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一章 第七話

「……いい加減不気味だな」


 一向に疲れない体に対し、さすがの明も不安を隠せなくなってきた。


 何というか、疲れなさ過ぎるのだ。


 人間、ずっと集中していれば頭が疲れるし、体を動かせば息が切れる。それは生物として当然のことだ。


 だが、それが今の明には一切ない。


 もしかしたらランナーズハイなどの疲れを感じない状態なのではないだろうか、とも考えたがすぐに却下した。そんな状態になるほど体も頭も酷使していない。


 自分の体の事だからどの程度やれば息が切れるか、などは大よそながら把握しているつもりだ。しかし、それも無駄になってしまっている。


 以上の事から判断するに、どうやら明の体は非常に疲れにくい体になっている事が分かる。原因理由は一切不明。


(……やっぱあいつに聞くべきだな。いきなり全身動かなくなるとか嫌だし)


 このままの快調を維持し続けて、どこかでそのツケを払わされるのはゴメンだった。


 その結論を出すと同時、教室内に間の抜けたチャイムの音が響く。それは明が本日四回目となる終業のチャイムであり、つまり昼休みの始まりである。


 明が自作の弁当を持って席を立とうとすると、視界に影が差す。しかも明に用があるらしく、その場から動かない。


 怪訝に思った明が顔を上げる。そこにはどんなに寝ぼけている奴でも一発で目を覚ますほどの美少女が仁王立ちして、恐怖すら感じる無表情でこちらを見下ろしていた。


「……あー、マルトリッツさん?」


 こちらから話しかけようとした相手がいたため、出鼻をくじかれる形になってしまう。そのため、明は特に意味もないのに、先を促すような真似をする。


「――話があるわ。ついて来なさい」


「あ、俺も聞きたい事が――うわっ!」


 明は相槌を打って立ち上がろうとしたのだが、キリエに手首を掴まれて無理やり立たされる。男の手とは違う柔らかな手なのに、そこに込められた力は完全に人間を越えていた。これほどの力で握られて腕の骨が折れないとは、と明が感心してしまうほどの力だ。


 そのままズンズンと歩き出したキリエにバランスを崩されながらも何とか食らいつく明。掴まれていない方の手に弁当箱を持っているため、上手く振りほどけないのだ。


 ……それに役得だと思っている自分もどこかにいるのは否定できないため、全力で振りほどこうとも思ってないのだが。


 明は教室の方から聞こえる野太い男子の怒号と、甲高い女子の悲鳴を耳にしながらキリエの後ろをついて行った。






「……で、言い残す事はある?」


 屋上まで連れて来られ、開口一番がそれだった。


 キリエの瞳は恐ろしいほど剣呑な光を宿し、明らかに裏の人間の顔をしていた。


「……理由を聞いてもいいか? 俺としては訳も分からず殺されるのは遠慮願いたいんだけど」


「……いいわ。何も知らずに死ぬというのも酷だろうし。……もっとも、世の中には知らなかった方が良い事もあるんだけど」


 温情をかけたのか、さらなる絶望を与えに来たのか明にはまったく判断ができなかった。ただ、ここで分かった事は一つ。


 少なくとも、目の前の少女は自分を殺す気でいる事だ。


 いっそここまで殺す気で来られてしまうと清々しい。それに極上の美少女に殺されるのは、男の死に様としてそう悪くない気すらしてしまう。


(……ちょっとカッコ良く考えてみたけど、やっぱ無理だわ)


