四章 エピローグ
奈美音の言った事にはキリエだけでなく、明も度肝を抜かれた。
実力という観点から見れば奈美音の方が遥かに上である。それは間違いなく、弟子であるキリエも認めている事だ。
「ちょ、ちょっと待ってください! あたしですか!?」
「そうだ。『世界』の属性を持つお前だけが鬼の親玉がいる空間に入れる……はずだ」
「……確かに。あんな光景見せられちゃ、鬼が別の空間からやって来てる、っていう説も信憑性があるしな。キリエが適任なのかもしれない」
むしろキリエにしかできない、と言っても過言ではない。明は若干冷えた頭で奈美音の言っている事を咀嚼してみる。
「……つまり、親玉を倒せば俺たちの勝ち。倒せずに死ねば向こうの勝ち。そしてこれは鬼喰らいと鬼の全面戦争。そういう事ですね?」
「ああ。そして我々に圧倒的に不利な、が付く。私たちにできるのは一発逆転を狙った大将狙いだ」
明がまとめた内容に奈美音もうなずき、二人がキリエの方を見る。
「……あーもう! やりますよ、やればいいんでしょ! あたしにしかできないって言うんなら、やってやろうじゃありませんか!」
キリエは二人の視線に耐え切れず、半ばヤケクソのようにそれを請け負う。
「ああ。そのための準備は全てこちらでやる。だから二人はいったん退け。……特に明くんは少し心を整理する時間も必要だ」
「……いえ、俺は大丈夫です」
むしろ止まっている方が危険だった。止まってあれこれと考えると失ってしまった人たちの顔が脳裏にチラつき、明の心をどうしようもなく苛むのだ。
「……そうか。だが休むのは命令でもある。君もそのまま向かうつもりはないのだろう?」
「はい。さすがに何の準備もなしに向かうつもりはありません。……もし、これが最後の戦いになるのなら、俺も戦います。能力の補助ができるのは俺だけですし」
「私からもキリエの補助は頼むつもりだった。……本当にすまない。君を最後まで巻き込んでしまった」
奈美音は心底済まなそうに謝るが、明としては別にどうでもいい事だった。どちらにせよ、明の時間は砂時計のように目減りしているのだから。
「……気にしないでください。これは俺の選んだ事で……俺がケジメをつけたい事ですから」
何もかも奪われてしまった。そのお返しは絶対にしたい上、明に残された時間はほとんどない。後ろを振り返る時間も、立ち止まる余裕すら彼にはないのだ。
ならば走り続けるしかない。どんなに苦しくても前を向いて走り続け、三上たちの仇を取る事しか明にはできない。
「そうか……。君は強いんだな」
「強くなんてありません。俺には……これしかないんですよ」
振り返って見えるものすら失くしてしまった。前は見えないが、すぐそばに終わりはある。文字通り八方塞がりだ。
「それでは少し休みます。……彼らの埋葬、お願いします」
奈美音に目線だけの会釈をしてから、明はキリエの後を追いかけて歩いて行った。
「……よし、準備は万全ね」
キリエは組織の支部で配給された銃弾を全て込め、予備の弾丸も用意しておく。刀は良く磨いておき、岩でも切れるような滑らかな光を宿していた。
「わたしの持てる全ての技術で強化を施しました。霊的な物にもある程度効果はありますし、切れ味などもかなり上がっていると思います」
「ありがと、カグラ」
神楽の説明を適当に聞き流したキリエだが、キチンとお礼だけは言う。怒るに怒れないその様子に神楽は口をパクパクと開け閉めしていた。
「明さんには……こちらを」
キリエの様子に神楽はこめかみを押さえて頭痛を堪えるような表情をしていたが、すぐに気を取り直して明の方に近寄って錠剤をいくつか渡した。
「これは?」
「わたしの霊力をありったけ込めた丸薬です。おそらく飲めばしばらくは侵食を押さえられると思います。ただし、これが働いている間は鬼になれませんので、注意してください」
「……分かった。ありがとう」
神楽の心遣いを嬉しく思った明はその錠剤を受け取り、ポケットにしまう。これから戦いが予想されるので、今すぐ飲むつもりはないようだ。
「あと……キリエさん、明さんを少し借りて良いですか?」
「んー? 別に良いわよ。ってか、何であたしに聞くわけ?」
「アキラはあたしのものだ、ってキリエさんが言ってたんじゃないですか……。覚えてませんか?」
分からなかった事を尋ねただけのキリエだが、盛大に地雷を踏んでしまう。ちなみに話題の中心である明はそんな事言われたっけな、と昔を思い出してしみじみしていた。
「……お、覚えてるわよ。い、良いじゃない。ちょっとだけ貸してあげるわよ。ちょっとだからね!」
わざわざ念を押す必要はないんじゃないか? と明は傍観者の気分で思ったが、神楽はそんなキリエの様子に苦笑してうなずいていた。
「……まあ、その辺は明さん次第ですから何とも言えません」
だが、返答は明とキリエ、二人の予想を裏切るものだった。
