第1話「ストラテジー講義編~初めての友情~」
竜神崎がBBAビジネススクールに入学してから、早くも一ケ月が経過していた。彼は持ち前の根性と真面目さで、英語のリスニングだけでなくスピーキングも懸命に克服し、授業内容にも果敢に挑んでいた。奇跡的にも大きなトラブルなく、難関の授業をそつなくこなしている。
だが、そんな竜神崎にも一つ大きな悩みがあった。それは——友達ができないことだった。
教室内、竜神崎は静かにノートを取りながら講義に集中している。周囲では学生たちが自然にペアを組み、楽しそうに雑談を交わしているが、彼だけはひたすら一人で授業に臨んでいた。どこか孤独の影が背中に漂う。
「いや、全ては敵だ…この異国の地では誰も信用できぬ。全ては己の力で道を切り拓くのみ!」
彼はそう心に言い聞かせ、筆を走らせた。異国の地で友人は不要。信頼できるのは己の腕と、胸に抱く武士道精神のみだと強く思い定めている。しかし、彼の心の奥底には、どこか寂しさが漂っていることに、竜神崎自身もまだ気づいていなかった。
教壇に立つ教授が、スクリーンに映したスライドを指しながら、生徒たちの注意を引きつけるように話し始める。
「さて、今日はストラテジーについての授業です。ロールプレイを通じて戦略を体験し、理解を深めていきましょう。まずは『ランチェスターの法則』について説明します。」
その言葉に、竜神崎は瞬時に反応し、目を輝かせた。教授の話に食い入るように聞き入る彼の表情には、興味と期待が溢れている。
「ランチェスターの法則は、特に競争の激しい市場で非常に役立つ法則です。まずは『強者の法則』から始めましょう。これは、強者が敵を圧倒するための方法についての法則で…」
「なるほど、少数であっても集中して敵を打ち破ることが重要…これはまさに兵法の基本!」
教授の説明を聞きながら、竜神崎の脳裏には、かつての戦場の記憶が蘇る。少数の仲間と共に多勢の賊に挑んだ激戦の光景が、一瞬フラッシュバックする。彼と数人の仲間たちは、山中の狭い道で待ち伏せをしていた。周囲には密林が広がり、夕暮れの陰影が戦場に不気味な雰囲気を漂わせている。空気は緊張に満ち、足元の土埃が立ち込める中、彼らは目の前に迫る数多の敵を見据えていた。
「少数でも、敵の急所を見極め、そこに全力で挑むのみ…」
仲間たちの呼吸が整い、周囲が静まり返るその瞬間。次の一手で自分たちが全滅するか、それとも敵を打ち倒すかが決まる状況だった。竜神崎は己の剣を握りしめ、冷静に、だが強い意志をもって仲間たちに合図を送る。少数でも集中して突撃することで、彼らは数の上では圧倒的に不利な敵を次々に打ち倒していったのだ。
その場面がフラッシュバックする中、教授の声が再び彼を現実に引き戻す。
「ランチェスターの法則…それは兵法、そしてビジネス戦略に通じる奥義というわけか。」
再び現代の教室に意識を戻し、竜神崎はこの法則が戦場での経験と通じることに驚き、深い感銘を受けていた。戦場で培った戦略と、ビジネスの教訓が奇妙に結びつき、彼の胸に新たな理解が湧き上がる。
「この『10-4の法則』も、数的劣勢を戦術にどう反映させるかを示しています…」
スライドが切り替わり、新しい画面に「10-4の法則」と表示される。教授は続けて説明を始めた。
「次に、この『10-4の法則』です。これは敵対する勢力間の兵力差を戦術にどう反映させるかを示すもので、どのように数的劣勢を埋めていくかが鍵となります…」
「ふむ…十メートルの距離で敵を見据え、四メートルで声を発し威嚇、一メートルで初めて斬る…これを、テンフォー、つまり『天保の法則』と命名しよう。ふふふ、我ながら面白い。殿に報告したらさぞ驚かれるであろう…流石はカウボーイの国!どこか武士道精神に通ずるものがあるでござるな。」
竜神崎は自分なりの解釈で戦略の教訓を面白がりながら、新しい知識を喜んで受け入れていた。異国のビジネス戦略が、いつしか彼の胸に宿る武士道精神と共鳴し、竜神崎は新しい学びの道に深く引き込まれていくのだった。
続けて、教授がホワイトボードに「SWOT分析」と「ポーターの5Forces」と書き込んだ。教室内には期待と緊張が入り交じった空気が漂う。
「次は『SWOT分析』と『ポーターの5Forces』について説明します。」
教授は自信を持って話し始めた。
「SWOT分析とは、企業の戦略策定において非常に重要なツールです。この分析は、内部環境と外部環境の要素を整理し、企業がどのようにして競争優位を築くかを考える際の基本となります。」