 せめてこれが極上の美少女の腕の中で死ぬというのなら、まだ救いはあった。むしろ本望。どんと来い。


 しかし、極上の美少女の手によって殺されるのはさすがに遠慮願いたかった。明のちっぽけなプライド的に。


「んで、理由は?」


「……私たち鬼喰らいは鬼を探知できる。それは人によって目に見えたり、臭いに現れたり、ただの第六感だったり様々なんだけど」


 明らかに本題とは違う事を話し始めたキリエ。明は怪訝そうな顔をしながらも、特に突っ込む事なく話に耳を傾ける。


「その中であたしには嗅覚がある。鬼がある程度近くにいれば、その独特の臭気で感知できる」


「……何が言いたいんだよ?」


 明も最初は静かに聞いておくつもりだったのだが、だんだんと言い知れない苛立ちを感じるようになり、やや声を低くして話の腰を折ってしまう。


 無論、すぐに自分がいかにマナー違反な事をしたかに気付いて、自己嫌悪に陥ったが。


 そんな明に対し、キリエは特に怒った様子も見せずに本題に入る。




「――単刀直入に言うわ。今のあんたからは鬼の臭気がする」




「な……」


 明の目が驚愕に見開かれる。だが、明の精神は意外と落ち着いていた。もしかしたら無意識のうちに自分の頭はその答えにたどり着いていたのかもしれない。


「さっき、私は大の大人の骨でも握り潰せる力で腕を握った。それなのに、あんたはロクに痛みすら感じていない。これはハッキリ言って異常よ」


「俺としてはお前がそんな力を発揮できる方に異常性を感じるんだけど……」


 明が力なく突っ込みを入れるが、キリエは人の話を聞かずに己の話を進める。


「んで、これは確認なんだけど。あんた、鬼に襲われた時に傷を負わなかった?」


「あ? ……うん、確かに傷を負った」


 明はその傷があったはずの腕に一瞬だけ視線を向ける。


「どんな傷?」


「腕に横一文字に入るような切り傷」


「……やっぱりね」


 その言葉を聞いて、キリエは何かに確信をもったように何度もうなずく。何やら自己完結しているようだが、何も分からない明としては面白くない。


「……で、何で俺の体から鬼の気配がするっていうんだ? まさかどこかのゲームみたいに細菌感染とか言うんじゃないだろうな」


「あ、それ近いかも」


 適当に言ってみた事がドンピシャだったようだ。明もこれには顔を青くする。


「ってことは……俺の体、近いうちに鬼になるのか!?」


「そうなる可能性が高いわね」


 明にとって聞きたくなかった事実をキリエはサラリと告げてしまう。その無慈悲な答えに対し、明は盛大に舌打ちをして、頭をガシガシとかいた。


「……意外に冷静ね。もっと取り乱すかと思ったけど」


 キリエの予想に反し、落ち着き払った様子の明。その姿にキリエはほんの少しだけ感心したように息を吐いた。


「取り乱してどうにかなるんならいくらでもしてやるよ。だけど、今慌てふためいたってどうにもならんだろ」


「ふぅん、一般人にしては冷静な判断ができるじゃない」


「そりゃどうも。……こっちからの質問だ。俺みたいな奴は他にもいるのか?」


 キリエの口ぶりから判断するに、自分と同じような境遇の存在がいる事は明らかだった。ならば、そこから何かヒントが見出せるかもしれない。


「……厳密に言えば、あんたは初めて見る類ね。あんたみたいに鬼に傷つけられた一般人って言うのは普通に存在する。でも、そいつらはすぐに鬼になった。一人残らず、ね」


「……ゾッとしねぇな」


 あのおぞましい姿になるなど、想像すらしたくなかった。それでもつい想像してしまい、両腕に浮き上がってしまった鳥肌をさする。


「でも、あんたは違う。襲われてから三日経っているのに未だにピンピンしている。あたしにはそれが分からない。あんたの体で何が起こっている……?」


「俺が聞きたいよそれは……。今日一日、やたらと体が軽いし」


「それ、詳しく聞かせて」


 明が何気なくつぶやいた一言にキリエが過剰とも思える反応をする。


「こ、言葉通りだけど。朝に弱い俺が異様にスッキリ目覚めるし、授業に集中しても全然疲れないし」


 身を乗り出して聞いてくるキリエにやや慌てながらも、キッチリ説明をする。それを聞いたキリエは何やらブツブツと独り言をつぶやきながら、明の顔をチラチラと見る。


 自分の問題を他人に丸投げするのもいかがなものかと思った明も思索にふけり、現状で分かっている事を整理する。


(こいつの言葉を信じるなら、今の俺からは鬼の臭いがしている。原因はおそらくあの時付けられた引っかき傷だ。黒い染みみたいなの広がってたし。

 だけど、そうやって感染……でいいのかな? した奴はみんなすぐに鬼になっており、俺のような奴は今まで見た事がない。そして今の俺はやたらと体調が良く、体が軽い。これらから鑑みるに……)


