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一章 第六話

「ふわ……」


 カバのように大きなあくびをしながら、明は学校への道を急いでいた。


 昨日の今日で遅刻する真似はさすがにしない。これ以上連続で遅刻するのは楪の逆鱗に触れる事と同義。


「うーん……。おかしいな」


 そのため、いつもより早く起きて早く出かけているのだが、明は体の違和感に首をかしげていた。


 明はどちらかと言うと朝に弱い方なので、早起きなどは苦手な部類に入る。実際にやるといつまで経っても眠気が取れず、非常に苦労するのが通例だ。


 だが、今日に限っては例外だった。


 いやに頭がスッキリしているのだ。おまけに体もやたらと軽い。


 昨日の就寝時刻を思い出すが、いつも通りだった。そしていつもより早く起きたのだから、睡眠時間は必然的に少なくなっている。


 というのに、明の頭に重たい眠気は存在しなかった。これは普通ではない。


「……病気?」


 自分で言って、即座にその考えはないと放棄した。体の調子がやたらと良くなる病気なんてこの世に存在するはずがない。あってもそれは病気と呼ばれて良い物ではない。


(体の調子が良いのは悪い事じゃないけど……。原因が分からないのはなあ……)


 病院で精密検査してもらった方が良いのだろうか、と明は己の体を心配してみる。


(……まあ、ヤバいと思ったらでいいだろ。今のところ害があるわけでもなし)


