一章 第四話
キリエが表情を変えただけで、明は教室内の空気が一気に冷えたような錯覚を覚える。
――なるほど。これが強者の気配ってやつか。
よく漫画などで言われている事だ。まさかそれを現実で、それも我が身を持って受ける事になるとは明も思わなかったが。
背筋にジットリと嫌な汗が流れるのを感じながら、明はキリエと相対する。
「……確認だ。今のアンタは、自分が答えられる範囲であれば何でも答えるんだな?」
「答えはイエスよ」
「じゃあ、あれは何だ? お前さんは何者だ? あいつを倒した技は何だ? あと、お前の後ろには何の組織がいる?」
言質を取った明の口から質問が流れ出る。自身でもまくし立て過ぎだと分かっているのだが、口が止まらない。
「質問は一つずつ」
「……悪い。最初の方から頼む」
「あれは何、か……。あたしたちがどんな呼び方をしているのか、という質問ね」
「ああ」
キリエの確認を取るような口ぶりに明も答えを返す。
「あれは……統一された名前を持ってないわ」
「どういう意味だ?」
答えていないとも取れる返事に明が低い声を出す。今まではぐらかされ続けたため、彼の沸点も低くなっているらしい。
「場所によって呼ばれ方に違いがあるのよ。あいつらの特徴って角と爪だからね。古今東西、世界中を見てもそれっぽいバケモノはいると思わない?」
「それは……確かに」
明は意図せずに鬼と呼んだが、鬼とは角や爪があって皮膚の色が違う――つまるところ人間とは違う人型を日本人が鬼と呼んでいるだけだ。
「参考までに言っておくけど、ドイツじゃデーモンって呼ばれてたわ。ちなみに日本なら鬼」
他の国ではなんて呼ばれているのか気になったが、明はグッと堪える。ここで聞いて良い質問としては重要度が低すぎる。
「……何で統一されないんだ? 呼び方の統一ぐらいしておかないと、何かと不便じゃないか?」
「あたしたちって、あんま他との連携取らないのよ。大概が神出鬼没だし、自分たちが自分たちの縄張り守るので精いっぱい」
「そんな頻繁に呼ばれるのか? おかしいだろ。だったら警察沙汰になる」
「理由はさっき言った通り。神出鬼没。これに尽きるわね。どこに出るか分からないということはいつ、どこに、どのくらいの規模で出るのかまったく予測ができないって事。そんな状況でうかつに人員を動かせると思う?」
明はしばし考え、そして首を横に振った。もし彼がそう言った組織の長であるなら、絶対に人を遠くにはやらない。まして強い奴ならなおさらだ。
だが、そう考えるとまた別の疑問がわき上がる。
「……あれ? それじゃ、何でお前はここにいるんだ? ドイツ出身だろ?」
「……放り出されたのよ」
明はふと思いついた疑問を言ってみただけなのだが、キリエにとってはそれが痛いところだったらしく、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「放り出された? ……何か問題行動でも起こしたのか?」
「あんたに話す事じゃないわ」
今までの拒否とは色が違っていた。これは聞かない方が良いと判断した明はそれ以上の追及をやめ、次の質問に移った。
「……次の質問の答え、聞いてもいいか?」
話が変わったので、キリエも気持ちを切り替えて明の質問を待つ。
「あたしたちが何者か、ってこと?」
「ああ」
明の質問に対し、キリエはわずかに考え込む様子を見せ、すぐに思い出したように顔を上げる。
「あたしたちは――鬼喰らいよ」
「……なるほどね」
言い得て妙だと明は思った。あの日の――今でも思い出すと吐き気を催す光景をよく表している言葉だ。
「なぜかこの名前だけは統一されているわ。一説には初めてあのバケモノを倒した人間が、そいつを鬼と呼んでいたというのもあるわね」
「……何で、鬼を喰うんだ?」
ある意味、最も聞きたかった事である。明としてもあの光景が繰り広げられた理由を知りたいのだ。何も知らずにいては、それこそ目の前の少女を恐れる事と同義だ。
明の意志はキリエにも伝わり、わずかに目を見開かれる。そして、
「ホント……変な奴……」
唇の動きだけでそう、つぶやかれた。
「そこまで変人だとは思わないけどなあ」
自覚のない明は頭をかいて苦笑するしかなかった。自分でも意図せずにつぶやいた言葉が聞かれたので、キリエは頬を薄赤くしている。
「い、いいから理由説明するわよ! ……なに笑ってんのよ。殴るわよ!」
