五章 第七話
『言っている事の理解がやや難しいが……、概ね正解だと言っておこう。我は今より後の世界でお前と会っている。もっとも、その時は腕だけだがな……』
「やっぱり……」
「え? え? どういう事?」
一人納得する明だが、キリエはそれについて来れないようで明と鬼の方を交互に見比べている。
「つまりだな……。あいつのいる空間は俺たちの生きている時間が流れていないのさ。ちっと難しい説明になるけど……、これで何とか理解してくれ」
「えっと……。あ! そうか! こいつがあたしたちと同じ感覚で動いてるわけじゃないって事ね!? あいつらのいる世界がこっちと同じ時間感覚で流れているかなんて分からないからこれが正解じゃない!?」
キリエが手を合わせて言っている事が正解である。明はうなずき、再び顔を上げた。
「……だったら、何であんな事をした! 俺たちを食料とみなすのは一応理解ができる! だけど、あれだけは理解ができない! 俺たちを滅ぼしたら、それこそ食料がなくなって共倒れするだけだぞ!」
当然、明も食糧にされるつもりは毛頭ない。理解できるだけで納得などは一欠片たりともしていない。
『ふん……簡単な事だ。わざわざ説明するまでもないと思うが……』
――ただの暇潰しだよ。
「…………あ?」
その一言に明は地獄の底から響くような低い声を出す。この時の声だけは誰にも負けない迫力が漂っていた。
『何も人間はあそこに全ているわけではない。少しくらい減らしてもすぐ増える。ならばあのような小さな島国一つ、どうなっても良いだろう?』
「……お前の名前は?」
怒りを押し殺した声で明が問う。その瞳にはすでに激情の炎が揺らめいていた。
『呼び方など存在せぬ。我は我で一つの完成した固体だからな』
ゆえに他者との区別である名前は必要ではない。明はそう解釈し、その解釈は正しかった。
「じゃあ……テメェはただの鬼だ! 俺たち鬼喰らいに喰われる――ただの鬼だ!」
みなぎる殺意を胸に、明は鬼に向かって駆け出した。
『ふん……矮小な人間が我に勝てるとでも?』
鬼は迎撃の右拳をゆっくり振り上げ、そして重力を味方につけて振り下ろした。
出がハッキリ見えた攻撃なので、明に避ける事は容易だった。大きく弧を描くように移動してそれを難なく避ける。
だが、その後にあった地面を揺らす振動までは防ぎようがなかった。
「くそっ……」
足場が揺れ、足を止めざるを得なくなる。そこへ鬼の左手が羽虫を薙ぎ払うように振るわれる。
明はそれを真上に跳躍する事で回避に成功したが、鬼の手は止まらない。そして左手の描く軌道は明と同じように身動きの取れないキリエを吹き飛ばすように描かれていた。
「このっ!」
キリエが危ない事に気付いた明は空中で体を大きく横回転させ、その反動で腕を伸ばす。
「え? キャアッ!?」
キリエはキリエで自分に迫り来る腕を何とかしようとしていたらしく、後ろから急に迫った腕に対応し切れず可愛らしい悲鳴を上げ、明の手の中に収まった。
「ドンピシャ!」
明がキリエを狙って放った拳は開かれ、キリエを包み込むように上へ放り投げる。その数瞬の後に鬼の左手が振るわれた。
「イヤアアアアアアアアァァァァァ…………」
ドップラー効果でだんだんと遠くなる声を聞きながら、明は地面に着地する。
キリエは大丈夫だろうと自分に言い聞かせつつ、明は再び鬼に向かって突撃を仕掛けた。
(まともに突っ込んでもダメージは与えられない。ならどうする!?)
以前行った内部破壊が現実的な策ではあるが、あの巨体を相手に行うには少しばかり難易度が高過ぎた。
おそらく、馬鹿正直に真正面から行っても迎撃されておしまいだろう。
しかし、一点集中による攻撃も期待はできそうになかった。奴の再生力は十中八九明を上回る。わずかな傷などたちどころに治してしまうはずだ。
(やっぱり現実的じゃないけど内部破壊が一番倒せる可能性がある! ……それしかない!)