 だが、特にデメリットがあるわけでもないので、明は気にしない事にした。儲け物とでも思っておけば気分も楽になる。


 朝からの悩みごとにようやく決着をつけ、明は大きく伸びをする。少しばかり早く出過ぎたのかあまり人もおらず、明としても余裕を持って歩いていける。


 精神状態は平時と同じなのに羽のように軽い体を動かしながら、明は学校へ向かった。






 学校には一番に到着した明。やる事もなく暇を持て余していると、ドアが開いてそこから聞き慣れた声がした。


「おはよう。……ってあれ? 草木?」


 明の友人にして極度の貧乏性(本人いわくエコロジスト)な三上の姿がそこにあり、何やら不思議そうに眼を見開いている。


「んだよ。俺が早く来るのがそんなにおかしいか」


「いや、その……まあ、うん」


「正直者は早死にするぞ」


「不吉な事言うなよ! そして拳を握りしめるな! なんか尋常じゃない力が集まってるだろ!?」


 明がボソッと言ったセリフに三上が反応する。視線が明の右拳に集中しており、明もそちらに視線を向けると、何だかやたらと力のこもった拳があった。


「あ、悪い悪い。どうやら無意識に殴りたくなってたみたいだ」


 拳を解いて、ひらひらと振る。三上はそれを見てようやく安心したように明の対面に座った。


「んで、今日に限って何でまた早く登校なんか……ほぅ」


 聞こうと思ったのだが、途中で答えを見つけたらしく、ニヤリといやらしい笑みを浮かべる三上。


 それを見た明は壮絶に嫌な予感を感じ、すぐさま否定にかかった。


「待った。断言してやるが、その自己完結は絶対に違う」


「照れんなよー。男なら誰だってあんな可愛い子と付き合ってみたいもんだって」


 昨日、成り行きとはいえ一緒に帰ったと言ったら、目の前の友人はどう思うのだろうかひどく気になる明。


「……はぁ、何言っても無駄そうだな。それでいいよ」


「な、何だよその投げやりな答え方。まるで自分は俺たち平民とは違うとでも言いたげだなテメェ!」


 朝早くに登校したからこんな目に遭っているんだ、と早起きは三文の徳説を全力で否定しつつ、明は三上の対応に追われる。この年頃の男の扱いは非常に難しい。


 ……単純に三上のテンションが高いだけかもしれないが。彼も普通の青年男子らしく、恋愛には興味津津のお年頃なのだ。


「被害妄想だろ……」


 そんな三上の怒りを明はげんなりしながら受け流す。


「被害妄想? いいや違う! お前、マルトリッツさんと何かあったろ!」


 断言の形を持って言われた事に、明は心臓が飛び跳ねる思いをした。


「……何でそう思うんだ?」


 しかし、ここで焦ってしまっては相手の思うつぼ。腹筋にグッと力を入れて体が震えるのを防ぎ、なるべく平静な声で聞き返す。


「だってお前、昨日から変だぞ。留学生が来る日に遅刻してくるし、遅刻したあともずっと寝てたし」


「う……」


 三上の鋭い指摘に思わずうなってしまう。それほどに三上の言った事は正鵠を射ており、普段の明の行動からすれば考えられない事なのだ。


 明が遅刻するのは別段珍しくはない。彼が朝に弱いのは楪でさえ知っているほどの周知の事実だ。


 明自身、遅刻が悪い事だというのは当然自覚している。そのため、遅刻してきた後の授業には全力で取り組むし、与えられる罰も黙々とこなす。


 そんな明が遅刻をして、その後の授業も寝て過ごすような真似をするのは異常なのだ。


「それに昨日の遅刻に関して、姐さんは何も言及してないしな……。やっぱお前、何かあったんだろ?」


 そう締めくくり、明に対して人差し指を突きつける。


 マナー違反だぞ、と突っ込みたいところだが、ほぼ事実を突いている三上の言葉に明は冷や汗を流すことしかできなかった。どうやら彼の頭脳を少し見くびり過ぎていたようだ。


「……待て。姐さんって誰だ?」


 ごまかしも兼ねて明は三上の言葉で気になった部分を聞いてみる。これで話がそれてくれるなら御の字だった。


「知らねえの? ウチの先生だよ。あの人、姉御って雰囲気がピッタリだし、本人も認めてるぞ」


「マジかよ……」


 初耳だった明は呆れたような驚いたような変な声を出した。三上の言っている事にも一理あるが、自分はずっと楪先生で通してきたため、自分だけが流行に乗り遅れた感じがしてしまう。


「これでお前の質問には答えたな。次はこっちの質問にも答えてもらうぜ」


 口をいやらしい笑みの形に歪めた三上の姿は、やたらと悪人らしかった。そして墓穴を掘った事に気付いた明は顔を屈辱にしかめていた。


「……まあ、何かあったと言えばあったな」


「判決、死刑」


 明からその言葉を聞いた瞬間、一気に無表情になった三上が冷たく告げる。そして手元には何やら赤黒い染みが付いている金槌が握られていた。


「待て! 今何もかも吹っ飛ばして結論に行っただろ! というかどんな過程を辿ってその結論に至った!?」


 シャレにならない命の危険を感じた明は椅子を蹴って立ち上がり、後ろに下がる。一歩分、明が稼いだ距離を三上が歩み寄ってなくす。


「……何があった? 内容によっては頭をかち割るから喉を潰すに変えてやっても良い」


「いや、それどっちにしろ死ぬんじゃ――待った。話す。話すからその手にあるものをまずは収めろ。心臓に悪い」


 思わず突っ込みを入れてしまう明だが、三上が無言で金槌を振り上げたため、慌てて前言を撤回する。


「ったく……別に聞いたって面白くもないと思うんだけど」


「それは俺が判断する。さあ言え。事と次第によってはお前でも絶交だからな」


「女一人絡んだだけで絶交するのかよ……。マルトリッツさんの迎えに行ってたんだよ」


 男同士の友情とはかくも脆いものか、と悲嘆の涙を心中で流しながら明は素直に言ってしまう。説明さえすれば問題のない部分だけを言えばいいのだ。


 特に彼女との会話の中には一般人に対して聞かせられないような内容まである。少なくともそちらは死守しなければ、と内心で決意する。


「……ふむ、それで?」


 一見冷静に見える三上だが、金槌を握っている手は小刻みに震えており、色々な感情を抑えつけている事がありありと理解できた。


「ほ、ほら、この学校、駅からは結構遠いだろ? それに留学生って言うんだから当然外国人。見知らぬ異国の地に一人放り出すより、誰か一人くらい案内役をやるべきだ、って事で先生から頼まれたんだ。昨日の遅刻はそのため」


