
彼の力強い発言に、リンジーは一瞬表情を固め、スライドには「ベンチャー資金不足」と表示され、クラスメイトたちからも緊張が走る。しかし、すぐさまリンジーは反撃に転じた。
「ぐううう…痛いところをついてきたわね。でも、私たちはベンチャーよ。資金はベンチャーキャピタルや個人ファンドから調達するわ!」
リンジーが新たなスライドを表示すると、「ベンチャーキャピタルからの資金調達」と明記され、資金確保とリスク分散の策が示される。
「そして、私たちはイノベーションを巻き起こし、IPO(新規株式公開)で大きく飛躍するのよ!これが未来を見据えた成長戦略!」
リンジーの力強い宣言に竜神崎は一瞬追い詰められ、目を伏せる。その場の優勢がリンジーに傾いたことを感じた竜神崎の心に、過去の出来事がよぎる。
「引き際こそ武士の美学…無様な生き恥を晒すぐらいなら、いっそ…殿…」
突然、場面が戦国時代の本能寺の変の最中に移り変わる。本能寺が炎に包まれ、信長公が自害を覚悟している光景が映し出される。その場で竜神崎は、燃え上がる炎の中、立ち尽くしていた。あのときも、彼は自分が何もできなかったことを今なお悔いている。
「竜神崎よ…ここまでだ…潔く散ることこそ武士の美学だ。」
信長の静かな声に竜神崎は固まり、震える手で刀を握りしめた。信長の潔さに対する尊敬と同時に、捨てきれない後悔がこみ上げる。
(…殿!あの時、私はただ諦めてしまった。諦めることが美しいと、潔さを誇りにしてしまった…。だが、本当にそれが正しいのか?今は戦場ではなく、ビジネスの世界だ。ここで同じ過ちを繰り返すわけにはいかぬ!)
燃え尽きていく本能寺と共に、信長の姿が徐々に消え去る。竜神崎の心には、武士としての潔さとは別の「戦う理由」が芽生えつつあった。彼は、このビジネスの場で「最後まで諦めない」新しい戦い方に目覚めようとしていたのだ。
本能寺が燃え尽き、信長が消え去るシーンが目の前に映し出される。
次の瞬間、意識は現代に戻り、竜神崎は目を開き、心境が一変した様子で拳を力強く握りしめた。
(諦めることが必ずしも美しいとは限らない。追い詰められた時こそ、活路を見出すべきだ!あの時の過ちを、ここで繰り返すわけにはいかぬ!)
竜神崎は一歩前に出て、声を張り上げた。
「これぞ好機!ここに秀吉公から学びし大返しをせんとす!我が織サムライホールディングスは敵対的買収を仕掛ける!市場で公開買付を発表し、そちらの株式を奪い取る!」
その言葉にリンジーは驚愕し、目を見開いた。
「えっ!?ここで敵対的買収だって…!?」
竜神崎のスライドには「市場での公募買付」と大きく表示され、矢印がリンジーの会社に向かっている。彼の一手により、リンジーの戦略であったIPOが裏目に出てしまったことが示唆される。
「うっ、IPOが裏目に出たわ…!資金力では勝てない…!」
リンジーはその場に崩れ落ち、小さな声で呟く。
「…ごめん。私の会社が…みんなで作った製品が…みんな…。ごめん…」
そんな彼女の様子を見た竜神崎はゆっくりと歩み寄り、優しく手を差し伸べた。
「私は君の会社を潰すつもりはない。これからも君の会社を友好的に取り扱うことを約束しよう。」
リンジーは驚きと戸惑いを含んだ表情で竜神崎を見つめる。
「え…だって…あなたは私たちをM&Aしたのよ!?私たちの会社を…」
竜神崎は柔らかく微笑んで答えた。
「ビジネスとは、単に勝ち負けだけではない。ライバルが共に切磋琢磨し、高め合うことこそが重要なのだ。君が大切にしてきた会社や製品、そして仲間たちを、拙者も守りたい。これからも社長として、我らと共に会社を導いてくれるか?」
リンジーはその言葉に涙を流しながらも、次第に安堵の表情を浮かべる。
「…本当に?私を許してくれるの?」
竜神崎は力強く頷いた。
「ああ、共に天下を目指そう。」
リンジーは涙を流しながら竜神崎の手をしっかりと握り返した。その瞬間、周囲から拍手が沸き起こり、仲間たちも二人の和解を祝福する。
新たな同盟として共に歩む決意を新たにした二人は、この場で共に歩む未来を見据えていた。
竜神崎熱気がまだ残るカフェテリアに、教授がゆっくりと歩み寄ってくる。落ち着いた声で、全員に語りかけるように話し始めた。
「素晴らしい戦いだった。竜神崎、君は一度諦めかけたが、そこから立ち上がり、逆転の手を打った。ビジネスの世界では、諦めることが必ずしも美しいとは限らないんだ。」
カフェテリアに集まったクラス全員が静かに耳を傾け、教授の言葉を受け止めている。
「現代のビジネスでは、企業は多くのステークホルダーに責任を負っている。泥臭くても、最後まで生き延びることが求められる。社員や株主、そして顧客のために、あがき続けることこそが経営者の務めだ。」
その言葉に、竜神崎は深く頷き、今日の戦いから学んだことを心の中で噛み締めていた。
教授は全員に向け、さらに続ける。
「君たちは素晴らしい戦略を見せてくれた。だが、勝負はまだ終わっていない。これからも切磋琢磨し、共に成長していってほしい。それがビジネススクールの本質なんだよ。」
教授の言葉に場の緊張が緩み、学生たちの顔にはやる気と感謝の表情が浮かんでいる。
カフェテリアから教室に戻る途中、竜神崎は立ち止まり、リンジーに向かって手を差し伸べた。
「これで、拙者らは仲間でござるな。」
リンジーは少し強がった表情を浮かべながらも、手を取って返す。
「ふん!負けた覚えはないわ。でも…これからはせいぜい利用してやるから覚えておきなさい。」
竜神崎は少し呆然とした表情でリンジーを見つめている。その後ろからジョンがにやりとしながら声をかけた。
「ひゅー、相変わらず気が強いねぇ。あれ、日本語で何て言うんだっけ?ツンデレ、ってやつ?」
竜神崎は困惑し、訳の分からない表情を浮かべる。
「つ、つんでれ…?それはいかなるものか…?」
その様子に周りのクラスメイトたちからもクスクスと笑い声が漏れた。竜神崎は戸惑いつつも、そして何かが始まる気配を感じつつ、仲間たちと共に歩む新しい一歩を感じながら、カフェテリアを後にするのだった。
次回 第3話「ビジネスモデル編~チームドラゴン~」