先ほどの攻撃で正攻法は無駄である事を嫌というほど思い知らされた。ならば、不可能を可能に変えてしまうしか活路はない。
「オオオオオオオオオオオオォォォォッ!!」
足もとまで潜り込んだ明は筋肉のわずかな隆起に足をかけて、ほぼ垂直に足のみで駆け上がる。
『ふん……、無駄だ!』
そんな明を鬼は羽虫でも払うように手で叩き潰そうとする。
「負けるかってんだ!」
明は自分に向かってきた腕に逆にしがみつき、今度は手も使って四つん這いに近い体勢で上に向かって進む。
しかし、肩のあたりまで進んだところで問題が発生した。
『ええい、ちょこまかと……! こざかしい!』
鬼の顔が明の方を向き、大きく口を開けると――
「ウオオオォォォッ!?」
――息を吐いたのだ。
その息は小さな存在である明には強力極まりない風となった。鬼の皮膚に爪を立てて耐えようとしたが、あえなく吹き飛ばされてしまう。
「アアアアアアアアアアアァァァ………………」
吹き飛ばされる明の視界にキリエが映る。どうやら未だに空の上を飛んでいたようだ。
人間の体って結構飛ぶんだな、とキリエを上に放り投げた元凶である明は他人事のように思いながら、一応の情けで助けようと手を伸ばした。
伸ばした腕が折れるかと思うほどすさまじい重圧がかかり(実際普通の人間の腕なら粉々になっている)、キリエが明の腕に収まる。
「あ、あ、あ、あんたねえ! あ、あた、あたしを殺すつもり!?」
何度も噛みながら明に文句を言うキリエ。よほど怖かったらしく、涙目になっていた。
「お前なら何とかできただろ」
明はキリエを泣かせかけてしまった事に少しだけ罪悪感を持つが、それよりもあれくらいの状況を打破できないキリエに首をかしげていた。
「できるわけないでしょあんな高いところで!」
正論だった。明もさすがに無茶させ過ぎたかと反省する。
「悪かったよ。……悪かったついでにこの状況を打破する方法を教えてくれ。このままじゃどこか遠い場所に吹き飛ばされる」
ちなみに二人とも、未だに吹き飛ばされたままである。
「そんなの、あんたが片手を適当な木に引っかければ良いだけじゃない」
「うん、すでにやってる」
キリエが視線を落とすと、そこには伸ばされた明の腕が木々を次々と薙ぎ払っているのが見えた。どうやら、木では支えにすらならないほどの速度で吹き飛ばされているらしい。
「ど、どうするのよ!? このままじゃどこ行くのあたしたち!? まさか外国!? 外国まで行くわけ!?」
「落ち着け! こっから海まで飛ばされるわけあるか!」
慌てふためくキリエを見て、助けたのは間違いではないだろうかと思い始めてしまう明。
こいつは追い込んだ方が力を発揮するタイプだな、と明はキリエの性質を決めつけてとりあえず放り投げようとする。そこでようやく二人の勢いが弱まった。
「お、もうすぐ落ちる……ぞ」
勢いが弱まった事に明は快哉を上げ、同時に落ちる場所を予測すべく下に視線を向ける。
そこに広がっていたのは明たちがこの時代に来た際にいた湖だった。空中から見ると、意外に大きい事が分かる。
「水の中ね。これなら安全じゃない?」
キリエは気楽にそう言うが、明は全身から冷や汗を流していた。
(確か水って一定以上の速度でぶつかるとすごく固くなるって聞いた事が……)
明の脳裏に浮かぶのは水圧を高めてダイヤモンドさえも切り裂いてしまうウォーターカッター。あれは一点に集中させた結果だが、全身をこれだけの速度で叩きつけられたら、切り裂かれるダイヤモンドと似たような運命を辿ってしまうのではないだろうか。
そこまで考え、明はようやく自分たちの置かれている状況がヤバい事を理解する。