教授はホワイトボードに強み、弱み、機会、脅威のそれぞれを大きく書き出し、説明を続けた。
「まず、強み(Strengths)です。これは自社が持つ独自の資源や能力であり、競合他社に対する優位性を示すものです。たとえば、技術力、ブランド力、顧客ロイヤリティ、または人的資源の質などが考えられます。企業が成長を目指す際には、この強みを最大限に活用する戦略が求められます。」
竜神崎は興味深そうに頷き、強みの具体例を思い浮かべながら教授の話を聞いていた。
「次に、弱み(Weaknesses)ですが、これは自社の競争力を損なう要素です。例えば、資金力の不足、古い設備、または人材の流出などが挙げられます。弱みを理解し、改善することは企業にとって必須です。この分析によって、企業は弱みを克服するためのアクションプランを策定できます。」
教授は続けて、外部環境の要素について説明を続けた。
「次に、機会(Opportunities)です。これは外部環境の変化によって生じる、新たな成長のチャンスを指します。市場のトレンド、技術の進歩、規制緩和、新しい顧客セグメントの開拓などが含まれます。機会をしっかりと捉えることができれば、企業は競争優位を強化することができるのです。」
竜神崎は興味を持ちながらメモを取り、機会をどう活かすかについて考えていた。
「最後に脅威(Threats)です。これは競争環境や市場の変化によって、企業の成長を妨げる要因を指します。新規参入者の増加、代替品の登場、景気後退、規制の強化などが脅威となりえます。脅威を事前に把握し、対策を講じることで、企業は危機を回避することができます。」
教授はホワイトボードを見渡し、学生たちの反応を確かめるようにした。
「このSWOT分析を通じて、自社の戦略を見直し、競争優位を築くための基盤を整えることができるのです。」
教授がSWOT分析の説明を終えると、教室の静寂の中で竜神崎の心に過去の回想が浮かび上がった。
(そういえば、殿が教えてくださったことと、今のこのSWOT分析の考え方は通じるものがある。殿も常に我々の強みを見極め、敵の弱点を突く戦略を練っておられた。)
彼は、戦国時代の激しい戦いを思い出した。信長が戦場で繰り広げる戦術は、まさにSWOT分析そのものだった。信長は、どのようにして敵を打ち負かし、自らの領土を拡大するかを考える際、常に強みと弱み、機会、脅威を見極めていたのだ。
(殿はいつも、敵の動向を注視しておられた。敵の軍がどのような戦力を持ち、どの地形を利用しているのか、また我が軍の強みや弱みを見極めることで、戦の勝機を掴んでいた。あの時、敵が強い城を持つことは、我が軍にとって脅威であり、逆に我が軍が持つ奇襲の技術は強みとなった。)
彼はさらに思いを馳せた。
(機会は、敵が隙を見せた瞬間であり、我々はそれを逃さずに突き進むことができた。逆に、敵が強固な防御を整えた場合、我が軍の戦略を見直し、別の機会を模索する必要があった。)
竜神崎の心に浮かぶイメージは、信長の冷静さと鋭さ、そして柔軟な思考がもたらしたものだった。
(このSWOT分析を通じて、我々もまた信長殿の教えを受け継ぎ、どんな状況においても自らの強みを最大限に活かし、弱みを克服する道を探らねばならぬ。機会を見逃さず、脅威に対しては迅速に対処することが、今の我々に求められているのだ。)
竜神崎は、目の前のホワイトボードを見つめながら、自らの心に力強い決意を刻んだ。
「拙者は、戦国の武士としての誇りを持ち続け、このビジネスの戦場においても勝利を収めるために、全力を尽くすでござる!」
その思いが、彼の表情をさらに引き締めた。信長の教えを胸に、竜神崎は自分の道を進む覚悟を新たにした。ホワイトボードに視線を戻すと、教授は次の説明を始めていた。
「次に、ポーターの五 Forcesについてお話しします。これは、業界の競争環境を分析するためのフレームワークです。まず一つ目は『業界内の競争の激しさ』です。競合他社が多いほど、価格競争が激化し、利益率が低下する傾向にあります。」
教授はゆっくりとホワイトボードを指し示しながら続けた。
「二つ目は『新規参入者の脅威』です。参入障壁が低い業界では、新たな競合が市場に入りやすくなります。これにより、既存企業の市場シェアが脅かされる可能性があります。」
竜神崎は教授の話に耳を傾けながら、心の中で過去の教えを思い出していた。
(殿が常に強調していたのは、敵の動向をしっかりと把握し、適切なタイミングで攻撃を仕掛けることだった。これはまさにポーターの『新規参入者の脅威』に通じる。新しい敵が現れる前に、我々はその動きを予測し、先手を打つ必要があるわけだ。)