呆気に取られている明の腕を掴み、神楽が引っ張っていく。キリエはその様子を茫然と見送り、ボソリと本人も意識しているのか分からないほどの音量でつぶやいた。
「……ちゃんとあたしのところに帰ってくるのよ。バカ」
明は神楽に腕を引っ張られて人気のない場所まで連れて来られた。
途中何度か神楽の腕を振り払える機会もあったのだが、神楽のいやに鬼気迫った、それでいて上気した顔に何か言い知れぬ迫力を感じ取ったため逃し続けていた。
「おい、一体どうしたんだ? 話しづらい悩みでもあるのか? だったらキリエと一緒に考えた方が……」
「いえ、明さんだけに関係するお話です」
強い語調で言い切られたため、明としてもこれ以上何も言えずについて行く事しかできなかった。
「……っと、この辺りでいいでしょう」
神楽は人気のない場所で立ち止まり、明の方を振り向く。
「……何だ? 俺に関係する話って」
明は本気で分からないと言った様子で首をかしげながらも、神楽が口を開くのをジッと待っていた。
「あ……、その……えっと……」
神楽は明が微動だにせずに己を見つめる視線を感じて顔が上気してしまう。同時に呂律も回らなくなり、上手く言葉が紡げない。
「…………何なんだ? 言いたくないなら無理して言わなくても――」
「ダメです!」
神楽の顔色が赤くなっていくのを、今日の連戦による疲れだと判断した明は気遣うように声をかけ、別の機会にしようとする。しかし、それは神楽突然の大声によって阻まれた。
「ダメですよ……。今言わなかったら……明さん、もう帰って来ないじゃないですか……」
泣き崩れる一歩手前の表情で神楽がすがるように言う。明は自分の考えが読まれていた事に息を呑みながらも、いつも通りの表情を崩さなかった。
「……何言ってんだよ。俺が負けるように見えるのか?」
「見えません……。でも! 明さんは死ぬつもりでしょう! いえ、もう自分の死期を分かってるはずです!」
ヒステリーでも起こしているかのように頭を激しく振りながら明の状態を断定する神楽。そしてその正しい指摘に明はこれ以上のごまかしはできないと理解し、渋々ながら説明を開始した。
「……ああ。俺が行く事になる戦いではきっと鬼の力をフルに使う。今、そんな事をしたら待ってるのは……キリエに喰われてしまうだろうな」
「……明さんはわたしなんかよりよっぽど強い人です。それが分かっていても、前に進むんでしょう?」
神楽の言葉に明は苦笑を見せる。自分が強いなど、過剰評価も良いところだと内心で思いながら。
「強くなんてないさ。……誰もが死んで、その死を受け入れるのが辛いから走ろうとしているんだ。走って、その事実を置き去りにしようとしてる」
「それでも……それでも、何もかもが終わったら、謝るつもりなんでしょう? でしたらそれは逃げた事になんてなりませんよ」
神楽は優しく微笑んで明の行動を肯定する。自らの選んだ道が正しいと言われた気がして明の顔が少しだけ明るくなるが、次の瞬間にはまた元に戻ってしまう。
明は許されたくて戦っているわけではないのだ。今はもう復讐のためだけに戦っている状態に近い。
「……そうだな」
だが、神楽にそれを伝えて空気を悪くする気も明にはなかった。明は曖昧にうなずき、先を促す。
「それで、話って何だ? まさか今のが要件じゃないだろ?」
「…………明さん。わたしが今から言う事は全て本気で言ってます。まずはそれを念頭に置いて答えてください。……良いですか?」
「あ、ああ」
鬼気迫った様子の神楽に明はたじろぎながらもしっかりと返事をする。それをしっかり確認した神楽は何度か深呼吸をして、ようやく言いたい事を伝える。
「明さん。わたしは……あなたが好きです」
「な……っ」
予想の右斜め上をぶっちぎった内容にさすがの明も目を見開く。神楽は頬を上気させたまま上目遣いで言葉を続ける。
「……あの日、わたしたちだけで鬼の新種と戦った時……。あの日以来、ずっとあなたの事を追いかけてました」
「……釣り橋効果、って知ってるか?」
神楽の止まらない独白を何とかして抑えようと明がかろうじてそれだけをひねり出すが、神楽は満面の笑みでそれに答える。
「もちろん知ってますよ。異常な状況下における恐怖のドキドキを男女のそれと勘違いしてしまう事でしょう? ……確かにあの状況がまったく怖くなかったと言えばウソになりますが、これでも現役で二年以上戦ってきたんです。それよりもっと怖かった状況だってあります」
反論のしようがないその言葉に明は思わずこめかみを押さえてしまう。それと同時に内心で神楽の告白に対する答えを探そうとしていた。
「正直に言いますと……、わたしはあなたの在り方に憧れたんです。迷ったり、苦しんだりもするけど、最終的には真っ直ぐな答えをいつも見つけるあなたをずっと見てきました」
