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四章 第四話

 明が鬼喰らいの組織に軟禁されてから、五日ほど経過した。


 その間、彼は何をするでもなく物思いにふけったり読書に明け暮れたりと言った、非常にのんびりした過ごし方をしていた。


 だが、それを見ていたキリエと神楽は気が気ではなかった。まるで彼が死を間近に控えた老人のように安らかな目をしていたからだ。


「……ねえ、アキラ」


 キリエは読書室で読書を楽しむ明を見かね、とうとう声をかけた。ちなみに神楽は休憩を取るべく席を外していた。十分ほどで戻ると言っていたため、飲み物でも飲みに行っているのだろう。


「何だ? ……ああ、今の俺はそんなにおかしいか?」


 明の方も分かっていたらしく、本から顔を上げないままキリエの言いたい事を当てる。


「自覚があったわけ? ……そうね。今のあんたは変よ。なんだか消えかけのロウソクみたい」


 キリエの例えに明は少しだけおかしそうに口角を吊り上げる。


「消えかけのロウソク、か……。なかなか言い得て妙だな。まあ、当たりだよ。今の俺はほんのわずか残った理性にしがみついている状態だ」


 こうして心を落ち着けた状態でいるのも、彼が少しでも長く鬼からの浸食に抵抗するために、明の体が無意識に行っているものである。


 キリエはそんな彼を見て、何かを決意したように口を開く。


「……ねえ、ちょっと聞いてほしい事があるんだけど」


「何だ? 聞くだけなら聞けるが、何かしてくれというのは無理だぞ。俺はほとんど動けないんだからな」


「んなパシリじゃないわよ。聞いてほしいのはあたしの事」


「キリエの? ……そういえばお前の事はほとんど聞いてなかったな。その点で言えば神楽もだけど……。まあいいか。うん、話してくれ」


 じゃあ向かいに座るわよ、とキリエが明の対面に腰を下ろす。明も椅子に深く腰掛け、話を聞く姿勢を取った。


「……あたしが鬼喰らいとして戦い始めたのは七年前って話した事があるわね」


「ああ。んで、お前は俺と同じで何らかのショックで鬼喰らいの力が目覚めた――つまり血統的なものではない、って事も聞いたな」


「そう。あたしもあんたと同じ。七年前までは普通の女の子だったのよ」


「……ふむ、ひょっとしてこれ以上はお前にとってキツイんじゃないのか? だったら話さなくても……」


 明はキリエの顔色が蒼白になっているのを見て、これ以上の話は彼女にとってあまり好ましくないものであると理解した。そのため、キリエを気遣ってこの話を終わらせようとする。


「いいわよ。あれだって……もう七年前になったのよ。それにこの機会を逃したらあんたに話せるチャンスなんてないだろうしね」


 キリエは明の申し出を遮り、静かに首を振った。だが、顔色は依然として蒼白なままだった。


「……そうか。だったら聞くけど、話す以上は最後まで話せよ」


 キリエの決意が見て取れた明は何も言わず、先を促した。そして話すからには最後まで話してほしいとの意思も込める。


「分かってるわ。……あたしは七年前に両親を亡くしたの。目の前で」


「目の前で……? 交通事故か何かか?」


「まさか。分かってるんでしょあんただって。それで目覚めたとしても、当時十歳の子が鬼と戦うなんて過酷極まりない道を選ぶと思う?」


 意図的に分からない振りをした明だが、キリエが酷薄に笑ってその答えを否定する。


「……やっぱり」


「ええ。両親が死んだのは家の中。……家の中に鬼が出現したのよ」


 鬼は神出鬼没な上、文字通り出現する。そう考えれば鬼が屋内に出現する事だってあり得ない事ではない。


 だが……個人の家にピンポイントで出現するにはどれだけの不幸が必要になるのか、明には想像もつかなかった。


「両親はあっという間に殺されたわ。そしてあたしにも牙を向けられた……。あたしは無我夢中でその辺に転がっていた銃を撃った」


「そして弾丸が無数に増えて鬼を倒した、か?」


「その通りよ。……んで、遅れてやってきた鬼喰らいの人に保護されてあたしは助かった」


 なるほど、と明は何度もうなずく。キリエも明と似たような境遇で命を拾ったのだ。キリエの場合は鬼に両親を殺され、そこから自分で脱した。明は鬼喰らいに助けられて命を拾った。どちらも鬼が関係しているのだ。