教授はさらに説明を続けた。
「三つ目は『代替品の脅威』です。顧客が他の製品やサービスに乗り換える可能性がある場合、企業はそのリスクに備える必要があります。代替品が多いほど、価格や品質での競争が激しくなります。」
竜神崎は再び信長の教えを思い出した。
(殿は、常に市場の変化に敏感であった。代替品が登場した際には、迅速に自軍の戦略を見直し、優位性を保つための対策を講じていた。これもまた、代替品の脅威に対する適切な対応と言えるだろう。)
教授はホワイトボードの四つ目の要素に移った。
「四つ目は『買い手の交渉力』です。買い手が強い場合、企業は価格を下げざるを得なくなり、利益が圧迫されます。顧客が多くの選択肢を持っている場合、その交渉力は増大します。」
竜神崎は、信長が兵士たちに対して教えた交渉術を思い浮かべた。
(殿は、敵との交渉においても強さを見せつつ、柔軟な対応を取ることの重要性を教えてくれた。買い手の交渉力が強まる状況では、我々も同様に柔軟な戦略を採用し、顧客との信頼関係を築くことが必要だったのだな。)
教授は最後の要素について説明を始めた。
「そして五つ目は『供給者の交渉力』です。供給者が強い場合、企業は高いコストを負担しなければならなくなります。特に、重要な原材料やサービスを提供する供給者が少ない場合、その交渉力は非常に高くなります。」
竜神崎は信長が供給線を管理し、重要な資源を確保することの重要性を理解していた。
(殿は、兵糧庫の管理を徹底し、常に兵士たちに必要な資源が供給されるように努めていた。これはまさに供給者の交渉力に対する備えと言える。供給者との良好な関係を築き、必要な資源を確保することが、戦略の成功につながるのだな。)
教授が全体をまとめると、竜神崎は目を輝かせていた。
「なるほど、SWOT分析やポーターの5Forcesを駆使することで、我々の戦略をより的確に立てることができるのか…。興味深いでござるな。」
教授は満足そうに微笑み、学生たちの反応を見守った。
「今日学んだこれらのフレームワークを実際のビジネスシナリオに適用し、ロールプレイを通じて体験してみてください。自らの戦略を立案し、チームで議論することで、より深い理解が得られるでしょう。」
竜神崎は再び信長の教えを胸に、これからのビジネス戦略に対する意欲を新たにした。彼の中には、戦国の武士として培った戦略的思考と、現代のビジネススクールで学ぶ新たな知識が融合し、強固な戦略家としての自信が芽生えていた。
教授は微笑みながら教室を見渡し、次の話題に進む準備をしていた。竜神崎の熱心な姿勢が、他のクラスメイトにも良い影響を与えているようだった。
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続いて、教授が教室の前に立ち、ロールプレイの準備が整った学生たちを見渡しながら、ペアを組むように指示を出した。
「それではロールプレイを始めましょう。竜神崎さん、あなたの相手はジョンです。」
竜神崎は一礼して立ち上がり、教授が指した方へ目を向ける。そこには、たくましい体格をした男、ジョンが笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。筋肉質な体つきから自信に満ちた様子が伺え、彼は竜神崎を興味深げに見つめていた。
「よう、サムライボーイ。よろしくな。」
「うむ、ジョン殿。よろしくお願い致す!」
竜神崎は挨拶のしるしとして、しっかりと握手を交わそうと手を差し出す。だが、その手がジョンの手に触れようとした瞬間、全身にぞくりと異様な感覚が走り、思わず手を引きかけた。まるで手が斬られるような鋭い感触が彼の中に走り抜けたのだ。
(なんだ…?今…手が斬られたような感覚が…拙者が、斬られた…?まさか…)
ほんの一瞬の出来事だったが、竜神崎にはその感覚が鋭く刻み込まれた。まるで自分の剣が奪われるかのような感覚——それがジョンの手から伝わってきたのだ。慎重にジョンを見つめ返し、わずかに身構えながらも、ゆっくりと再び手を差し出す。
ジョンは気づかないふりをして、陽気に微笑んだまま握手を交わす。しかし、竜神崎の心には、この不思議な感覚が残り、彼に対する警戒心が芽生えていた。互いに手を握ると、その瞬間、ジョンの背後から禍々しいオーラが立ち昇り、竜神崎の全身に圧迫感が襲いかかってきた。
(何だ、このオーラは…この拙者が、押されている!?一体何者だ、この男…!)