 思考をまとめ終わった明とキリエの言葉は同時に発せられた。




『もしかして、徐々に鬼になっている?』




「……同じ結論に至ったみたいだな」


「ええ。確信は持てないけど、おそらくそれが一番答えに近い」


 お互いに顔を見合せながらうなずき合う。先に顔をそらしたのは明の方だった。


「だが、それが分かったところでどうしようもないだろ。結局、鬼になるスピードが遅くなるだけで」


 お手上げだと言わんばかりに両手を上げ、屋上の地面に倒れ込む。頭上から降り注ぐ日光に目を細めながら、手慰みに弁当の包み布を開ける。


「そうでもないわよ。結構いろいろな事が分かるわ」


 対照的にキリエは力強く笑っていた。あまりに獰猛な笑みだったので、明が一歩引いてしまうくらいに。


「ちょっと話が遠くなるけど、昨日の説明をもう少し細かくさせてもらうわね」


「うん? まだ何かあったのか?」


「というより、鬼喰らいの仕組みと鬼の発生メカニズムと生態について。まっ、鬼に関してはほとんど分かってないんだけどね」


 そう言ってからからとキリエは笑うが、割と重要そうな話の雰囲気がしたので、明は上手く笑えなかった。


「まず、鬼に関してだけど……出現する方は人型をしているって事くらいね。これに例外はないわ」


「……まあ、何もかも分かっていたら今でも戦うわけないしな」


 遥か昔から鬼、またはそれに類するバケモノに関しては何も分かっていないらしい。分かっていたらキリエはこんなところにいないだろうし、明も襲われる事はなかったはずだ。


「ただ、鬼に襲われた一般人の末路は二つ。頭からかじられて即死するか、不幸(、、、)にもかすり傷を負って鬼の仲間入りを果たすか」


「…………」


 あまりにも残酷な現実に明は黙り込むしかない。自分の未来はどうなるのだろう、という一抹の不安も抱く。


「一般人から鬼に変わった奴だって鬼である事に変わりはないわ。あたしたちは――容赦しない」


「うーん……それは分かったけど、やっぱり根源を絶たないと話にならないのか?」


 説明を受けた明が抱いて当然の質問をする。


「そりゃそうよ。だけどそっちは不可能。それができてたらとっくに鬼はこの世から消えてるわよ」


 返ってきた言葉は実に厳しい現実を如実に表していた。鬼と長年戦っているのは元が絶てなかったに他ならない。


 だろうな、と相槌を打ってキリエに話の続きを促す。


「鬼に対抗すべく、人間の一部が進化を遂げた。そこで生まれたのがあたしたち鬼喰らい。簡単に言ってしまえば一般人の体を鬼に変える“何か”に対してある程度の抵抗ができる奴の事をそう呼ぶわ。

 ちなみに特異な能力に異常な身体能力を持っているのも、その鬼の因子に対して存在する抗体に関係があるって言われてる。根拠はないけど。

 ……まあ、科学的な調査をしてもあたしたちが普通の人間と変わらない構造をしてる事しか分からなかったから、案外オカルト的なものも入っているのかも」


 いっぺんに説明されたため、明の頭の中には様々な単語がひしめいていたが、澄み渡っている思考のおかげでかろうじて理解する事ができた。この時ばかりは鬼になりかけている己の頭に感謝した。


「あ、それと鬼喰らいの能力っていうのは自分の子供に受け継がれるパターンが多いから、代々続いている名家の人とかはそういうの知ってるかもしれないわよ」


「……マジかよ」


 代々続いていそうな家は明もいくつか知っていた。なにぶん田舎なのだ。そう言った家も見かけないわけじゃない。


 その人たちが裏の世界――鬼が跳梁跋扈する世界を知っているかもしれない。一見何の変哲もない人でさえ。


「……表裏一体ってやつか」


「近いけど違うわね。裏と表にはキチンとした壁があるわ。ただ――」


 そこで言葉を切ったキリエがすっと明の顔に己の顔を寄せる。


 唇と唇が触れそうになる距離まで近づき、そこで止まる。




「――その壁は、今のあたしたちの距離のように薄い」




 ゾッとするほど綺麗で、ゾッとするほど酷薄な笑顔で告げられた。


「……実際、今のあんたは裏の世界に半歩足を踏み入れかかっているからね」


「本人の都合無視してな」


「人生なんてそんなもんよ」


 同い年に人生を諭され、どうにも格好がつかない明。だが、今さら取り繕うのもみじめな気がするため、黙っておく事しかできなかった。


「話がそれたわね。今はあんたの体について調べるのが先」


「……具体的にはどうすんだよ」


「研究者側の専門家を呼ぶ、と言いたいところだけど……いつ来るか分からないのが難点なのよねえ……」


 日本の組織なんて良く知らないし、と愚痴を吐くキリエを見て、明は不謹慎だと分かっていながら苦笑してしまう。この少女はまた自分の命を救ってくれるかもしれないのだ。


 恩が増えていくばかりだった。この恩はどうやれば返せるのだろう、と明が悩んでしまうくらいに。


「とりあえず呼ぶは呼ぶけど、しばらくはあたしと一緒にいなさい。あたしがそばにいた方が何かと対処し易いだろうから」


「うん、それは賛成」


 自分一人が鬼になって自滅するならまだしも、商店街などで鬼になってしまったらそれこそ目も当てられない。もちろん全力で抵抗するが、もしもの時を考えておくのは悪い事じゃない。


 ……この時の明は鬼やら何やらと裏の世界の事で頭がいっぱいになっていたため、キリエと一緒にいるという事がどういう事か良く考えていなかった。


「そしてもし、万が一、あんたがあたしの目の前で鬼になった場合――」


 キリエはそこで言葉を切り、瞑目する。そして次の瞬間に開けられ、明の運命を決める言葉を発した。




「――あんたはあたしが喰うわ」

このセリフがようやく言えました。タイトルの意味はこれに集約されます。


ようやくですが、ここから物語が動き始めます。お付き合いください。

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