「…………」
そんな大層なものではない、と明は言いたかったのだが、神楽の人差し指で唇を塞がれてしまい、それもできなくなってしまう。
「そんな風にあなたの背中を見て、追いかけているうちに……憧れが好きに変わった。これって不自然な事ですか? ……それでも別に構いません。わたしがあなたを好きな気持ちに、ウソはない……!」
「…………神楽」
「……はい」
明は今までの出来事を全て思い返し、そしてようやく心に浮かんだ答えを正直に言う事にした。神楽も覚悟を決め、明の方を見据える。
「……お前の思いには応えられない」
「そう、ですか……」
「……悪いとは思う。でも……俺は……」
「知ってます。キリエさん、でしょ?」
神楽は傷ついた顔をしたものの、すぐに笑顔を取りつくろって明の言葉を引き継ぐ。明はさらに申し訳なさそうな顔をして、しかしハッキリとうなずいてみせた。
「……ああ。俺が惹かれているのはあいつなんだ。……だから、ゴメン」
明は深々と頭を下げる。他人を極力傷つけたくない明にとって、今の傷ついた神楽の表情は心に痛過ぎた。
だが、本心でもないのに応えた振りをしてしまう事の方がよほど不義理であり、いずれお互いにひどい傷をつけると考えた明は傷の浅くて済む今の内に断る事を選んだ。
どちらを選んでも傷を負う事は免れなかった。もっと女慣れした人なら二人とも傷つかない答えを選べたのかもしれないが、明ではこれが限界だった。
「いいえ、いいんです。半ば分かってた事ですから。明さんをずっと見ていれば分かります。時々、視線がキリエさんのところへ行くのが」
「……そっか。もしあそこでお前を傷つけたくないからなんて言ってたら、お前に殴られてたところだな」
神楽は明の事を明以上に良く分かっていたようだ。その事実に明は苦笑し、同時に起こり得なかったIFに思いを馳せてみる。
「当然です。……さっ、わたしからのお話は終わりです。そろそろ時間ですから、行ってきてください」
明の言った事に神楽は当たり前だと言わんばかりに胸を張り、明の背中を押す。
明は傷を負っている事を気丈に隠し続ける神楽を思い、同時にその思いやりを受け取らない事は失礼であると判断し、何も言わずにその場を立ち去った。
「……帰ってきてください。どんな姿になってでも」
去り際に聞こえた涙声の小さな言葉に、内心で強くうなずきながら。
「……アキラ、カグラの話は済んだわけ?」
明が戻ると、キリエが準備万全の態勢で明を待っていた。
「……ああ」
キリエの質問に明はぶっきらぼうに答えながら、自分の分の荷物を持つ。
どこに出るか分からない上、出た先で何が起こるかも分からない。そのため、キリエと明のカバンには食料や水はもちろん、明には霊力の詰まった丸薬を。キリエの方には豊富な武装が入っていた。
「そう。……じゃあ最終確認するわよ。まず、この戦いに行けるのは能力使用者であるあたしと、その能力を補助するあんただけ。もっと範囲を広げる事もできるけど、それだと成功率が下がる危険があるのであたしたちだけになった。ここまではオーケー?」
「分かってる。ここに来るまでに奈美音さんから再三説明されたばかりだろ」
明とキリエは決戦に赴く兵士の顔で確認を進めている。その様子を奈美音含む鬼喰らいは複雑な表情で、やや遅れてやってきた神楽は微笑ましそうな表情で見つめていた。
「まずあんたの能力であたしを強化。そしてあたしが能力を使って空間移動を発動させる。……今までは横軸の世界だったけど、今回は縦も高さも加わるからね。あたしも成功するかどうか分からない。……それでも来るのね」
「愚問だ。……早く行こう。こんな事、一秒でも早く終わらせるんだ」
明は静かな覚悟をその顔に浮かべていた。何があっても揺るがず、目的を達成しようとする目だった。
キリエはその瞳を見て、これ以上何を言っても動かないと確信する。
結局、最後の最後まで彼を巻き込んでしまった事に対する情けなさをため息一つで全て追い出し、キリエは明の肩を叩いた。
「んじゃ始めるわよ。……絶対、成功させましょうね」
「……ああ、当たり前だ!」
明とキリエが部屋の中心部に立ち、周囲の人間を遠ざける。
そしてまずは明が能力を使用して、手のひらに緑色の光を生み出す。それをキリエに触れ、キリエに光が移るのをジッと待つ。
「……相変わらずの高揚感。今なら何やっても成功しそうな気がするわ……!」
「その意気で成功させてくれよ……。行こう!」
明の掛け声と同時にキリエの体から何やらすさまじいエネルギーが噴出される。
そして、前触れもなく彼らはこの世界から姿を消した。
四章自体は五章へのつなぎのようなものです。そして今回は閑話なしに五章へ突入します。
……それと明日から家の都合で少しパソコンを空けます。もしかしたら、一日一投稿は難しいかもしれません。ご容赦ください。