ジョンは余裕たっぷりに微笑み、竜神崎の手をゆっくりと離す。その途端、竜神崎は本能的に身の危険を感じ、一歩後ろに飛び退いた。咄嗟に懐に手を伸ばし、隠し持っていた刀型のペンを構えようとしたが、指先には何も触れるものがない。
「お探しのものはこちらかな?」
驚きに目を見開く竜神崎の前で、ジョンは片手に彼の刀型ペンを悠然と掲げていた。まるで彼の動きを見透かしていたかのように、いつの間にかペンがジョンの手に渡っていたのだ。
「そんなに熱くなるなよ、サムライボーイ。」
竜神崎は愕然とした表情でジョンを見つめる。無言で立ち尽くす彼の胸には、自分の間合いが完全に崩された驚きが広がっていた。ごく短い間合いで自分の持ち物を奪われたという事実に、竜神崎はただ愕然とする。たった一瞬のやり取りで、ジョンの意図を見抜くことはできず、ほんの少し遅れた動きが、彼の策略に飲み込まれてしまった。
「まさか…一瞬の間合いでこれほどまでの技を…この男、ただ者ではない!」
竜神崎は初めて味わう緊張感と警戒心を抱えながら、目の前のジョンを見つめた。教室の空気が張り詰め、彼らの周囲にはまるで他の人々の存在が消えたかのような静寂が漂っていた。言葉を交わさずとも、その視線の交錯には鋭い駆け引きが漂い、互いの心が無言のまま相手の内面を探ろうとしていた。
(この男…何を考えているのだ?)
竜神崎は微動だにせず、ジョンの表情から一瞬たりとも視線を外さない。だが、ジョンの顔にはわずかな緊張も見られず、むしろ竜神崎の心の奥まで見透かしているような余裕が漂っている。
(ただの交渉の場だと思っていたが、この男の底知れなさには注意が必要だ…)
竜神崎の胸中で警戒心が強まる。過去の主君・信長の教えが甦ってくる。「敵の心の揺らぎを見抜け。相手の迷いを感じ取れ。それが勝利への道だ」――その言葉に従い、竜神崎は相手のわずかな隙を探るが、ジョンの眼差しには、曇りも迷いも一切ない。
一方、ジョンもまた冷静に竜神崎を観察していた。
(侍か…だが、この場ではその誇りだけでは通用しない。少し揺さぶればどう出るか…)
わずかに挑発的な視線を送ると、竜神崎の表情に戸惑いが走った。
(これは…わざとか?それとも、ただの余裕か…?)
竜神崎の胸に疑念が生じ、その一瞬、わずかに心が揺れる。その瞬間、ジョンの視線がさらに鋭さを増し、挑発の意図を強めた。
(ここで怯んではならぬ…)
竜神崎は心の中で自らを奮い立たせ、冷静さを保とうとする。だが、ジョンにはその一瞬の揺らぎが見逃せない手がかりとなっていた。
(そうか、あいつは誇りを守ろうとしている…今一歩踏み込めば崩れる)
ジョンの内にはほのかな確信の笑みが広がり、その笑みに竜神崎の胸には怒りと屈辱が滲む。
(こ…この男…ここまで読まれていたとは!)
彼の心の中には、『刀』が握られ、ジョンに対して全力で斬りかかろうとする意識が集中していた。一方のジョンには「銃」を構えたかのような冷静さが漂い、その目は竜神崎を鋭く狙い定めていた。
(この刀で、奴の隙を突く…!)