「あたしは鬼に復讐する道を選んだ。厳密な意味では復讐はすでに果たされていたけど……そんな理屈で納得できるほど親を殺されたって事実は重くない……、分かるわね?」


「ああ……、良く分かる」


 明の両親を殺した仇である最上はすでに故人だ。だが、彼女への憎しみは生涯消える事はないと思う。同時にこれを晴らす手段も存在しない。


「それで当時ドイツの支部にいたあの人に師事して基礎的な事を叩き込まれたわ。……イヤというほどにね」


 そう語るキリエの目は本気で遠くを見つめていた。下手につつくのは彼女のトラウマを刺激する事になると判断した明は先を促す事にした。


「……話の続きは?」


「あっと、悪いわね。ちょっと横道にそれたわ。……まあ、あの人に教わったのは三年程度だけど、その間に鬼喰らいとしてやっていける身体能力、能力の使用法、心構え、ついでに勉強も教わったわ」


 だから中学高校通わなくてもそれなりにできたってわけ、とキリエは話す。確かに彼女が勉強をしている姿をあまり見ていない明も彼女が以前に勉強していたのなら、と納得していた。


「なるほどね……。実質、お前が鬼喰らいとして活動したのは四年ぐらいなんだな」


「まあね。それでも下っ端としては結構古株な方よ? だから昇進というか上に来ないかっていう話も来るわけ。あたしの望みは鬼と戦う事だからもちろん断るけど」


 それ以外にも鬼喰らいというのはほとんどが血筋による覚醒なため、突発的な覚醒をしたキリエには風当たりが冷たいという理由もあった。


「ふむ……、お前がどうして戦うのかは分かってきた。それで今に至るってわけか?」


「そういう事。……こういう時でもなきゃ、話す機会なんてないだろうしね」


 キリエは話を終え、コップに入れた水を飲み干す。


「……俺は、どうなんだ? 俺もお前の憎む――鬼だぞ?」


 明はキリエの目をじっと見つめながら言う。キリエは神妙な顔をして明の方を見た。


「……あんたは違うわ。あんたは人間よ。誰が何と言っても、あたしがそう思っているからあんたは人間。だから殺す理由はない」


 キリエは特別気負った様子もなくそのセリフを言い切る。明はどことなく嬉しげにその言葉を受け取るが、次の瞬間には真剣な表情になってキリエに迫った。


「そいつは嬉しいね。……でも、迷うなよ。俺が鬼になったその時は、」


「安心して。あんたを殺すつもりはないけど、鬼は例外なく殺すわ。……これ以上あたしみたいな人を出す気はないのよ」


「……それを聞いて安心だ。……ところで神楽遅いな」


 話が終わり、明もキリエも手持無沙汰になってきた。神楽はちょっと席を外すと言っていただけなのだが、キリエとの話が終わってからも戻ってくる気配がない。


「ちょっと探そうかしら? そんな遠くに行ってるとは思えないし」


「いや、あそこにいるぞ」


 キリエが神楽を探そうと席を立ったところ、明が心臓の音を頼りにあっさりと居場所を当ててしまう。


 そこにはキリエと明の見慣れた紅白の装束――平たく言えば巫女服に身を包んだ神楽が所在なさげに立っていた。


「カグラ、何かあったわけ? そんなところに立ってないでこっち来なさいよ」


 いつも通り気さくに手を振ってこちらに来るよう促すキリエだが、どうにも神楽の歩みは遅かった。その普段と違う様子に首をかしげた明も声をかける。


「どうかしたのか? なんか変だぞ」


「あ、いえ……。ちょっと奈美音さんの方にお話を伺いに行っていたところです」


 神楽は言い淀むようにためらった後、その一言をつぶやく。


「奈美音さんに? ……俺に関して何かあったのか?」


 キリエと神楽は明の監視という任務についているが、奈美音は日本支部の長として激務の日々だ。それが分かっていない神楽ではない。


 つまり、神楽が奈美音のもとへ向かったのは必ず何か理由がある。そう見越した明の発言だった。


「はい……。実はたびたび殺気を感じまして……」


「殺気? ……しまった。あたしは対人戦のやつには疎いんだった。鬼から向けられる独特の殺意は分かるんだけど……」


「俺は五感を用いた気配は読めるけど、殺気なんてもんは読めん」


 神楽は何でもできる万能型なのだが、明とキリエはどうにもバランスの悪い能力をしているのだ。キリエは言うまでもなく鬼に特化しており、能力も汎用性が高いとはお世辞にも言い難い。