「このっ!」
勢いを弱めるために使っていた右手を元に戻し、再び伸ばす。ただし、その方向は湖に向けて、だ。
「アキラ、何やってんの!? ってそれよりあいつ追撃して来てるわよ!」
キリエは明の突拍子もない行動に驚かされるが、同時に鬼がこちらに向かってきている事にも驚いてしまう。
「悪いけどそっちは何とかしてくれ! 俺は何とか着水してみる!」
明はそれだけ答えて、湖に右腕を入れる。当然、抜き手のように鋭くして少しでも水の抵抗を和らげてからだ。
「っつぅ……!」
それでも引き攣るような痛みが明の腕に走る。だが、この程度の痛みは肩がひしゃげた時に比べればなんて事はない。
歯を食い縛って痛みに耐えながら、腕を伸ばし続けて水底の岩を掴んだ。
「よし、あとはこれを持ち上げて……!」
明が力を込めると、右手の中にある岩が浮く気配があった。その手応えに明は頬を釣り上げて笑いながら、右腕を引き抜く。
右手に掴んだ岩を再び水面に放り投げ、激しく打ち付ける。岩が水面を揺らし、ほんのわずかな間ではあるが湖に浮かび上がった。
明はその岩に足から着地する。キリエに衝撃がいかないように考慮しながらの着地だったので、足に来る衝撃を逃し切れず、脳天まで衝撃が走る。
「がぁ……っ」
当然、明の足は耐え切れずに折れている。猛烈な痛みが明の足に走り、意識が白濁してしまう。だが、キリエの重さが左腕にある事を支えに意識は失わない。
「……このっ」
さらに明は大きく跳躍し、沈み始めた岩から脱出する事までやってのけた。その足にどれだけの痛みが走っているのか。
人間ならショック死してしまうほどの痛みでさすがの明も着地まではできず、キリエとともに地面を転がる。
「アキラ、少し我慢しなさい。ここはいったん隠れるわよ」
「ああ……任せた」
キリエは鬼への牽制に撃っていた銃をしまい、明の体をかついで森の中に身をひそめる。
「大丈夫? さっきはあたしも少し冷静じゃなかったわ。今応急処置をする――」
「必要ない」
折れた足を固定する添え木を探そうとしたキリエだが、その前に明が制止した。キリエは何か言おうと口を開くが、同時に明の足に目がいってしまい、目を見開く。
「あんた、それ……」
そこにはすでに治り切った明の足があったのだ。
「どういう事!? いくらあんたが鬼に近づいてるからってこれはあり得ないわよ!」
「……まあ、少しばかり力の使い方が理解できてるって事さ。それより、良いアイデアがある。一口乗らないか?」
キリエの詰問を軽く受け流し、明は強気な笑みを見せた。その笑みにどこか無理をしている感じがある事をキリエは見逃さなかったが、聞いても答えてくれる雰囲気ではなかった。
「……なに?」
「内容は簡単だ。……って、なんかこの前も言った気がするな。まあそれはさておき……。今、ここには誰がいると思う?」
「誰って……あたしとあんたしかいないけど?」
キリエは明の言いたい事が分からず、不思議そうにした。
「そう、俺とお前がいる。……あとは分かるだろ?」
あの夏の日以来、ずっと一緒に走り続けた二人だ。言うべき言葉は必要なかった。
「……ええ、そうね! やる事は簡単、あたしとあんたであいつを倒す! 方法は――」
――あたしたちがいるから大丈夫! 何とかなる!
どうも、こうして後書きに出るのは久しぶりです。
……活動報告にも載せましたが、ストックは完成しました。この物語も残り四日ほどで完結になります。
まあ、細々した事は完結した際に全てまとめたいと思いますので、今日は短めですがこれで失礼させていただきます。
最後までよろしくお願いします!