 はた目から見ていても分かる怒気に気圧され、声が上擦りながらも明は説明をする。それを三上は神妙な顔つきで聞いていた。


「……なるほど。確かにそれなら仕方がない」


 実際は楪に頼まれて行ったので、細かい理由までは聞いていない。よって、明が言ったのはその場しのぎで並べ立てた適当なものだ。


 とはいえ、一応の筋は通っているため、三上も納得したようにうなずく。明は難を逃れたと安堵し――


「だがっ!」


 クワァッ! と目を見開いた三上の姿を見て、その安堵が偽りのものであった事に気付く。


「何で! お前が! そんな! 美味しい! 役回りを! やれるんだ!」


「一言一言区切るなうっとうしい。……美味しい役回りかどうかは知らんが、一昨日遅刻した時に先生に頼まれたんだ。……それに美味しい役回り? 冗談じゃねえぞ。何が悲しくてクソ暑い中、一時間半も待ちぼうけ食らわなきゃならねえんだよ」


 言ってて自分でも腹が立ってきたのか、明の口調がだんだん荒荒しいものになっていく。今まで殺気立っていた三上もその雰囲気に圧されてしまう。


「そ、それは……苦労したんだな」


「……んで、気は済んだか?」


「あ、ああ。さっきは気が立ってたみたいだな。悪い」


 三上は完全に矛を収め、今までの自分を省みて明に謝罪する。明はそれを疲れた様子で受け取り、ぞんざいに手を振った。


「俺も似たようなもんだからいいけどさ。……あ」


 明の視線がわずかに見開かれる。三上は怪訝そうな表情で明の視線を追う。


 そこには先ほどまで二人の話題の中心であったキリエの姿があった。どうやら二人で話している間に結構な時間が過ぎていたようだ。


 三上の視線はそちらに釘付けになり、顔を真っ赤にしてあうあうと意味の取れない言葉をつぶやいていた。朝の挨拶をしたいのだが、キリエの人間離れした美貌を前にはそれもできない。


 そんな本番に弱いタイプである三上とは対照的に、明は特に気負った様子もなく会釈する。


 それに気付いたキリエも軽く会釈をして、自分の席に着く。


「な、なあなあ! 今、こっちに向かって会釈したよな!? な!?」


 キリエの会釈が自分に向けられたものと勘違いした三上が、明の襟元を掴んでまくし上げてきた。


「と、とりあえず挨拶はされたんじゃないか?」


 いや、あれは俺に向かってしたんじゃないか? とこの場面で言えるほど明は度胸があるわけではない。というよりも、それはただの空気が読めない奴だ。


「そっかぁ……俺にもチャンスはあるって事だよな! な!」


「そうなんじゃないか?」


 明は当たり障りのない答え方をして、あやふやに流してしまう。それを三上はかなり前向きに受け取ったらしく、ガッツポーズまで取っていた。


 三上の方は何やら神頼みまでしているらしく、ひざまずいて何かに一心不乱に祈っている。そこまでして彼女とは欲しいものなのだろうか、と明はほんの少し疑問に思った。


 神頼みをしているバカと同類に見られたくない明は三上から距離を取りつつ、それとなしにキリエの方を目で追う。


 ……案の定、冷たい目でこちらを見ていた。


 すでに自分はこのバカと同類に見られているのか、と軽く落ち込む。


「……ふぅ」


 などとこのような事をやっても、体の快調は治らない。調子が良いのだから治らない方が良いのだが、さすがに一昨日に非日常の世界を覗き込んだ明としては素直に喜べない。


「……相談してみようかな。まだ聞きたい事もあったし」


 思い立ったが吉日、と自分で蹴倒してしまった椅子を元に戻し、キリエの方に向かう。


「おーすお前ら席につけー。楽しいホームルームの時間だぞー」


 そこでタイミングよく表れる楪。もはや狙っているとしか思えないタイミングである。


「……時間はあるし、放課後でも良いだろ」


 自分に言い聞かせ、明は席に座り直す。不安な快調を抱えたまま。


 なぜかキリエがこちらを見て驚いたような顔をしたのが気になったが、確認に行ける状況ではないのでグッと堪え、我慢した。


 ――昼休み。昼休みになったら聞きに行こう。


 そう決心した明は、体感時間だけでも授業を早めに終わらせるべく、いつもより冴え渡っている頭をフル回転させて授業に集中していった。

このあたりから物語が展開し始めます。そして次話でタイトルの意味も分かると思います。


それにしても日常パートのキャラは意外に動かしやすい……。もう少し癖を強くしておくべきだったか……。

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