キリエは拳を固めて準備万端だった。明は肩をすくめながら一歩距離を取る。誰だって殴られるのは嫌だ。例え照れ隠しでも、それが可愛いと思えるのは時と場合による。
「そいつは勘弁。……説明頼む。こいつは知っとかないとダメだ」
明は真剣な表情で先を促す。
「……私たち鬼喰らいは名前の通り、鬼を――バケモノを喰らう事で力をつけるの」
「……そう、なのか」
名前から予想できたことだった。しかし、いざ本人の口から聞くのは少なからず衝撃があった。
明は無意識に否定してほしかったのかもしれない。命の恩人である(向こうはこちらを見向きもしなかったが)少女がそのような事をするはずない、あるいはしないでほしい、と心のどこかで願っていたのかもしれない。
だが、その願いも儚く散った。
彼女は紛れもなく美少女で、疑いようもなく自分より強くて、そして――
疑問を挟む余地すら存在しない、鬼を喰らう者だ。
「じゃあ次の質問。あの鬼をバラバラにした技は何だ?」
だからと言って、明が彼女への対応を変えるほどの大事ではなかったのだが。
「……は?」
「聞こえなかったか? あの鬼をバラバラにした――」
「聞こえてるわよ! そんな事じゃなくて! 何で対応に変化がないのよ! 普通怖がるでしょう!?」
なぜか怖がるべき女性に説教までされてしまう始末。しかし、明はその辺の考えはしっかりと持っていた。
「確かに、鬼は怖いし、鬼喰らいってのも得体の知れない存在だ。そういう点では、俺はあんたを怖がっている」
明は目をつむり、一つ一つ自分の考えをまとめるように言葉を紡ぐ。
「――そう。それでいいの。それが正常な考えよ」
「でもさ――」
キリエが完全に同意してしまう前に、明が遮る。
「命の恩人を恐れるなんて――それこそ異常だろ?」
「な……」
さも当然のように言い切った明を見て、今度こそキリエは目を真ん丸に見開いた。
「俺が第三者の立場だったらあんたを怖がったと思うよ? けどさ、俺はあの時哀れな子羊でしかなくて、あんたは俺を救ってくれたヒーローだ」
そう言って、明は微笑む。彼にも彼なりに信念はあるのだ。少なくとも、助けてもらった人を邪険に扱うような非道な人間になったつもりはない。
「……あんた、変わってるわね」
「変わってようが何だろうが、これだけは譲らん。これでも感謝してるんだぜ?」
「こっちが助けたつもりはなくても?」
「人助けなんてそんなもんだろ。自分が何気なくした事で救われた人がいる。んで、そいつは助けてくれた奴に感謝している。好意は素直に受け取っとけ」
今なら何でもやってやるよ、と明はおどけた風に言って見せる。
そんな明にキリエはほんの少し、唇をわずかに持ち上げる程度の微笑を作った。
それは当然、見慣れぬ明には気付かれないものであった。だが、笑顔を作ったという事実は消えない。
この瞬間、確かに二人の距離は縮まっていた。
「ふぅ……。なんか疲れたからこれが最後ね。内容は私の使った技について」
「……しょうがないか。結構良い時間だし」
先ほど、明が何気なく確認した空はすでに夕焼けが地平線の向こうに消え始めていた。腕時計の時間はまだ五時前を指していたが、これ以上暗くなる前に帰さないと、女性の一人歩きは危険な暗さになってしまう。
「あれについての説明は……簡単に言うと、別世界の事実を引っ張ってきたのよ」
「……すまん。まったく分からん。順を追って説明してくれると嬉しい」
「……まあ、仕方ないか。あたしも最初に説明された時は何が何やらだったから」
頭から煙が出そうな明を見て、キリエは昔の自分を見ているような懐かしい視線をする。
「恐ろしくバカにされている気がするのは俺だけか」
「きっとそうよ。あたしが二年前――つまり中学三年生の時に分かった理論が分からない事をバカになんてしてないわ」
「絶対バカにしてるだろ! ってか、お前さんが中学生でも分かったんだから聞けば分かるんだろ!」
売り言葉に買い言葉で明は挑発に乗ってしまう。そしてその安い挑発にキリエまで乗ってしまった。
「なによ! あたしはこれでも成績良いんだからね! ここの編入試験なんてオール八割越えよ!」
「うわ……微妙」
「微妙じゃないわよ! 校内ベスト50には入るわよ!」
「それが微妙だっつってんだよ! やるんだったらパーフェクト狙うか全科目0点とかの伝説狙えよ!」
「そんな体を張った漫才なんてできるわけないでしょ! それに全科目0点でどうやって学校入るのよ!?」
もはやケンカを始めた理由すらかすむ言い合いとなっている。しかも妙に子供っぽい。