 明は秘めた能力こそ高いものの、その実、体術も戦闘技能も未だ半人前の域を出ない。常人どころか並の鬼でさえ遥かに凌駕する身体能力でごまかしているに過ぎない。


「そうですか……。二人とも修行不足なんですよ」


『それはない』


 神楽の言葉に明とキリエは同時に突っ込みを入れる。というより、神楽のやっている事は明と負けず劣らず人間の範疇を越えているはずだ。


「ひどいです……。まあ、それはさておいて話を戻しますが、明さんも薄々感じているんじゃないですか? この中にいる人が明さんを歓迎していない事に」


「……ああ。それなら感じた事は何度もある。キリエも知っているはずだけど」


 いくら移動できる場所が限られているとはいえ、一日に顔を合わせるのはキリエと神楽だけというわけではない。廊下の移動やちょっとした時間に見知らぬ鬼喰らいの人と顔を合わせる事は多々ある。


 そういった時に明が受ける視線は敵意や嫌悪といった負の感情ばかりのものだ。キリエなんかはそれを見る度にどうにかしようとするのだが、効果はほとんど上がっていない。


 キリエと神楽の二人は彼らの説得を諦め、成るべく他の人と顔を合わせないように明を動かそうとしている。明もそれに気付きながらも二人の好意に甘えていた。


「ああ……、あの気分悪い連中ね」


「そんな事言うな。あれが当然の反応だろうさ。いつ鬼になるか分からないような奴が自分の懐にいるんだぞ? あの人たちに守りたいものがあるならなおさらだろうよ」


 キリエは鬼喰らいの人々の反応を思い出して顔をしかめるが、それを明が止める。


 本来、最も怒るべき人間である彼がそのような事を言い出したので、キリエが激昂して明に詰め寄る。


「あんたねえ! 本当なら真っ先に怒ったって誰も文句言わないのよ! 少しは怒りなさいよ! そうしないとあいつら付け上がるわよ!」


「キリエさん、その通りなんです」


 キリエが明の胸倉を掴んで叫ぶ言葉に神楽が賛同する。明はやや息苦しそうにしながらも神楽の言葉を待った。


「奈美音さんから詳しい話を聞きに行ったところ、明さんが完全な鬼になってしまう前に殺してしまえという意見が組織内で大多数を占めているみたいなんです。それを押さえるのがちょっと難しくなってきたと言ってました」


「……そっか。じゃあ、どうすればいいんだ?」


 神楽の教える残酷な現実。だが、明はわずかに寂しげな笑みをしただけで状況を受け入れる。


 それをよしとしないのがキリエだ。


「ちょっと待ってよ! そんなのおかしいわよ! なんで何もしてないアキラが狙われなきゃならないわけ!? 同じ人間でしょ!」


「キリエ……。気持ちは嬉しいけど、これは組織の問題だと思う。お前だって七年間身を置いていたんだ。分からないわけじゃないだろ?」


 明がキリエを優しく諭すように言葉を重ねる。キリエは下唇を強く噛み締め、真っ赤な液体が形の良い顎を滑り落ちる。


「でも……! こんなのって……! あんたはずっと散々な目に遭ってきたのよ! これで報われないとか冗談じゃないわよ! 世界が認めてもあたしが認めないわ!」


「報われない? バカ言え、俺は充分に報われたって。……両親の仇は討てたし、みんなと楽しい時間を過ごす事もできた。その上俺の死ぬ場所はお前の腕の中。……これ以上を望んだら罰が当たるって」


 儚い笑顔を浮かべ、一片の後悔もないみたいな言い方をする明。キリエも何を言っても意味がないとようやく理解してしまった。


「アキラ……。分かったわ。あんたの命、最後まであんたの好きにしなさい。ここを黙って離れるもよし。静かに部屋に籠るのもよし。あたしは何も言わずにあんたに従う」


「わたしもです。この組織を潰せと言えばわたしはそれを成し遂げてみせましょう」


 二人の言葉に明はつくづく自分は良い仲間に恵まれたとしみじみ実感した。それと同時に目をつむり、これからの行動を考える。


「……家に帰ろう。学校にはさすがに行けないけど……なるべくいつも通りの生活を送っていこう……」


「分かったわ。……まっ、あんたらしい願いよね」


「それが明さんですもの。では、帰る前に奈美音さんに一言あいさつしていきましょうか」


 明の決断にキリエと神楽は苦笑を見せ、全員が立ち上がった。






「奈美音さん? 何バタバタしてるんです?」


 明たちが奈美音の働いている部屋を訪ねると、そこは大騒ぎの場となっていた。


「明くんか! 今から君のところにも連絡を送るところだった。……いいか? 落ち着いて聞いてくれ」


 奈美音はキリエでさえ見た事がないほどの狼狽した表情で明の前に立ち、口を開いた。




「この街に鬼が出現した。それも大量に、だ」




 それはこの街に住む住人がこの世の地獄と証言する一日の始まりだった。

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