竜神崎は意を決し、鋭い『刀』を振り下ろすかのごとく相手の心を切り裂こうとする。
(お前の攻撃は強いが、単純だ…俺の「銃」で捉えてやる。)
ジョンはその意図を見抜き、『銃』を冷静に竜神崎に向け、わずかな瞬間の隙を狙って発砲するように仕掛けた。
竜神崎の『刀』がジョンの間合いを詰めた瞬間、ジョンの「銃」が瞬時に閃き、その一撃を迎え撃つ。竜神崎はその『銃弾』を躱すが、次の一手に戸惑いが生まれる。互いに間合いを詰め、引き、幾度も攻防が繰り広げられ、双方の緊張が最高潮に達した。
竜神崎は、今度こそ決着をつけると全力の気迫を込め、心の『刀』を振り下ろした。
(これが拙者の全てでござる…!)
しかし、ジョンはその攻撃を見越していた。
(この一瞬だ…!)
竜神崎の『刀』がジョンの胸元を捉えたかと思ったその時、ジョンがあえて左腕で一撃を受け、その一瞬で懐に入り込んでいた。竜神崎は驚きの表情を浮かべ、次の瞬間にはジョンの『銃』が自分の胸元に突きつけられていることに気づいた。
(肉を切らせて、骨を断つってな。お前の国の言葉だろう?サムライボーイ。)
竜神崎は息を呑み、すべてを悟った。自分が振り下ろしたはずの『刀』は、目の前の男には通じなかった。彼は、冷静なまなざしで見つめるジョンの前に、静かにうなだれた。
その間わずかに数秒。
「ま、負けました…」
初めての敗北の味に、竜神崎の胸には悔しさと、深い敬意が入り混じっていた。
その声には、初めての敗北の苦さが滲んでいた。竜神崎は目を伏せ、拳を握りしめたまま悔しさを抑え込む。傍らにいた教授は、竜神崎の早々の敗北に驚き、目を見開いた。
「え…?君のグループ、もう終わったのか?竜神崎君…もう交渉負けたの?早いね…」
しかし、竜神崎は教授の言葉には目もくれず、胸の奥で渦巻く悔しさを嚙み締めていた。ジョンの底知れぬ実力、冷静な判断力と鋭い視線。まさに、異国の戦場で通用するのは、自らの信念だけでは足りぬのだと痛感させられた。
「一瞬の勝負、決着…負けた。しかし、これがビジネススクールの戦いであり、奥深さなのか…」
その一言に、竜神崎の胸に燃え上がる闘志が再び灯されていく。視線を上げると、ジョンがにやりと余裕の表情を浮かべて見下ろしていた。その笑みは、挑戦を待ち受けるような、どこか楽しげな色を帯びていた。
「いい度胸じゃねえか。嫌いじゃない。挑戦ならいつでも受けて立つぜー!」
ジョンの言葉には、竜神崎への見込みと、どこか挑発の響きが含まれていた。しかし、竜神崎の心にはもはや恐れはなかった。敗北の屈辱が、彼の中に眠る誇りを目覚めさせ、新たな戦いへの意欲を燃やし始めていた。
(ジョンよ、いかにこの異国の地であろうとも、拙者は武士の誇りを貫き通す!この新たな戦場で、己を高めてみせる…!)