このケンカは二分ほど続いたが、お互いに何バカな事やってんだろう、と正気に戻ったので終戦協定となった。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「はぁ……はぁ……」
さらに一分ほど言い合いで使った酸素を取り込むために休憩を取る。明は机に突っ伏し、キリエも手近な机にもたれかかっている。
「……何でこうも無駄な事やってんだろう」
「同感だわ……。ったく、あんたといるとこっちのペースが崩れんのよ……」
キリエは不機嫌そうにブツブツ言いながら体を起こす。明はそっちが勝手に崩れているだけで自分には責任がないと思ったが、口には出さなかった。それを言った場合の末路が鮮明に見えたからだ。
「話戻すけど、あんたSFって読んだ事ある?」
「……まあ、少しくらいは」
趣味と言い切る事すらおこがましいくらいの量しか読まないので、明のSFに対する知識はかなり怪しいが。
「じゃあ並行世界の概念って知ってる?」
「え……っと、確か別れ道で右に行く場合と左にいく場合で世界が分岐する、ってやつだったか?」
あやふやな記憶を必死にたどって、それらしき言葉を並べてみる明。一見脈絡のなさそうな問いに対して真剣に考えているようだ。
「何だ。結構分かってるじゃない」
明の答えが満足のいく物だったのか、キリエが機嫌よくうなずく。明はとりあえずキリエを怒らせなかった事に安堵した。
「あたしはほんの少しだけ、その並行世界の事実を引っ張ってこれる。たとえば……あたしが刀を使ってたのは知ってるわね?」
「うん」
明は思い出そうとする素振りすら見せずにうなずく。
鬼の肉体を細裂いた凶器だ。忘れようとしても忘れられるものではないだろう。
「あの時、あたしは縦に振り下ろした。他にもその能力を使って水平、袈裟がけ、逆袈裟と色々な方向から斬り付けたってわけ。言うなれば多方向同時攻撃ね」
「……つまり、お前が横に振ったかもしれない、袈裟がけに振ったかもしれない、逆袈裟に振ったかもしれない、という並行世界の斬撃をこの世界に持って来たって事か?」
明なりの解釈にキリエは分かってるじゃない、と言わんばかりにうんうんと首を縦に振る。
「あたしはこれを多重実像斬撃って呼んでるわ。他にも拳銃を使った多重実像銃撃とかもあるけど」
「……反則も良いところだな」
近接に限ってみれば、それは無敵に近い能力だ。縦に斬りつけられたと思ったら横からも斬撃が迫ってくるのだ。敵からしてみれば悪夢以外の何物でもない。
「まあ、良い事ばかりってわけでもないわ。燃費がすごく悪いから一日三回しか使えないし、まだ有効範囲もひどく狭い。刀が今のところの精いっぱいね」
そこまで言い切ってから、キリエはなぜか怒ったように明を見る。
「これくらいで弱点を掴んだとか思わないでよ!」
どうやらペラペラと話し過ぎてしまった事を恥じているようだ。しかし、明としてもそれを知ったところでどうこうするつもりもないし、できない。
「いや、思わないって。普通にケンカすれば俺が負けるの目に見えてるし」
男としては非常に情けないセリフだが、隠しようのない事実なので胸を張って言ってしまう。
「ま、まあ、それならいいわ。この質問はこれで終わりね」
「ああ。送っていく」
「は? 何で?」
意図も意味も不明な申し出にキリエの口がポカンと開かれる。
「ん」
明は無言で窓の外を指差す。そこはすでに夜の帳が落ちかけの薄暗い世界となっていた。
「暗い夜道を一人帰らせるのはさすがにどうかと思うんでね。あんたがいくら強いって言っても、いきなり背後から襲われりゃ抵抗できないだろうし」
「……あんた、妙なところで気を使うわね」
「性分だな」
からからと笑う明にキリエはため息しか出ない。
「……はぁ」
「ほら、行くぞ」
キリエがため息をついている間に明は彼女のカバンを持って教室を出ようとする。
「あ、ちょっと待ちなさいよ。カバン!」
「わざわざ遅くまで居残らせたんだ。これぐらいするって」
「…………ああもう! 途中で飲み物もおごりなさいよ!」
何を言っても無駄と悟ったキリエは駆け足で明に追い付き、前を歩く。彼女が道案内をしないと家にはたどり着けないのだ。もちろん、彼女もこれが初めてなのだが。
「へいへい」
図々しいキリエに苦笑しながら、明は教科書だけにしてはやたらと重いカバンの中身を務めて気にしないようにしながら、キリエの後ろをついていった。
待たせるのもどうかと思い、ストックを投下します。
三人称って難しい……。