竜神崎は強い決意を胸に、異国での挑戦を改めて心に誓った。その覚悟に応えるように、ジョンはふと目を細め、飄々とした笑みを浮かべる。
「またいつでも相手になってやるよ。それまで、お前も精進することだな。」
その瞬間、竜神崎はジョンとの戦いの日々がこれからも続くことを確信した。屈辱を超えた先には、新たな誇りと覚悟が待っている。己を成長させ、いつかこの男を越えてみせると心に誓いながら、竜神崎は異国の戦場に立つ決意を固めたのだった。
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竜神崎とジョンが言葉を交わす中、周囲のクラスメイトたちはその様子を遠巻きに見守っていた。異様な空気を醸し出す二人に、彼らは戸惑いと冷ややかな視線を向けている。
「なんなんだ、この侍とジョンのやりとりは…」
クラスメイトの一人が小声で呆れるように言えば、もう一人が苦笑しながら応じる。
「あんなに熱くなる必要あるのか…」
しかし、そんなクラスメイトたちの視線を気にも留めず、ジョンは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、竜神崎に一歩近づいた。
「負けを認める勇気があるのは、悪くないぜ、サムライボーイ。俺ともう一度やってみるか?」
竜神崎は悔しさで潤んだ目をぬぐいながらも、ジョンの挑発に心が揺さぶられていた。初めての敗北を乗り越えたいという思いが強く湧き上がり、涙を拭いながら、静かに口を開く。
「そ、それがしで良ければ…!」
その言葉に満足げに頷くと、ジョンは静かに手を差し出した。竜神崎も、今度はためらわずにその手をしっかりと握り返す。彼らの握手は、言葉を超えた理解と信頼を感じさせるものだった。こうして竜神崎に、初めて友達ができた…かもしれない。
その様子をみたジョンは、竜神崎を見つめながら、肩をすくめて軽く笑った。
「実はさ、今の戦い、俺なりにSWOT分析ってやつを使ってみたんだよ。」
竜神崎は眉をひそめ、少し驚いた表情でジョンを見返す。
「SWOT分析…?それが、この心理戦にどう役立ったのでござるか?」
ジョンは竜神崎の質問に応えながら、ゆっくりと説明を始めた。
「SWOT分析っていうのは、状況をしっかり見極めて、戦略を立てるための考え方だ。今回の戦いで言えば、俺はまずお前の『強み(Strengths)』と『弱み(Weaknesses)』を冷静に見てみたんだ。」
竜神崎は興味深そうにジョンの話に耳を傾ける。
「お前の強みはその圧倒的な気迫と、武士としての揺るがない誇りだよ。どんな状況でも、お前は堂々と構えているし、その信念の強さは本物だ。でも…逆にその誇りが強すぎることで、挑発や揺さぶりに少し弱い部分も見えた。」
竜神崎は驚きながらも、自分の弱点を指摘されて思わず唇を噛んだ。
「その通りかもしれぬ…」
ジョンはうなずきながら続けた。
「で、次に俺が見つけたのは『機会(Opportunities)』だ。異国のこの場所で、武士としての信念をどこまで通用させられるかっていう迷いがお前の中にあった。その迷いが、お前の集中を一瞬でも崩す隙になると俺は見た。だからこそ、あえて挑発的な視線や余裕の態度で、わざとお前を揺さぶってみたんだ。」
竜神崎はその説明を聞き、悔しさと納得が入り混じった表情でうなずいた。
「なるほど…拙者が感じたその違和感は、貴殿の意図によるものであったか。」
ジョンは軽く笑って、最後に説明を続ける。
「ただ、ここで忘れちゃいけないのが『脅威(Threats)』だ。お前の強さは俺にとっても脅威だったし、もしお前が本気で迷いを捨てて全力で来たら、俺が一瞬でも油断したら勝ち目はなかった。だからこそ、最後までお前に迷わせ続ける必要があったんだ。」
ジョンは竜神崎をまっすぐに見据え、軽く肩をすくめた。
「ってことで、今の勝負はこのSWOT分析で組み立てた戦略を使ってみたわけだ。こうやって相手を知り、状況を見極め、自分の強みを最大限に生かしていくのが、戦い方の一つってわけさ。」
竜神崎は深くうなずき、ジョンの解説を胸に刻むように思いを巡らせた。
「なるほど…この『SWOT分析』、ビジネスだけでなく、こうした心理戦でも使えるとは…拙者も覚えておくでござる。」
そして、授業が終わり、竜神崎は静かに教室を後にした。ふと気づくと、隣にはジョンが自然と歩調を合わせている。二人の間には、もはや緊張や警戒などはなく、穏やかな空気が漂っていた。
「あんた、そんな格好で、んで、どうしてこんなところに来たんだ?」
ジョンが少し興味を抱きながら尋ねる。
竜神崎はジョンの問いに少し考え込むように目を伏せ、再び微笑みを浮かべて答える。
「それは長い話になるでござるが…いずれ語らせていただきたい。」
その答えに、ジョンは口元にわずかに微笑みを浮かべ、軽く頷いた。何も言わずとも通じ合うものがあったのか、二人はそのまま並んで歩き出し、夕暮れに包まれた校内をゆっくりと進んでいく。黄金色に染まる夕陽が彼らの背中を照らし、長く伸びる影が二人の足元を一緒に包み込み、やがて、二人の歩みは静かに遠ざかっていった。
次回 第2話「ディベート編~新たな戦い~」